マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

学業と仕事:失われた20年で変わってしまったこと

2013年01月14日 21時54分07秒 | □私の気になる記事
先ほど、TVを見ていましたら、アップルの日本法人
元社長が「夢は無限大」というような話をしていました。
今の若者に危機感を感じる、自分が何をしたいのか、
待っていて何か与えてもらえるような気持ちでいるetc
などと語っていました。

我が第二の母校、立命館大学で講演していましたが、
果たして「今の若者、今の学生」は、世間で言われる
ように、「自分は何をしたいのか分からない」ままで
進学してきて、そして停滞してしまっているのでしょうか。

政治家や社会が悪いのではない、自分の人生は自分で、
1度切りの人生etc

自分自身の人生は、確かに切り開いていくのも「自分」
しかないと思います。

しかし、今の極端に利益だけを求める「金銭的利益至上
主義」の世の中で、うまく就職が出来て稼げる者が成功者
で、そうでない者は能力はあっても努力が足りないと
安易に評価してしまうのはどうかなぁと思います。

そこそこ頑張ってきた人は、そこそこの野心(安定した生活
安定した職業・自分が活かせる仕事)を求めていると
思います。

ぼーっとして来て、学業成績が常に上位ということは
有り得ないですよね。やはり、「どこかに『希』や『野心』
のようなものは持ってきたはずです。

自己責任の世の中。

就活も、望んだ仕事も、そして収入も、全ては自己責任
のように言われますが、果たしてそれだけが原因なので
しょうか。

私は違うと思いますね。やはり、政治や企業倫理といった
ものが利益先行になり、「稼いだ者」「何か新しいものを
創り上げて、それが利益に繋がって莫大な富を築いた者」
にしか光を当ててない(注目していない)、全てが利益に
繋がる成果主義に向いているからこそ、歪んだ世の中に
なってきているのだと思います。

たまにTVで「稼ぎにはなっていないけど、こんな社会
貢献の仕事をしている」「こんな活動(ボランティア)を
している」などの放送が、気休め程度に放映されますが、
「成功者」「勝ち組」「一旦転んだけども、こう立ち上がっ
た」という話題やドキュメントが、やはり多いように思い
ます。

当然、そのような成功を掴んだ者も、死ぬ思いの努力を
積み重ねてきたのだというのは分かります。

しかし、今の日本では20年前、30年前にはあり得な
かったことが起きていることに対しても目を向けて真剣
に考えていかなくてはならないと思います。

・・・

高学歴プア 東大院卒就職率56%、京大院卒はゴミ収集バイト
NEWSポストセブン

学歴は武器、どころか足かせとなった。名だたる大学院を
出ても非正規雇用、あるいは無職となってしまう者たちが
続々と生まれている。そんな高学歴ワーキングプアの実態
を『高学歴ワーキングプア』(光文社新書)の著者である
評論家の水月昭道氏がレポートする。

* * *

京都大学大学院で博士号を取得したAさん。30代前半で他の
大学の授業を週に2科目担当する非常勤講師だが、同時に
毎朝の「ゴミ収集アルバイト」も続けている。生活を維持
できないからだ。

大学の非常勤講師は1科目を担当すると月4コマ(1コマ90分)
の講義を行なう。報酬の相場は1科目3万円だから、Aさんは
月収6万円。生活費に加え、資料代や研究費などの経費まで
自己負担するため、アルバイトせざるを得ない。「超高学歴
ワーキングプア」といったところだろうか。

こうした非常勤雇用は私大に多く有名大学で半分、中には
7割に達するところもある。大学全体でも正規雇用(教授、
准教授など)17万人に対し、ポスドク、文系非常勤講師など
を含めた任期つき非正規雇用は5万人程度で、ほとんどは
任期1~3年。その他に非正規の働き口さえない者が5万人
程度いるとされる。

発端は1991年に当時の文部省が始めた大学院重点化政策にある。
21世紀には修士、博士の必要性が高まるとの予測のもとで
始まり、1991年に10万人だった修士・博士は2011年には
約26万人まで激増した(平成23年度 学校基本調査より)。

問題は“出口”が用意されていなかったことだ。例えば今、
博士が大学教員として正規雇用されるかは、研究実績よりも
「ポストに空きがあるかどうか」という要素が強い。院生を
増やしても、上の世代がポストを空けなければ行き場はない。

