ちょっと、ここ数日寝込んでいまして、そこで久しぶりに
江原啓之氏の「スピリチュアル人生相談室」中央公論社を
読んでいました。
ブログで振り返ると、以前読んだのが、2007年5月24日。
3年8ヶ月振りでした。
月日が経つのって早いですね。。。
当時、中学や高校生なら卒業していますね。
江原啓之氏は、「そもそも人はなぜ病気になるのでしょうか」
とおっしゃられ、次の3つの種類を挙げています。
1つは「肉体の病気」
身体の酷使や過労によってかかる病気で、身体を休ませる
ことで治せる病気であり、裏を返せば「身体を休ませるため
にかかる病気」とも言えると言っています。
そして、
2つめは、
「『魂(たましい)の病気』。これは自分の思いぐせからくる
ものです」「どんな思いぐせが、何の病気をもたらすかは、
ある程度決まった傾向があります」
「たとえば、やきもちやきは呼吸器を、怒ってばかりいる
人は肝臓を、ものごとを深く見ない人は目を悪くしやすい、
といった具合です」
「『魂の病気』は、そうした思いぐせを矯正するためになる
ものなので、思いぐせを改めれば、病気もしたいに癒えてきます」
「『難病が奇跡的に治った』『がんが消えた』ということが
起こりやすいのは、このタイプの病気です。」
3つめは、
「『霊(も→たましい)の病気』その人の寿命や、生まれながら
に持っていた因果にかかわるいわば宿命の病気です」
「こうした病気を得たら、いかに治すかよりも、いかに
その病気と仲良くつき合っていくか、場合によっては、
いかに死を迎えるかを考えることが大切です」
と江原啓之氏は語っています。
・・・
言われることは、分かりますが、2と3との区別や判断が
難しいですよね。
結果(生き返った又は亡くなった)まで行かないと、どう
捉えたらよいのかが、治療中という途中過程では判断しかねる
ことだと思いました。
しかし、ふと、「これはもしかして・・・」
と思ったことが一つありました。
それは、別の書籍 鈴木秀子 著「神は人を何処へ導くのか」
クレスト社で鈴木秀子氏がおっしゃっている「あ、この人は
与えられた寿命が延びるんだ、と分かるときもあります。
大丈夫だ、という強い直観が働くのです。」というところです。
これは、江原啓之氏でいう「魂の病気」だったために、
命を落とさずに済んだ,死ぬべきとき(江原氏の考える変え
られない宿命である寿命)ではなかったという話に繋がる
ことだと思いました。
鈴木秀子氏のカテゴリーに、江原啓之氏の寿命との繋がりを
推測で書いていましたが、本書を改めて読んでいまして、
「見落としていた・・・江原さんもちゃんと語っていたんだ」
ということを知りまして、改めて魂の病気・霊の病気から
寿命=宿命との繋がりや、寿命は延びるものなのか否かに
ついて考えました。
私は・・・
12月まともに休んでいなかったので、「身体を休ませる
ための病気(肉体の病気)」になったのかなと思いました。
インフルA型。。。
もうほぼ完治しましたが、会社へ行けば仕事が山のように
溜まっているかと思うと、今度は出社拒否になりそうです。
江原啓之氏の「スピリチュアル人生相談室」中央公論社を
読んでいました。
ブログで振り返ると、以前読んだのが、2007年5月24日。
3年8ヶ月振りでした。
月日が経つのって早いですね。。。
当時、中学や高校生なら卒業していますね。
江原啓之氏は、「そもそも人はなぜ病気になるのでしょうか」
とおっしゃられ、次の3つの種類を挙げています。
1つは「肉体の病気」
身体の酷使や過労によってかかる病気で、身体を休ませる
ことで治せる病気であり、裏を返せば「身体を休ませるため
にかかる病気」とも言えると言っています。
そして、
2つめは、
「『魂(たましい)の病気』。これは自分の思いぐせからくる
ものです」「どんな思いぐせが、何の病気をもたらすかは、
ある程度決まった傾向があります」
