<千葉2遺体>父が無理心中か…交通事故後遺症の娘も死亡
1月27日21時49分配信 毎日新聞
27日午後2時55分ごろ、千葉県野田市野田、会社員、岩崎徹さん(63)方
で、岩崎さんが1階玄関脇の階段下で首をつって死亡しているのを、帰宅した妻
(61)が見つけ119番した。消防隊員らが駆けつけたところ、同居する岩崎さ
んの長女で無職、菊島奈緒美さん(34)も、1階の自分のベッドで、首に電気コ
ードが巻かれ、あおむけの状態で死んでいた。県警野田署は無理心中の可能性が高
いとみて調べている。
調べでは、奈緒美さんは昨年3月に交通事故に遭い、後遺症が悪化し寝たきりだっ
たという。1階台所に徹さんが書いたとみられる複数の遺書があった。
・・・
胸が締つけられる出来事です。。。
娘さんも辛かっただろうし、娘さんのその姿を見て共に暮らし、そして娘を手に
かけたお父さんも言い表せないくらい辛かったことと思います。
こういう事件を聞く度に、この世を生きるのって辛いなぁと、つくづくそう思い
ます。
昨年3月までは親子三人で、普通の幸せの中をごく普通に暮して来たことと思い
ます。
娘さんの交通事故は、後遺症に悩まされ、寝たきりになるくらい、酷い事故だっ
たのですか。。。
お父さんが娘の姿を見て可哀想で手にかけたのか
娘さんがそう(死にたいと)望んだのか
それは分かりませんが、どちらもあったのではないでしょうか。
・・・
私達は、普段忘れていることがあると思います。
それは、「常に死と隣り合わせにいる」ということを。
他人事には思えません。
何がきっかけで、何気なく普通に暮していた生活が突然音を立てて崩れるのか
なんて、それが明日であっても、まったく分かりません。
・・・
「大往生」
大往生が出来た人、この世の人生をまっとう出来た人は、本当に幸運な人だと
思います。ある程度長生きして歳の順でお迎えが来たり、子や孫の成長をある
程度見届けてからこの世を去れるというのは、ホント幸せな時間をこの世で過
ごせたと言えるのではないでしょうか。
人生の途中に何が起こるかまで全て察知して、それを事前に旨く避けきれる人
なんて一人もいません。
だから、「人生いろいろあったけど、80歳まで生きてきた」
と言える人は、辛いこともあった人生でしょうけど、やっぱり総合してみると、
「幸せにこの世を生きることができた幸運の人」だと思います。
常に健康に気を使い、歩く道も車に注意していても、
頭上から外れるはずもない看板が落ちてきて当たる
ということもあります。
・・・
お父さんが悪いわけでも、また娘さんが悪いわけでもない。
私は、神はなぜこれほどまでの試練をこの家族に与えなければならなかったのか
と思いました。何のために人は辛くても生き抜かないといけないのか、私は、
こういう事件を見聞きするたびにそう思ってしまいます。
神は・・・
あの世という世界があり、神なるものが本当に存在するのであれば、
「人はこれほどまでの試練をなぜ受けないといけないのか」
「神は、個々の魂に対して何を求めているのか」
「それは、その辛い経験は本当に身をもって味わなないといけないものなのか」
「そのことが、のちのちの世(あの世)でどう生かされるのか」
「この世でこれほど辛い試練を乗り越えることに、本当に有用性があるのか」
と問いたいです。
・・・
このお父さんに対して、
「娘を殺すなんて間違ったことをした父だ」
「お父さんはもっと強い気持ちで娘と共に生きないといけなかった」
と言葉で横からそういうのは簡単なことです。
しかし、自分自身が同じ立場におかれたとき、果たしてそこまで物事を落ち着いて
考えられるでしょうか。。。
実際に今まさに同じ境遇の中で耐え抜いている方もいらっしゃるでしょう。
しかし、悩み抜き、そして疲れ果てる人だっていると、私は思います。
神なる存在が、本当にいるのであれば、娘さんはもちろんのこと、このお父さんの
魂を救ってあげて欲しいと願います。
1月27日21時49分配信 毎日新聞
