「学ぶ」資金も底を尽き、一番貧しい暮らしをしていたのが、
2000年4月(平成12年)~2003年4月(平成15年)の約3年間
でした。大学院の2年間と研修生の1年間の間。
ホント、貧しかったです。
とにかく、夜は工場のアルバイトで月10万円~+2、3万円稼ぎ、生活と
学費を稼いでいた頃です。
-恥ずかしい話-
恥ずかしい話があります。
近くにローソンがあるのですが、深夜あまりにもお腹が空いてしまいまして、
唯一持っていたイオンクレジットのカードで、お弁当を1つ買いました。
確か500円くらいのものでした。
現金は、500円も持っていませんでした。
レジで、「カードで」と言い、カードを差し出しましたら、そのカードが
何度機械を通しても、使えないのです。
お弁当は「チン」されて、温まってしまっています。
カードは生きていたのですが、たまたまその日は0~7時までの間、ローソンは
カードシステムの整備中で使用できなかったのです。
アルバイトの子が「あれ?」「あれ?」と何度もスキミングしていましたら、
オーナー店長が来て、ことの事実を知りました。
どうしよう・・・500円も持っていない・・・と、思ってましたら、「商品は
持って帰ってください。」
「また来たときにでも、払ってくれたらいいですから」
と言っていただき、その場は、代金を払わず、温かい弁当を持って、とぼとぼと
帰りました。
有難かったですが、ホント涙が出るくらい、情けなかった。
朝7時。一番に代金を払いに行きました。
しかし、郵便局も空いていない時間。
またレジで「先ほどはすみません。」「『カード』でお願いします。」と。。。
大学院へ行くと決めたのは自分です。
自分が決めた道。
だけど、情けなくて、辛くて夜の星空を見上げると涙が出ました。
その建物を、久し振りに見にいってみると・・・
まだありました。
壊されているよと、2年前に同じく当時社会人大学院生であった人が言ってまし
たので、てっきり無くなっていると思っていました。
私の住んでいた隣のとなりにあった古家でした。
(そう言えば、その人は亡き彼女のお父さんが働いている街(市)の出身で、駅
前の某百貨店に勤めていた課長さんでした。そうそう。そうです。
この方も苦労人で、私が住んでいた部屋も見に来たそうですが、さすがに「住め
ない」と思ったそうです。今、某国公立大学の専任講師になられています。)
・・・
-懐かしい住まい-
家賃17,000円、四畳半一間、台所は共同、トイレも共同で建物の外、
風呂は無く、近くの銭湯へ・・・
もちろん、エアコンなんてありません。
(中部屋2部屋は、角と比べて窓が1つしか無いということで、15,000円)
これがその建物の内側です。
とにかく、部屋だけでなく、廊下も狭いです。
そして、台所は、
2階への階段は、外から上がるようになっています。
階段を上がってくると
こんな感じのところでした。
昭和の時代ではありませんよ☆
平成でもちょっとこの前のことです。
・・・
この部屋にいた頃に、彼女と出会い、こんなボロ屋に住んでいる私のところへ来て
泊まっても帰りました。
亡き彼女は、その時から観音様のような優しい柔らかい笑顔で、私を見てくれて
いました。
本当に優しい彼女でした。
だから、支えてくれた彼女には何でもしてあげたかったんです。
でも、私のそばに居れたらいいと、何も他には願いを言いませんでした。
ただ彼女は「いつかは、私の街に来てくれるよね。来てね。」
とだけ言っていました。
私は、彼女の望みなら何でも聞きたいと思っていましたので、結婚資金、いや
当面の生活が出来る分だけ貯めたら行こうねと、何度も将来について話し合って
いました。
・・・
彼女のことを思い出に変えれると思いますか?
私を支えてくれた彼女のことを忘れられると思いますか?