「たとえば、やきもちやきは呼吸器を、怒ってばかりいる
人は肝臓を、ものごとを深く見ない人は目を悪くしやすい、
といった具合です」
「『魂の病気』は、そうした思いぐせを矯正するためになる
ものなので、思いぐせを改めれば、病気もしたいに癒えてきます」
「『難病が奇跡的に治った』『がんが消えた』ということが
起こりやすいのは、このタイプの病気です。」
3つめは、
「『霊(も→たましい)の病気』その人の寿命や、生まれながら
に持っていた因果にかかわるいわば宿命の病気です」
「こうした病気を得たら、いかに治すかよりも、いかに
その病気と仲良くつき合っていくか、場合によっては、
いかに死を迎えるかを考えることが大切です」
と江原啓之氏は語っています。
・・・
言われることは、分かりますが、2と3との区別や判断が
難しいですよね。
結果(生き返った又は亡くなった)まで行かないと、どう
捉えたらよいのかが、治療中という途中過程では判断しかねる
ことだと思いました。
しかし、ふと、「これはもしかして・・・」
と思ったことが一つありました。
それは、別の書籍 鈴木秀子 著「神は人を何処へ導くのか」
クレスト社で鈴木秀子氏がおっしゃっている「あ、この人は
与えられた寿命が延びるんだ、と分かるときもあります。
大丈夫だ、という強い直観が働くのです。」というところです。
これは、江原啓之氏でいう「魂の病気」だったために、
命を落とさずに済んだ,死ぬべきとき(江原氏の考える変え
られない宿命である寿命)ではなかったという話に繋がる
ことだと思いました。
鈴木秀子氏のカテゴリーに、江原啓之氏の寿命との繋がりを
推測で書いていましたが、本書を改めて読んでいまして、
「見落としていた・・・江原さんもちゃんと語っていたんだ」
ということを知りまして、改めて魂の病気・霊の病気から
寿命=宿命との繋がりや、寿命は延びるものなのか否かに
ついて考えました。
私は・・・
12月まともに休んでいなかったので、「身体を休ませる
ための病気(肉体の病気)」になったのかなと思いました。
インフルA型。。。
もうほぼ完治しましたが、会社へ行けば仕事が山のように
溜まっているかと思うと、今度は出社拒否になりそうです。
お体、大丈夫ですか?
早くお元気になられますように・・。
ブログ拝見してちょっぴりため息。
夫のガンは 宿命だったのか?それとも思い癖だったのか?
思い癖なら 心を入れ替える導きをしてあげれば 今もなお仲良く生きていられたのでは?・・などと考えてしまいまして。
でも、ガンになった時に自分で
「バチがあたったんだから気持ちを入れ替えて生きていかないと」って言ってましたし、実際その後の期間は本当に人が変わったようでした。
ただ・・・私たちにはそうでしたが、実はいろいろ事情があり実の父や妹には最期まで憎しみに近い感情を抱えていて、それはさすがの私にも どうにもしてあげれなかった・・
逝ってしまったのは、その思い癖を変えれなかったせいかもしれないし、それを「学び」として父や妹と夫がプログラムしてきたのかも知れない・・
複雑な心境です。
コメントありがとうございます、どこかホッっとしましたよ。
お話の内容を読ませていただいて、
どちらがどう・・・と言うのは、私では・・・ごめんなさい。
ただ、亡くなられたという現実から考えれば、私の亡き彼女もそうですが、「『寿命』=『宿命』」あるいは「『霊の病気』=『寿命』=『宿命』」であったのではないかと思えますがどうでしょうか。
・・・
あと、monさんがおっしゃるように父さん、妹さん、そして旦那さんが生まれる前に設定してきたプログラムだと思いますよ。
旦那さんの死を通して、残された者が自分の心の内で乗り越えるというのも含まれているように思います。
私も、ふと読みかじった際に、これはと思ったところをブログに書いていますので、気を落とされたのならごめんなさい。
でも!これだけは信じて生きていきましょうよっ!
