自殺当日、トイレでいじめ-ズボンずり下ろされる
福岡県筑前町の町立三輪中学校2年の男子生徒(13)が自宅で自殺した問題で、
町教育委員会と合谷智校長が町役場で14日、会見し、男子生徒は自殺当日、トイ
レでズボンを少しずり下ろされるいじめを受けていたことを明らかにした。
町教委や合谷校長によると、男子生徒は自殺した11日、放課後の前に、トイレの
中で近くにいた7人の生徒に対し「自分は死ぬ」などと言ったという。
男子生徒は「本気なら下腹部を見せろ」という趣旨のことを言われ、ズボンを無理
やりずり下ろされた。男子生徒は抵抗したという。
合谷校長は「この行為はいじめに当たると考えている」と話した。
また、自殺当日の1、3、5時間目の授業中や休み時間、男子生徒は同級生らに
「死ぬ」「死にたい」などと話した。
6時間目の美術の授業では、同級生と相談しながらスケッチブックに走り書きのよ
うな遺書を記した。いずれも同級生らは本気にしていなかったという。
三輪中学校は男子生徒の自殺後、校内でアンケートや聞き取り調査をした。合谷校
長は「日常的にいじめ行為があったかどうか、今後さらに調査をしたい」と話し
た。
・・・
いじめ行為があったかどうか調査する・・・ですと
どう考えても、いじめ以外なにがあるというのでしょう。
教師の目が行き届いていないというだけの問題ではないように思います。
今の親に問題があるように思います。
先生を先生と思っていない親、
うちの子供だけ良ければいいという自己中心的な考えの親、
家庭や子供を「放任主義」といって、無責任にほったらかしている親、
等、色々ですがようは、
「親自身の人格形成」
が成っていないというところが大きな問題だと思います。
今の格差社会と同じで、親の心の成長にも格差がどんどんひらいて来ている
ように感じます。
到底「親」と呼べないような親が多い。
それは、社会全体が目先、目先と今この時の利得と快楽にばかり走っている
そのなかで働く「子供たちの親」もまた、物質主義、金銭的評価至上主義
ばかりに気をとられているように思います。
では、今の社会が悪いのか?
それは違うと私は考えています。
悪いのは、何でも人のせいにするそのような親自身の心の弱さです。
何が弱いのか、「まぁ、いいや」と自分に甘い、甘すぎるところが心の中に
人一倍多くあるからです。
すべては、子供を育てる親の心の成長の問題だと思っています。
自分の子供は、結局のところ自分(その子の親自身)が教育するしかない
んですから。
他人は心配はしてくれても、人生を転げ落ちていく他人の子供を身を張って
助けてくれるなんてのは、本当に稀でしょう。
結局は、「すべての責任は『親』にある。」ということです。
深夜、コンビニで当たり前のように幼い子供を連れて買い物をする親
平日に子供を学校へ行かさず休ませ、平気で学校をサボらせる親
コンビ二が24H開いていて便利。深夜子供を連れて行ってしまうのは、
便利なコンビニが悪い。という感じでしょう。
親である自分の休みが取れないので、子供を平日学校を休ませて、旅行へ
行ってなにが悪い。と開き直る親も「会社や仕事に『言い訳』を持っていく」
「今」「目先の快楽」といった浅い思慮での考えしか持っていません。
<中途半端な「反公教育」をする親が多いから駄目。やるならトコトンやるべき>
これらの親の考え方で言うなら、
「学校の公教育など当てにならない。」と言って、学校を休ませ、親の思うよ
うに行動し、何かあると「先生や学校の責任じゃ」と責任転嫁をすぐにする。
これが一番多い駄目な親の象徴的な行動でしょう。
しかし、唯一これらの親の中でも、
本当に徹底して、反公教育を「金持ちの親」がそうした場合のみ、例外として
「そうかもしれませんね」と言えるかも知れません。百歩譲って。
そのような親は、公教育を受けさせずとも貪欲にもっと自分の子供に教育をして
います。だってお金は余るほどあるわけですから。
これを、
「マイホームも持っていない。」
「借金ばかりある。」「貯金もない。」
「日々の生活で精一杯の家計。」
「安定した仕事に就いていない。ないしはすぐに仕事をやめる。」
「仕事を転々とする。」
ような親が、「貪欲を徹底して追求し、歪んだ世界や価値観の中ででも苦労も