また、ユニーク学科の相次ぐ設立で大学側が教科ごとに正規
教員を抱える余裕をなくし、非常勤講師を増やしていく流れ
とも重なった。

こうして大学院重点化以降、特に文系の修士や博士となった
40代前半から30代前半までが分厚い高学歴ワーキングプア層
を形成しているのである。

大学を離れ、民間企業に就職しようにも彼らの活路は開けない。
修士・博士の称号は民間就職にはむしろ足かせとなる。新卒一括
採用、年功序列賃金を温存する企業にとって、「学部卒と
同じく就労経験はないのに、年齢は上なので高い給与を払わな
ければならない存在」である修士・博士の採用は敬遠されるのだ。
東京大学の大学院博士課程修了者の就職率はたったの56%。
文系修士でも75%だ。

文科省は修士・博士のキャリアサポートに乗り出し、企業との
マッチングを行なっているが、状況が改善する兆しは見えない。
そもそもこうした施策が取られた背景には、少子化で学部への
新入生が減少する中で「大学院生を増やして食い扶持を維持
したい」という大学側の思惑がある。これからも新入生は減少
を続ける。だから大学側は院生の数を適正化しようとしない。
格差の底辺に突き落とされる高学歴プアは増加を続けることになる。

※SAPIO2013年2月号

・・・

私は、確かに20代中盤から後半に掛けて、新卒当時からずっと
自分の胸の中にあったシコリを取り除くために、

一旦は社会人となった後に、退職して立命館大学大学院
経営学研究科へ進学しました。

学びたいものが見つかったということもありますが、
いわゆる「世間一般でいう『良い大学・有名な大学』」へ
行きたかったわけです。

その頃は、まだ20代でしたので「思ったこと」「決意した
こと」を実行できたのだと思います。

・・・

しかし、経営学修士号:修士(経営学)立命館大学
を取得したのち、今日に至るまでには、大学院へ進学
したことによる恩恵ではなく、結局は自助努力によって切り
開いてきたというのが今の自分です。

昔は、大学院へ進んだことでの新たな職業が開かれていた
時代もあったと思います。

今は、そういう時代ではないのは確かです。

しかし、では幼い頃から「子供は、学生は勉強が本分」
「勉強を頑張りなさい」という教えは、今のこの世知辛い
世の中ででも通用する文言なのでしょうかね。

確かに「勉強でさえ」「何もして来ずに歳だけとったら」
もっと大変なことになるとは思いますが、あまりにも学べ!
学べ!という割には、その先に楽しみもない、また安定で
さえ見えない世の中にしてしまったものだと、私は思います。

それでも自分の今の姿は自分が取った行動や進んできた
結果が全て出たものだと言えるのかな。

やはり、日本社会、政治(家)が導く方向性をあまりにも
利益追求型にしてしまったところから、全ての問題は
始まったように感じます。

不満を言えばキリがありませんが、努力すれば報われる
世の中へ向かっていってほしいものですね。

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4 コメント

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怠けてしまう ()
2014-03-23 18:43:46
私は何をするにも強い願望がありません。死について考えると自分は何のために生まれてきたのだろうかと思います。もっと一生懸命に生きたい。生きがいをもって生きたい。でも、することなすことちぐはぐで…どうすれば自分のやるべきことを集中して取り組めるのでしようか。
返信する
Unknown (管理人)
2014-03-23 20:04:30
奥さま、コメントありがとうございます。

私も普段のごく普通の日常生活においては、「何も考えていない」「ただ生きているだけ」「生活、生きるために、今の自分の能力で出来る仕事をして、ただそれだけで過ごしているだけ」です。

ただ、私よりも年上の社員が通関士を取得した等の話を社内で聞きますと、「羨ましいなぁ」「よしっ!自分も何かやってやろう!」という気持ちは湧いてきます。

しかし、意外と、○○を目標として頑張ったのち、その後どうするか、どうしたいのか、まで自分自身に問いかけてみますと、答えは「別に・・・」「これと言って・・・ないなぁ」です。

奥さんのように、「何をするにも強い願望がない」「生徒死『死生観』について考える(思いに耽る)」「もっと一生懸命に生きたい」と思う気持ち・心をお持ちの方は、ごく普通に日々を生活して、それで何も問題意識を持たずに十分の生き方としている人よりも、何十倍も真剣に自分自身を捉えている・見ている、立派で素敵な心の持ち主だと、私は感じますよ。