27日午後2時55分ごろ、千葉県野田市野田、会社員、岩崎徹さん(63)方
で、岩崎さんが1階玄関脇の階段下で首をつって死亡しているのを、帰宅した妻
(61)が見つけ119番した。消防隊員らが駆けつけたところ、同居する岩崎さ
んの長女で無職、菊島奈緒美さん(34)も、1階の自分のベッドで、首に電気コ
ードが巻かれ、あおむけの状態で死んでいた。県警野田署は無理心中の可能性が高
いとみて調べている。
調べでは、奈緒美さんは昨年3月に交通事故に遭い、後遺症が悪化し寝たきりだっ
たという。1階台所に徹さんが書いたとみられる複数の遺書があった。
・・・
胸が締つけられる出来事です。。。
娘さんも辛かっただろうし、娘さんのその姿を見て共に暮らし、そして娘を手に
かけたお父さんも言い表せないくらい辛かったことと思います。
こういう事件を聞く度に、この世を生きるのって辛いなぁと、つくづくそう思い
ます。
昨年3月までは親子三人で、普通の幸せの中をごく普通に暮して来たことと思い
ます。
娘さんの交通事故は、後遺症に悩まされ、寝たきりになるくらい、酷い事故だっ
たのですか。。。
お父さんが娘の姿を見て可哀想で手にかけたのか
娘さんがそう(死にたいと)望んだのか
それは分かりませんが、どちらもあったのではないでしょうか。
・・・
私達は、普段忘れていることがあると思います。
それは、「常に死と隣り合わせにいる」ということを。
他人事には思えません。
何がきっかけで、何気なく普通に暮していた生活が突然音を立てて崩れるのか
なんて、それが明日であっても、まったく分かりません。
・・・
「大往生」
大往生が出来た人、この世の人生をまっとう出来た人は、本当に幸運な人だと
思います。ある程度長生きして歳の順でお迎えが来たり、子や孫の成長をある
程度見届けてからこの世を去れるというのは、ホント幸せな時間をこの世で過
ごせたと言えるのではないでしょうか。
人生の途中に何が起こるかまで全て察知して、それを事前に旨く避けきれる人
なんて一人もいません。
だから、「人生いろいろあったけど、80歳まで生きてきた」
と言える人は、辛いこともあった人生でしょうけど、やっぱり総合してみると、
「幸せにこの世を生きることができた幸運の人」だと思います。
常に健康に気を使い、歩く道も車に注意していても、
頭上から外れるはずもない看板が落ちてきて当たる
ということもあります。
・・・
お父さんが悪いわけでも、また娘さんが悪いわけでもない。
私は、神はなぜこれほどまでの試練をこの家族に与えなければならなかったのか
と思いました。何のために人は辛くても生き抜かないといけないのか、私は、
こういう事件を見聞きするたびにそう思ってしまいます。
神は・・・
あの世という世界があり、神なるものが本当に存在するのであれば、
「人はこれほどまでの試練をなぜ受けないといけないのか」
「神は、個々の魂に対して何を求めているのか」
「それは、その辛い経験は本当に身をもって味わなないといけないものなのか」
「そのことが、のちのちの世(あの世)でどう生かされるのか」
「この世でこれほど辛い試練を乗り越えることに、本当に有用性があるのか」
と問いたいです。
・・・
このお父さんに対して、
「娘を殺すなんて間違ったことをした父だ」
「お父さんはもっと強い気持ちで娘と共に生きないといけなかった」
と言葉で横からそういうのは簡単なことです。
しかし、自分自身が同じ立場におかれたとき、果たしてそこまで物事を落ち着いて
考えられるでしょうか。。。
実際に今まさに同じ境遇の中で耐え抜いている方もいらっしゃるでしょう。
しかし、悩み抜き、そして疲れ果てる人だっていると、私は思います。
神なる存在が、本当にいるのであれば、娘さんはもちろんのこと、このお父さんの
魂を救ってあげて欲しいと願います。
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