多く経験した『お金持ちの親』」がしている反教育のマネをするから、タチ悪
い子供が増えるんです。
とことん「反公教育」「偏った考えでの教育」に徹するなら、そういうことを
望む親はまず、彼ら流に言うと、
「たくさんの自由になるカネを蓄えて、公教育にケチをつけ、自由に教育する。」
べきです。
でないと、中途半端な甘やかしだけで育った子供は、
本当に一般人に迷惑だけかける子供になる→やがて20歳が来て一応「大人」
結局、「ゴネ得」「訳のわからないイチャモンつけ」「事件を起こす」大人や
親になってしまうのだから、それこそ「世間の迷惑」です。
世間に悪しか生まない子供など要らない。
刑務所や少年院にも税金がかかっているんだから。迷惑千万。
ワルに生きる、ワルを貫き通す、子供の教育や育て方はオレ流で徹底してやる、
を行うなら、歪んでてもいいですから「お金持ちになってからやって下さい。」
「でないと、あなたの子供は社会の人罪でしかない。」から。
とことんオレ流での子育てをする権利は、「中途半端な親にはない。」
欲や利得に走る親なら、そのような親はまず金持ちになれ。なってから子供に
オレ流を教えろ。です。
今回の記事では「人間形成」の出来ていない親を出きるだけ肯定するため
随分と歪んだ私の思う部分で書きましたが、いじめ行為をした子供が一番の
当事者で悪いのは当然ですが、そのような子供に育てた「いじめをした子の
『親』」は社会に対して、子供以上の大罪があると、私は考えています。
どちらかというと、いくら子供に言っても「ヌカに釘」なんですから。
そのような「相手を思いやる」なんて心を親から教えられ、育ててもらって
いないのだから。
だから、親に責任があると、私はいうのです。
いじめをした子供の親に「厳しい社会制裁」「世間からの厳しい視線」が
必要だと思います。
でないと、この亡くなったお子さんの死が浮ばれません。
この記事を読んで・・・
スピリチュアルな精神から随分反れていると思われるかもしれませんが、
私だって普通の人間です。僧侶や神主ではありませんから。
このようないじめをした子供やその親を憎み罵倒する心があって当然でしょう。
それを隠すほうが「偽善者」です。
自殺までして辛かった日々を訴えた、この中学生の男の子の無念さは誰にも
計ることなどできない。
追加2006.10.21
福岡いじめ 複数生徒が謝罪 遺族に「悪いこと言った」
福岡県筑前町でいじめを苦に自殺した中学2年の男子生徒(13)の父親(40)
が21日未明、遺族に謝罪に来た同級生らがいることを明らかにした。
父親によると、謝りに来たのは男子生徒で複数おり、「ぼくも悪いことを言ってし
まったかもしれない。謝りたい」「ぼくも悪いことをしたかもしれない」などと話
した。中には、中学1年時の担任教諭の言動がきっかけになったと話している生徒
もいるという。
父親は「悩んで言いに来てくれたようだ」とする一方、報道陣からそうした子供た
ちへの思いを聞かれ「よく分からない。何と言ったら良いか」と語った。
また、同校の合谷智校長は20日深夜に遺族宅を訪れ、全校生徒を対象とした3回
目のアンケートを来週実施する方針を説明した。
(産経新聞) - 10月21日8時0分更新
・・・
亡くなった男の子は、もうこの世には帰ってこれません。
しかし、この男の子を死を通して、悪いことをしたという罪悪感や反省の気持ち
に芽生えた生徒たちが出てきたことで、この男の子も成仏できることと思います。
「愛すること=相手を思いやる気持ち」の学びを身をもって教えてくれた彼の
安らかな旅立ちを祈ってあげてほしいです。
・・・ただ・・・心から反省の気持ちで謝っている子供と、そうではなく
「怨まれたら恐い」というTVやホラー映画の影響で、子供心にも、自己のため、
自己の恐怖心から謝っている子供とがいると思います。
それが、また子供ならではの「子供の世界」での考え。
本当の心は、いつか皆逝く精神世界の、自己の一生の回顧の中で、あの時何を
考えていたか、本当の自分の心を必ず知ることになるでしょうけど。
そこで、行くべき世界(あの世での心域で分かれる階層)が定まることでしょう。