「人は死んでも生きている」
「死後、逢いたい人に必ず逢える」
ということを☆
あとは、目の前の課題を一つ一つこなしていく、今はただそれだけでも十分ではないでしょうか。
お互い、ぼちぼちと歩んでいきましょうね。
気にかけていただいていたようで嬉しかったです。
ブログはいつも拝見してますよ♪
昨日でちょうど7ヶ月がたちました。
おっしゃる通り、私が遺されたことも そしてここから前を向いて歩んでいくことも・・・全て夫と共に私自身がプログラムしてきたことだと 今は思えています。
もしかしたら、生きている時よりもずっと一緒にいられて幸せだと感じる時さえあります。
「貯蓄」に関するブログも 私にはグッドタイミングで・・
夫が残してくれた遺族年金は貯蓄にまわし、なかった物だと思わないと働く意欲が出ないなぁ~と思っていたところでした。
だから、不思議ですけど管理人様との出会いも偶然ではないしちゃんと繋がっていると思います。
もちろん「人は死んでも生きている」も「死後、逢いたい人に必ず逢える」は事実だと確信しています。
この7ヶ月の間に 姿が見えたわけではありませんが、夫がちゃんと側にいてくれる・夫と繋がっていると確信できる出来事をいくつも経験しましたから。
今もコメントうっていたら 床がミシミシいいだし・・息子を呼んだら音が止みました。
変ですよね~
またコメントさせていただきますね。
あまり無理されないように!!
早くお体治してくださいね。
死別の悲しみというのは経験したくないものですが、でもよくよく考えてみると、お互いが生まれてくるときに決めてきたプログラムなのかも知れないと思ったりしますよね。
・・・
先立たれて、改めてその人の存在や一緒に居てくれたから、ここまで来れた,もっと一緒に居たかったけど、今まででも十分に尽くしてくれていた,など、特に世間一般の平均寿命よりも早くに亡くなられると、多くの過去(生前のこと)を思い出して、人一倍、今まで一緒に歩んできた相手に感謝する気持ちが持てているようにも思いますし、そのような気持ちはなかなかごく普通の日々を暮らしていましたら、持てないものだと思います。
・・・長年連れ添って、それなのに喧嘩別れや殺傷事件を起こしたりしている夫婦や恋人同士の報道を見聞きしますと、「突然だったけど・・・時は止まったままだけど・・・他人かれ見れば、不幸な人生に見えるかもしれないけど・・・仲良しのままで、さようならが出来たことは良かったと思おうかな・・・」なんて考えたりするときもあります。
死別という別れで、引き裂かれた感は拭えませんが、私の心の中ではイメージや印象の良い?明るく優しい彼女のままですので、それだからこそ、今も「あの世で楽しくしてるのかな?」「自分が死んだら、逢えるのかな?逢いたいなぁ」という気持ちでいられるのだと思っています。
これが、70歳、80歳と連れ添っていたら、それでも今のように想う気持ちが続いていただろうか、と考えると、人生には色々なことが起こりますし、喧嘩もするでしょうし、居ても何とも想わない存在同士になっていたかも知れないでしょうし、お互いが認知症になり深く相手が居てくれたことを、しみじみ想うような時間も取らずに老いていっていたかも知れませんので、そう考えていましたら、今の状況での別れが最悪で悲惨で悪い別れ方(この世での)だとは、思わなくなりました。
・・・
自分自身がボケてきて、すぐにカッとなって、自然と暴力を振るうようになり、たまたま些細なことで腹が立って老いた妻を叩いたら亡くなったなんてニュースも聞きますので、それこそ「そんなつもりではなかった」「自分の甘えから相手に当たってしまって、それでこんな大それたことになってしまった」など反省しても取り返しが尽きませんよね。
「先のことは分からない」
あれこれ計画しても、いつ死ぬのかも分からないのですから、お互い、今このときをしっかり生きていきましょうね。
貯金も大切ですよね。私も「死=いつでも来い」とは思っていますが、反面、生き抜く糧も貯めつつで行こいうと思っています。
・・・
色々と不思議なことが起こっていますね。私も霊は見ていませんが「えっ?」ということは亡くなってから1年くらいはありました。
きっと見守ってくれているんですよ。それか、心配で近くをうろうろとしているかです。私は気が済むまで傍に居てくれたらいいと思ってきました。
コメントありがとうございました。
またお気軽にお立ち寄りください☆