「人生とは」「これでいいのだろうか」「今の自分ではいけない」「生きがいをもっていきたい」を考えるということは、自己を見つめ直し、反省の念も持てる心を持っている人間として素晴らしい人だと思います。

ただ、今の思いを払拭するにはどうしたらよいか・・・ですよね。

スカッとしない、心のどこかが晴れ渡らない、まず何をどうしたらよいのかも自分自身のことなのに分からない場合の解決方法に「これっ!」というものはありませんよね。。。

私の場合、明確な目標が無くても、「あの人(社員)頑張ってるな、負けたくないっ」と何の根拠も無く、張り合おうという気持ちが湧いてきます。単純なのでしょうね。

あとは、パチスロが好きな人、お酒が好きな人と実際のところは変わりませんが、不動産投資をやってみようと動いてみたり。これは、遊びとリスク、そして報酬(成功)のはざまのドキドキ感を求めている面もあります。ギャンブルと同じです。

自分で「(自分自身に錯覚を起こさせて)生きがいになるようなもの、生きがいと感じるものを創っている」とでも言うのでしょうか。そのような感じで「これをやることが生きがいに繋がるんだ」と、自分自身に思わせているように思います。

もちろん、現実に引き戻されることだってあります。20日(金)に子会社の社員さん役員さんと8名で飲みに行きました。そのとき、「○○さんは、結婚しないの?もしかして男のほう(ホモ)?」と笑いながら言ってきた人がいました。

いちいち、結婚相手の彼女が事故で亡くなって・・・なんて説明するのが面倒で、適当にあしらいましたが、しかし、そういう時に「俺って、何で子会社の経理も見ながら、そして今ここで働いているのだろう」「不動産賃貸もやって収入を得ても、その後どうしたいのだろう」「何のために生きているんだろう」と、ふと、考えてしまいました。

その社員は、酒を飲みながら、自分の子供は、私達が勤めているグループ会社で、資本金1億円超の子会社へ自分の子供を就職させたと話していました。

家族、家庭、子供の成長、ねえ。。。

そう思っていると、どこかその辺りのごく普通に皆が求める幸せを求めなくなっている自分を感じました。

そして、また「何やってんだろう・・・」と思いましたね。

しかし、私は、彼女が先立ってからというもの、理想型というものは「無い」と思うようになりました。

よく聞いたり、耳にしたりしますが、結婚しても離婚したり、親より先に子が亡くなったり、妻が先立って夫は落ち込んでばかりで体調を崩し入院して寝たきりになったり・・・

人生、生きている間、全てがずっとハッピーで、何をやっても幸福感や満足感を得られ続けるということは100%無いと思っています。

今は幸せそうに見える他人でも、いつかは何かしらの躓きがあります。それは、幸せな、悩み事の無い日々が長ければ長いほど、幸せ感にずっと浸っている分、衝撃も大きいものです。その最大の出来事が「死別」です。今まで、幸せで楽しく過ごした日々はいつかは別れと共に無くなります。

それまで、例えば60歳、70歳までずっとハッピーであっても、いつか必ず訪れるのが「死別」とそれに伴っての苦悩・苦痛・空虚感・悲しみです。

ですから、奥さんは、死生観を持ち、また自分は何をすべきなのか、どうしたら生き生きとした人生が訪れるのか悩んでおりますが、この今の状況はきっと将来において活かされる経験だと思いますよ。強く生きる心を今鍛えておられるということです。

・・・

ただ、具体的に、どうしたら、悶々とした今を抜けられるのか・・・ですよね。

私の場合ですが、1つだけ「あぁ、これは清々しい」「これの光景を見ると、どこか小さなことで悩んでいた自分がすごくちっぽけだった」「何か生きる、生き抜く気持ちが湧いてきた」と感じた場所があります。

それは、滋賀県の伊吹山です。
登山なんてはしんどいので・・・私が訪れた日、ドライブウェイを車で登りますと、頂上付近に近づくと霧が立ち込めていました。実際には霧ではなく、雲の中でした。
そして、結構広い駐車場に車を止めて、そこからは歩いて頂上へ。頂上へ着くと食事もとれて、おみやげも売っている小屋もあり、別の楽しみもありましたが、この頂上まで行くと、雲の上に出ました。飛行機の機内から見る光景で辺りをグルっと見渡せました。飛行機の場合、飛んでいる窓から見るだけですが、大地に足をつけて立ちますと、「おおっ、何だかスカッとする」「自分は、何か分からないけど、何かをやるために生まれてきて、生かされている」という感じがしました。

