この世での死(肉体を脱ぐ)→→幽現界(幽体)→→幽界(幽体)→→第二の死
第二の死によって、幽体をも脱ぎ捨てると江原啓之氏の主護霊である昌清霊は伝え
てきています。
幽体(アストラルボディ、エーテル体)を脱ぎ捨てると、光の玉といいますか、
「光」になると言われています。
江原氏流にいうと、ここからが本当の死後であるとも言っておられます。
確かに、臨死体験した人たちは、生前のままの肉親や友人に会ったという人もいれ
ば、光と会ったという人もいます。
福島大学の飯田史彦教授や聖心女子大学の鈴木秀子教授は、臨死体験をした際に、
光との対話を経験しています。
たぶん、飯田先生や鈴木先生は、高次の世界からの言葉(いわゆる「お告げ」)を
聞いていますので、この世的にいうところの「神」に近い、洗練され随分と浄化も
進んだ意識体(高次の光の存在)と会話したのでしょう。
通常でしたら、あの世からお迎えが来るという場合には、自分が生前知っている者
の魂(意識体)か、坂本政道氏の言われる、自分が知っている先立った者の姿をし
たヘルパーなる存在と出会うのでしょうけどね。
・・・
「第2の死」「第3の死」についてですが、
A・ファーニス 著 「死後世界地図」には、次のようなことが記されています。
霊人:フランチェッツォ氏は「私は、アーリンジマン師から自分の身に起きようと
してる大きな変化に対して準備しておくように言われました。」
「それは、私がより高次の霊界の領域に上昇するということでした。」
ということです。
このとき霊人:フランチェッツォ氏は、「霊界は、いくつもの領域に分かれている
と教えられましたが、それは霊の指導者によって見方が異なっています。」
とも伝えています。
これは、江原啓之氏が「私の主護霊である昌清霊が言うには」とか「昌清霊は類魂
説をとっている。」という言葉にも当てはまります。
霊の指導者によっても、あの世の見方が異なるくらい、階層が無数に分かれている
差別界なのですから、なかなか「1領域12サークルだ」とかは一概には言えない
そうです。
霊人:フランチェッツォ氏は、
「ある上層以上の世界になると、次の世界へ移動するのは、服を着替えるように
霊的な殻を脱ぎ捨てて、より霊妙な殻に変えることで行われるようになります。」
「こうした変化をいく度もくり返しながら、地表の霊界を脱して太陽系の霊界へ
と入っていくのです。」と伝えてきています。
・・・
やはり、飯田史彦教授や鈴木秀子教授、そして江原啓之氏、坂本政道氏の言われる
ように、死後、我々の意識は「宇宙」へと繋がっていくんですね。
・・・
話を戻しまして、
「いつものように地表の霊界への訪問を終えて、『たそがれの国』へ帰還したとき
でした。奇妙な尋常ならざる感覚をともなう圧迫感を感じているうちに、まったく
無気力になりました。」
「夢も見ないで死んだように深い眠りに落ちていきました。」
と記されています。
これもまた、江原啓之氏の主護霊のいう「脱色」に似ていると思います。
「その間に、私はひずんだアストラル体を脱いで、ずっと純粋で明るい霊の殻
をもった新生児のようになったのです。」と霊人:フランチェッツォ氏は語って
います。
新生児のよう?
ただし、幼児として生まれたわけではなく、成熟した完全な霊人として生まれ変わ
ったということだそうです。
霊人:フランチェッツォ氏は、「完璧な無意識の状態のなか、見守る介護の霊人た
ちの助けを借りながら、私の新しい魂は第二の霊界に誕生しました。」と言って
います。
そして、
もしかしたら・・・霊人:フランチェッツォ氏は、生前かなりの放蕩暮らしをして
いた貴族でしたので、通常の人なら、この世からあの世へ逝った際には、ここから
あの世が始まるのではないかと思いました。
人の心も考えず、人の心を傷つけ、放蕩三昧だった霊人:フランチェッツォ氏は、
あかつきの国
------------
第二の死
------------
たそがれの国
↑
希望の家
↑
←←地表の霊界
としていますが、
あかつきの国 ←地表の霊界
↑ ↓
たそがれの国 ↓
↑ ↓
希望の家←←←
だったのではないでしょうか。
<あかつきの国>
「眠りから目覚めると、私のまわりの環境はずっと喜ばしいものに変わっていました。」
「とうとう日の光を見ることができました。」
「それは曇り空から漏れてくる日の光でしたが、それでも暗い夜と陰気なたそが
れ空に比べれば、何という明るい恵みでしょう。」
「シダや牧草が『たそがれの国』の固い不毛の土地とは違って、みずみずしく地
面をおおっていました。」
「木や潅木、花などはほとんどありませんが、それでも私の目には新鮮に映りま
した。」と、そのときの様子を伝えてきています。
・・・
まだ、この「あかつきの国」でさえ、木や潅木、花などはほとんどないのですね。
あの世の世界は、なかなか階層が多くて、多種多様のようです。
そして、ここで霊人:フランチェッツォ氏は、
「『たそがれの国』にいたころの私は、あまりにもやつれ果て、惨めな格好でした
ので、自分の姿を見るのが嫌でした。」
「それがいま、こんなに若くなっているなんて」
と、自身も驚いています。
「手を見ると顔と同じように若々しくなっています。」
「どこから見ても私は青年であり、活力に満ちています。」
・・・
なるほど、「死後世界地図」での第二の死というのは「死後に、故人は一番輝いて
いた姿になる。」というところを指しているんですね。
・・・
それでは、幽体を脱ぎ捨てるという江原啓之氏のいう第二の死は「死後世界地図」
には無いのでしょうか?