福岡県筑前町の町立三輪中学校2年の男子生徒(13)が自宅で自殺した問題で、
町教育委員会と合谷智校長が町役場で14日、会見し、男子生徒は自殺当日、トイ
レでズボンを少しずり下ろされるいじめを受けていたことを明らかにした。
町教委や合谷校長によると、男子生徒は自殺した11日、放課後の前に、トイレの
中で近くにいた7人の生徒に対し「自分は死ぬ」などと言ったという。
男子生徒は「本気なら下腹部を見せろ」という趣旨のことを言われ、ズボンを無理
やりずり下ろされた。男子生徒は抵抗したという。
合谷校長は「この行為はいじめに当たると考えている」と話した。
また、自殺当日の1、3、5時間目の授業中や休み時間、男子生徒は同級生らに
「死ぬ」「死にたい」などと話した。
6時間目の美術の授業では、同級生と相談しながらスケッチブックに走り書きのよ
うな遺書を記した。いずれも同級生らは本気にしていなかったという。
三輪中学校は男子生徒の自殺後、校内でアンケートや聞き取り調査をした。合谷校
長は「日常的にいじめ行為があったかどうか、今後さらに調査をしたい」と話し
た。
・・・
いじめ行為があったかどうか調査する・・・ですと
どう考えても、いじめ以外なにがあるというのでしょう。
教師の目が行き届いていないというだけの問題ではないように思います。
今の親に問題があるように思います。
先生を先生と思っていない親、
うちの子供だけ良ければいいという自己中心的な考えの親、
家庭や子供を「放任主義」といって、無責任にほったらかしている親、
等、色々ですがようは、
「親自身の人格形成」
が成っていないというところが大きな問題だと思います。
今の格差社会と同じで、親の心の成長にも格差がどんどんひらいて来ている
ように感じます。
到底「親」と呼べないような親が多い。
それは、社会全体が目先、目先と今この時の利得と快楽にばかり走っている
そのなかで働く「子供たちの親」もまた、物質主義、金銭的評価至上主義
ばかりに気をとられているように思います。
では、今の社会が悪いのか?
それは違うと私は考えています。
悪いのは、何でも人のせいにするそのような親自身の心の弱さです。
何が弱いのか、「まぁ、いいや」と自分に甘い、甘すぎるところが心の中に
人一倍多くあるからです。
すべては、子供を育てる親の心の成長の問題だと思っています。
自分の子供は、結局のところ自分(その子の親自身)が教育するしかない
んですから。
他人は心配はしてくれても、人生を転げ落ちていく他人の子供を身を張って
助けてくれるなんてのは、本当に稀でしょう。
結局は、「すべての責任は『親』にある。」ということです。
深夜、コンビニで当たり前のように幼い子供を連れて買い物をする親
平日に子供を学校へ行かさず休ませ、平気で学校をサボらせる親
コンビ二が24H開いていて便利。深夜子供を連れて行ってしまうのは、
便利なコンビニが悪い。という感じでしょう。
親である自分の休みが取れないので、子供を平日学校を休ませて、旅行へ
行ってなにが悪い。と開き直る親も「会社や仕事に『言い訳』を持っていく」
「今」「目先の快楽」といった浅い思慮での考えしか持っていません。
<中途半端な「反公教育」をする親が多いから駄目。やるならトコトンやるべき>
これらの親の考え方で言うなら、
「学校の公教育など当てにならない。」と言って、学校を休ませ、親の思うよ
うに行動し、何かあると「先生や学校の責任じゃ」と責任転嫁をすぐにする。
これが一番多い駄目な親の象徴的な行動でしょう。
しかし、唯一これらの親の中でも、
本当に徹底して、反公教育を「金持ちの親」がそうした場合のみ、例外として
「そうかもしれませんね」と言えるかも知れません。百歩譲って。
そのような親は、公教育を受けさせずとも貪欲にもっと自分の子供に教育をして
います。だってお金は余るほどあるわけですから。
これを、
「マイホームも持っていない。」
「借金ばかりある。」「貯金もない。」
「日々の生活で精一杯の家計。」
「安定した仕事に就いていない。ないしはすぐに仕事をやめる。」
「仕事を転々とする。」
ような親が、「貪欲を徹底して追求し、歪んだ世界や価値観の中ででも苦労も
多く経験した『お金持ちの親』」がしている反教育のマネをするから、タチ悪