私は、今はもうあの世に逝ってしまった彼女であっても、何でもしてあげたいん
です。
・・・
でも、霊視してもらっても「何もない」と彼女は返してきます。
だから、夜寝る前に、スピリチュアルな話、私が知ったあの世の話や仕組みを、
亡き彼女に向かって語りかけることで、少しでもより明るい世界で待ってて欲し
いと願っています。
幸せに暮していてほしい。
この世から、私に出来ることなんて、こんなことくらいです。。。
2000年4月(平成12年)~2003年4月(平成15年)の約3年間
でした。大学院の2年間と研修生の1年間の間。
ホント、貧しかったです。
とにかく、夜は工場のアルバイトで月10万円~+2、3万円稼ぎ、生活と
学費を稼いでいた頃です。
-恥ずかしい話-
恥ずかしい話があります。
近くにローソンがあるのですが、深夜あまりにもお腹が空いてしまいまして、
唯一持っていたイオンクレジットのカードで、お弁当を1つ買いました。
確か500円くらいのものでした。
現金は、500円も持っていませんでした。
レジで、「カードで」と言い、カードを差し出しましたら、そのカードが
何度機械を通しても、使えないのです。
お弁当は「チン」されて、温まってしまっています。
カードは生きていたのですが、たまたまその日は0~7時までの間、ローソンは
カードシステムの整備中で使用できなかったのです。
アルバイトの子が「あれ?」「あれ?」と何度もスキミングしていましたら、
オーナー店長が来て、ことの事実を知りました。
どうしよう・・・500円も持っていない・・・と、思ってましたら、「商品は
持って帰ってください。」
「また来たときにでも、払ってくれたらいいですから」
と言っていただき、その場は、代金を払わず、温かい弁当を持って、とぼとぼと
帰りました。
有難かったですが、ホント涙が出るくらい、情けなかった。
朝7時。一番に代金を払いに行きました。
しかし、郵便局も空いていない時間。
またレジで「先ほどはすみません。」「『カード』でお願いします。」と。。。
大学院へ行くと決めたのは自分です。
自分が決めた道。
だけど、情けなくて、辛くて夜の星空を見上げると涙が出ました。
その建物を、久し振りに見にいってみると・・・
まだありました。
壊されているよと、2年前に同じく当時社会人大学院生であった人が言ってまし
たので、てっきり無くなっていると思っていました。
私の住んでいた隣のとなりにあった古家でした。
(そう言えば、その人は亡き彼女のお父さんが働いている街(市)の出身で、駅
前の某百貨店に勤めていた課長さんでした。そうそう。そうです。
この方も苦労人で、私が住んでいた部屋も見に来たそうですが、さすがに「住め
ない」と思ったそうです。今、某国公立大学の専任講師になられています。)
・・・
-懐かしい住まい-
家賃17,000円、四畳半一間、台所は共同、トイレも共同で建物の外、
風呂は無く、近くの銭湯へ・・・
もちろん、エアコンなんてありません。
(中部屋2部屋は、角と比べて窓が1つしか無いということで、15,000円)
これがその建物の内側です。
とにかく、部屋だけでなく、廊下も狭いです。
そして、台所は、
2階への階段は、外から上がるようになっています。
階段を上がってくると
こんな感じのところでした。
昭和の時代ではありませんよ☆
平成でもちょっとこの前のことです。
・・・
この部屋にいた頃に、彼女と出会い、こんなボロ屋に住んでいる私のところへ来て
泊まっても帰りました。
亡き彼女は、その時から観音様のような優しい柔らかい笑顔で、私を見てくれて
いました。
本当に優しい彼女でした。
だから、支えてくれた彼女には何でもしてあげたかったんです。
でも、私のそばに居れたらいいと、何も他には願いを言いませんでした。
ただ彼女は「いつかは、私の街に来てくれるよね。来てね。」
とだけ言っていました。
私は、彼女の望みなら何でも聞きたいと思っていましたので、結婚資金、いや
当面の生活が出来る分だけ貯めたら行こうねと、何度も将来について話し合って
いました。
・・・
彼女のことを思い出に変えれると思いますか?
私を支えてくれた彼女のことを忘れられると思いますか?
私は、今はもうあの世に逝ってしまった彼女であっても、何でもしてあげたいん
です。
・・・
でも、霊視してもらっても「何もない」と彼女は返してきます。
だから、夜寝る前に、スピリチュアルな話、私が知ったあの世の話や仕組みを、
亡き彼女に向かって語りかけることで、少しでもより明るい世界で待ってて欲し
いと願っています。
幸せに暮していてほしい。
この世から、私に出来ることなんて、こんなことくらいです。。。
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