あります。
続きは-第二の死、第三の死について②-で紹介いたします。
第二の死によって、幽体をも脱ぎ捨てると江原啓之氏の主護霊である昌清霊は伝え
てきています。
幽体(アストラルボディ、エーテル体)を脱ぎ捨てると、光の玉といいますか、
「光」になると言われています。
江原氏流にいうと、ここからが本当の死後であるとも言っておられます。
確かに、臨死体験した人たちは、生前のままの肉親や友人に会ったという人もいれ
ば、光と会ったという人もいます。
福島大学の飯田史彦教授や聖心女子大学の鈴木秀子教授は、臨死体験をした際に、
光との対話を経験しています。
たぶん、飯田先生や鈴木先生は、高次の世界からの言葉(いわゆる「お告げ」)を
聞いていますので、この世的にいうところの「神」に近い、洗練され随分と浄化も
進んだ意識体(高次の光の存在)と会話したのでしょう。
通常でしたら、あの世からお迎えが来るという場合には、自分が生前知っている者
の魂(意識体)か、坂本政道氏の言われる、自分が知っている先立った者の姿をし
たヘルパーなる存在と出会うのでしょうけどね。
・・・
「第2の死」「第3の死」についてですが、
A・ファーニス 著 「死後世界地図」には、次のようなことが記されています。
霊人:フランチェッツォ氏は「私は、アーリンジマン師から自分の身に起きようと
してる大きな変化に対して準備しておくように言われました。」
「それは、私がより高次の霊界の領域に上昇するということでした。」
ということです。
このとき霊人:フランチェッツォ氏は、「霊界は、いくつもの領域に分かれている
と教えられましたが、それは霊の指導者によって見方が異なっています。」
とも伝えています。
これは、江原啓之氏が「私の主護霊である昌清霊が言うには」とか「昌清霊は類魂
説をとっている。」という言葉にも当てはまります。
霊の指導者によっても、あの世の見方が異なるくらい、階層が無数に分かれている
差別界なのですから、なかなか「1領域12サークルだ」とかは一概には言えない
そうです。
霊人:フランチェッツォ氏は、
「ある上層以上の世界になると、次の世界へ移動するのは、服を着替えるように
霊的な殻を脱ぎ捨てて、より霊妙な殻に変えることで行われるようになります。」
「こうした変化をいく度もくり返しながら、地表の霊界を脱して太陽系の霊界へ
と入っていくのです。」と伝えてきています。
・・・
やはり、飯田史彦教授や鈴木秀子教授、そして江原啓之氏、坂本政道氏の言われる
ように、死後、我々の意識は「宇宙」へと繋がっていくんですね。
・・・
話を戻しまして、
「いつものように地表の霊界への訪問を終えて、『たそがれの国』へ帰還したとき
でした。奇妙な尋常ならざる感覚をともなう圧迫感を感じているうちに、まったく
無気力になりました。」
「夢も見ないで死んだように深い眠りに落ちていきました。」
と記されています。
これもまた、江原啓之氏の主護霊のいう「脱色」に似ていると思います。
「その間に、私はひずんだアストラル体を脱いで、ずっと純粋で明るい霊の殻
をもった新生児のようになったのです。」と霊人:フランチェッツォ氏は語って
います。
新生児のよう?
ただし、幼児として生まれたわけではなく、成熟した完全な霊人として生まれ変わ
ったということだそうです。
霊人:フランチェッツォ氏は、「完璧な無意識の状態のなか、見守る介護の霊人た
ちの助けを借りながら、私の新しい魂は第二の霊界に誕生しました。」と言って
います。
そして、
もしかしたら・・・霊人:フランチェッツォ氏は、生前かなりの放蕩暮らしをして
いた貴族でしたので、通常の人なら、この世からあの世へ逝った際には、ここから
あの世が始まるのではないかと思いました。
人の心も考えず、人の心を傷つけ、放蕩三昧だった霊人:フランチェッツォ氏は、
あかつきの国
------------
第二の死
------------
たそがれの国
↑
希望の家
↑
←←地表の霊界
としていますが、
あかつきの国 ←地表の霊界
↑ ↓
たそがれの国 ↓
↑ ↓
希望の家←←←
だったのではないでしょうか。
<あかつきの国>
「眠りから目覚めると、私のまわりの環境はずっと喜ばしいものに変わっていました。」
「とうとう日の光を見ることができました。」
「それは曇り空から漏れてくる日の光でしたが、それでも暗い夜と陰気なたそが
れ空に比べれば、何という明るい恵みでしょう。」
「シダや牧草が『たそがれの国』の固い不毛の土地とは違って、みずみずしく地
面をおおっていました。」
「木や潅木、花などはほとんどありませんが、それでも私の目には新鮮に映りま
した。」と、そのときの様子を伝えてきています。
・・・
まだ、この「あかつきの国」でさえ、木や潅木、花などはほとんどないのですね。
あの世の世界は、なかなか階層が多くて、多種多様のようです。
そして、ここで霊人:フランチェッツォ氏は、
「『たそがれの国』にいたころの私は、あまりにもやつれ果て、惨めな格好でした
ので、自分の姿を見るのが嫌でした。」
「それがいま、こんなに若くなっているなんて」
と、自身も驚いています。
「手を見ると顔と同じように若々しくなっています。」
「どこから見ても私は青年であり、活力に満ちています。」
・・・
なるほど、「死後世界地図」での第二の死というのは「死後に、故人は一番輝いて
いた姿になる。」というところを指しているんですね。
・・・
それでは、幽体を脱ぎ捨てるという江原啓之氏のいう第二の死は「死後世界地図」
には無いのでしょうか?
あります。
続きは-第二の死、第三の死について②-で紹介いたします。
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