どこか、お近くでそのような場所があれば、息抜きも兼ねて出かけて見てはいかがでしょうか。
返信する
ありがとうございます。 ()
2014-03-26 23:02:13
管理人様、アドバイスをありがとうございました。御礼が遅くなってしまい、ごめんなさい。
自分の生き方に正しいも何も答えはないのに、他人から言われることで酷く傷付く事が多々あります。それは尊敬してる人だったり、親や兄弟だったり、…私にヤジの矛先が向いているわけでなくとも、自分もそのようにみられているのではないかと考えてしまいます。結局、本当はみんな自分が大切なのになんで人は他人の行動に思いやりがないとか助け合う精神がないのだとか言えるのでしょう。
管理人様が一緒に飲みに行った人の態度(本人は冗談のつもりでしょうが…)も、私は周りにそんなひとがいたらすぐに関わりを無くそうと行動してしまいます。未熟ですが、そうした方がストレスも少なくなります。しかしながら、就職をするに当たり、そのように行動すると自分が取り残された気がしてきました。げんに、情報収集も乏しいです。
まだ、まだ、人生を模索する時間が長くなりそうです。(^^;)
管理人様が私にアドバイスをくださったこともチャレンジしてみたいと思います。ありがとうございました。
返信する
Unknown (管理人)
2014-03-27 21:30:06
奥さま、コメントありがとうございます。

やはり、自分自身が傷つくのは嫌ですよね。出来るだけ避けたいものです。

しかし、相手があることですから、なかなかそうはさせてくれなかったり。。。

本当に「お付き合いの飲み会」「職場内、社内で円滑にやっていくため『だけ』の付き合い」というのは、社会人となって今日まで振り返りますと、とても多いなぁと感じています。

他人(自分以外の人)からの一言で右往左往したり、夜眠れないくらい考え込んでしまったりと色々あり、精神的に疲れることもあります。

細かなことで言えば、会話の中での言い回し方一つで、こちらはそう(悪意・悪い)とは思っていなくても、捉えられてしまい、関係にヒビが入ることもあります。

難しいですよね。

しかし、自分も何気ない会話の中で、相手の気持ちをブルーにしてしまっていることもあるかと思います。気づかないうちに。

そう考えますと、細かなことまで気配りするのか、ある程度ラフに生きながら適当に付き合うのか、どちらかの選択になってしまうのではないでしょうか。それなら、10人から10人全てに好かれることは、まず難しいですので、気が乗らない集まりに参加するという「お付き合い」の中で、自分と気が合う人とでも出会えればいいかな、程度で気楽に人と接していけば良いかと思います。

家族などは、日常嫌でも会いますので、なかなかそうは行きませんがね。

「考え込みすぎると、行動ができなくなる」これは確かにそうだと思います。

「聞き流せる姿勢が取れるようになると、足取りも軽くなる」これも確かにそうだと思います。

・・・

考え込みすぎることも悪いことだとは思いません。しかし、適当な面も持ちあわせると、少しは気持ちが楽になりますよ。

一歩づつ、歩んで行けばよいのですよ、と私はそう思います。

あれこれ、細かなことを考えるとき(そういう思考のモードのとき)もあります。しかし、成るようにしかならない面も社会を生きていく中では多々有りますので、そのあたりの理想と現実を織り交ぜて、今を、その一瞬、瞬間を生きていけば、それで十分ではないでしょうか。

私は、勝手に世間の目を感じて、学生時代に行きたかった大学の大学院まで行きました。しかし、行ってみると満足感はありましたが、その後はこれといって何もありません。確かに学んだことは有意義だったとは思います。しかし、結局のところは、自分で切り開いて行くしかないのだということを知りました(感じました)

それなら、出来るだけ居心地の良い勤め先・居場所をゆっくりと、そしてじっくりと見ながら見つけて行こうという気持ちになりました。

10年後、20年後を考えるときもあります。しかし、やはり「先のことなどは分からない」が正解かなと思っています。「今が全てではない」ということですね。

またお気軽にお立ち寄りください。

コメントありがとうございました。

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