い子供が増えるんです。
とことん「反公教育」「偏った考えでの教育」に徹するなら、そういうことを
望む親はまず、彼ら流に言うと、
「たくさんの自由になるカネを蓄えて、公教育にケチをつけ、自由に教育する。」
べきです。
でないと、中途半端な甘やかしだけで育った子供は、
本当に一般人に迷惑だけかける子供になる→やがて20歳が来て一応「大人」
結局、「ゴネ得」「訳のわからないイチャモンつけ」「事件を起こす」大人や
親になってしまうのだから、それこそ「世間の迷惑」です。
世間に悪しか生まない子供など要らない。
刑務所や少年院にも税金がかかっているんだから。迷惑千万。
ワルに生きる、ワルを貫き通す、子供の教育や育て方はオレ流で徹底してやる、
を行うなら、歪んでてもいいですから「お金持ちになってからやって下さい。」
「でないと、あなたの子供は社会の人罪でしかない。」から。
とことんオレ流での子育てをする権利は、「中途半端な親にはない。」
欲や利得に走る親なら、そのような親はまず金持ちになれ。なってから子供に
オレ流を教えろ。です。
今回の記事では「人間形成」の出来ていない親を出きるだけ肯定するため
随分と歪んだ私の思う部分で書きましたが、いじめ行為をした子供が一番の
当事者で悪いのは当然ですが、そのような子供に育てた「いじめをした子の
『親』」は社会に対して、子供以上の大罪があると、私は考えています。
どちらかというと、いくら子供に言っても「ヌカに釘」なんですから。
そのような「相手を思いやる」なんて心を親から教えられ、育ててもらって
いないのだから。
だから、親に責任があると、私はいうのです。
いじめをした子供の親に「厳しい社会制裁」「世間からの厳しい視線」が
必要だと思います。
でないと、この亡くなったお子さんの死が浮ばれません。
この記事を読んで・・・
スピリチュアルな精神から随分反れていると思われるかもしれませんが、
私だって普通の人間です。僧侶や神主ではありませんから。
このようないじめをした子供やその親を憎み罵倒する心があって当然でしょう。
それを隠すほうが「偽善者」です。
自殺までして辛かった日々を訴えた、この中学生の男の子の無念さは誰にも
計ることなどできない。
追加2006.10.21
福岡いじめ 複数生徒が謝罪 遺族に「悪いこと言った」
福岡県筑前町でいじめを苦に自殺した中学2年の男子生徒(13)の父親(40)
が21日未明、遺族に謝罪に来た同級生らがいることを明らかにした。
父親によると、謝りに来たのは男子生徒で複数おり、「ぼくも悪いことを言ってし
まったかもしれない。謝りたい」「ぼくも悪いことをしたかもしれない」などと話
した。中には、中学1年時の担任教諭の言動がきっかけになったと話している生徒
もいるという。
父親は「悩んで言いに来てくれたようだ」とする一方、報道陣からそうした子供た
ちへの思いを聞かれ「よく分からない。何と言ったら良いか」と語った。
また、同校の合谷智校長は20日深夜に遺族宅を訪れ、全校生徒を対象とした3回
目のアンケートを来週実施する方針を説明した。
(産経新聞) - 10月21日8時0分更新
・・・
亡くなった男の子は、もうこの世には帰ってこれません。
しかし、この男の子を死を通して、悪いことをしたという罪悪感や反省の気持ち
に芽生えた生徒たちが出てきたことで、この男の子も成仏できることと思います。
「愛すること=相手を思いやる気持ち」の学びを身をもって教えてくれた彼の
安らかな旅立ちを祈ってあげてほしいです。
・・・ただ・・・心から反省の気持ちで謝っている子供と、そうではなく
「怨まれたら恐い」というTVやホラー映画の影響で、子供心にも、自己のため、
自己の恐怖心から謝っている子供とがいると思います。
それが、また子供ならではの「子供の世界」での考え。
本当の心は、いつか皆逝く精神世界の、自己の一生の回顧の中で、あの時何を
考えていたか、本当の自分の心を必ず知ることになるでしょうけど。
そこで、行くべき世界(あの世での心域で分かれる階層)が定まることでしょう。
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