久し振りに、飯田先生の書籍を楽天ブックスで購入しました。
飯田史彦 著「生きがいの創造Ⅲ」PHPです。
昨年の11月にⅢが出ていたのですね。
その中で、
「生きがいの創造」初版本や新版,決定版にはなかったところを一つ
紹介します。
飯田史彦教授は、
「人間は誰でも、潜在意識の水準で、自覚のないままに、愛する故人からの
メッセージを受け取りながら生きています。」
「故人からのメッセージを受ける受信能力は、程度の差はあれ、誰もが持って
いるものであり、決して珍しい特殊能力ではありません。」
「しかし、無意識のうち受信するのではなく、意識しながら双方向コミュニ
ケーション(一種の会話)を行う能力となると、よほどの条件が整わなければ
持つことができません。」
「なぜなら、人間として通常の人生を送るためには、『無意識の受信能力』のみ
を備えていれば充分であり、『魂との双方向かつ意識下のコミュニケーション
能力』など不要ばかりか、むしろ正常な学びの邪魔になってしまうからです。」
とおっしゃっています。
・・・
確かに、あの世という精神世界が本当に存在するのであれば、
この世の今は、学びの途中、修行中の身ですので、必要ないのかも知れませんね。
飯田史彦教授は、きちんと解説するためには長文を要するため、
詳細は「生きがいの創造Ⅱ」をご参照くださいと言っています。
「生きがいの創造Ⅱ」で
紹介されている話の一例はコチラ⇒<魂が伝えてきた言葉> <母親の愛>
そして、飯田史彦教授は、本書でとても興味深い話をされています。
これは、先生の著書「ツインソウル」を読まれると、先生自身が死にかけて何を
見てきたのかよく分かります。
飯田史彦教授は、
「なお、私が知る限り『死者と自由自在に話ができる』と自称する人々の半数は、
(たとえ悪気はなくても)ご本人の妄想に過ぎません。」
「また、残りの半数のほとんども、実際には『魂』と自由自在なコミュニケー
ションを行っているわけではなく、故人の残存思念を感じ取ったり、
残されたご家族の思念を無意識のうちに読み取ったりしながら、故人と話をして
いるかのように演じているにすぎません。しかしご本人は実際の魂と話をしてい
ると思い込んでいるため、完全な善意で、『亡くなった**さんが、あなたにこんな
ことを言っていますよ』と、さまざまなメッセージをご家族に告げるのです。」
とまで、おっしゃっています。
なかなか興味深い話ではないでしょうか。
そう言えば、100年前にイギリスで大ヒットしたA・ファーニス著「死後世界地図」に、
いわゆる霊能力にもレベルがあるような話も書かれていたのを思い出しました。
残存思念やその相談者(遺された遺族)の思念を読み取っては、それが
故人のメッセージだと捉えている、いわゆる「霊能者」「霊媒師」もいるんじゃ
ないかなぁと、本書を読んでそう思いました。
こういう場合でも「当事者しか知らない話(事実)」をズバリ当てられるだけの
能力はありますからね。思念が読み取れる(見れる)わけですから。
なるほど。。。
そう言われると、どれが、どの人(霊能者・霊媒師)の言葉が真実なのか、
もっと分からなくなりますね。。。
そこで、
飯田史彦教授は、このようにもおっしゃっています。
「本物の『魂』は、決して恨んだり怒ったりしませんから、『あなたを怨んで
いる』とか『悲しそうに泣いている』などのマイナスの表現は、すべて妄想と
聞き流し、『ああ、そうですか、それはどうも、教えてくださってありがとう』
と、お礼を言って終わらせましょう。」と。
そうそう、それでいいんです。
飯田史彦教授は、金銭を求める場合には「間違いなく『魂』の声ではなく
商売行為ですから、相手にしないでおきましょう。」と言い切っています。
そして、
「少なくとも、本当に『魂』とコミュニケーションをとることができる能力を
持つ人であれば、残されたご家族を不安にさせる言葉は、決して口にしません。」
「能力そのものは技術であり、善でも悪でもありませんから、その能力(あるい
は能力の錯覚)をどのような方向に使うかという『活かし方』によって、その
能力の真偽や、その人の価値が決まるのです。」とおっしゃっております。
まさに、飯田史彦教授のおっしゃる通り。
変なものには引っかからないようにしないといけませんね。
そして、飯田史彦教授は、
「したがって、『亡くなった**さんが、あなたに心から感謝を告げたいそう
ですよ』などという、愛情に満ちた温かい言葉の場合には、本物の『魂』の言葉
である可能性が充分ですから、余計な疑いは捨てて、大いに感謝しながら受け取
りましょう。」と語っておられます。
・・・
飯田先生の語る故人からのメッセージの「受け取り方」「捉え方」こそ、
残された者の心を救う言葉ですね。
飯田史彦 著「生きがいの創造Ⅲ」PHPです。
昨年の11月にⅢが出ていたのですね。
その中で、
「生きがいの創造」初版本や新版,決定版にはなかったところを一つ
紹介します。
飯田史彦教授は、
「人間は誰でも、潜在意識の水準で、自覚のないままに、愛する故人からの
メッセージを受け取りながら生きています。」
「故人からのメッセージを受ける受信能力は、程度の差はあれ、誰もが持って
いるものであり、決して珍しい特殊能力ではありません。」
「しかし、無意識のうち受信するのではなく、意識しながら双方向コミュニ
ケーション(一種の会話)を行う能力となると、よほどの条件が整わなければ
持つことができません。」
「なぜなら、人間として通常の人生を送るためには、『無意識の受信能力』のみ
を備えていれば充分であり、『魂との双方向かつ意識下のコミュニケーション
能力』など不要ばかりか、むしろ正常な学びの邪魔になってしまうからです。」
とおっしゃっています。
・・・
確かに、あの世という精神世界が本当に存在するのであれば、
この世の今は、学びの途中、修行中の身ですので、必要ないのかも知れませんね。
飯田史彦教授は、きちんと解説するためには長文を要するため、
詳細は「生きがいの創造Ⅱ」をご参照くださいと言っています。
「生きがいの創造Ⅱ」で
紹介されている話の一例はコチラ⇒<魂が伝えてきた言葉> <母親の愛>
そして、飯田史彦教授は、本書でとても興味深い話をされています。
これは、先生の著書「ツインソウル」を読まれると、先生自身が死にかけて何を
見てきたのかよく分かります。
飯田史彦教授は、
「なお、私が知る限り『死者と自由自在に話ができる』と自称する人々の半数は、
(たとえ悪気はなくても)ご本人の妄想に過ぎません。」
「また、残りの半数のほとんども、実際には『魂』と自由自在なコミュニケー
ションを行っているわけではなく、故人の残存思念を感じ取ったり、
残されたご家族の思念を無意識のうちに読み取ったりしながら、故人と話をして
いるかのように演じているにすぎません。しかしご本人は実際の魂と話をしてい
ると思い込んでいるため、完全な善意で、『亡くなった**さんが、あなたにこんな
ことを言っていますよ』と、さまざまなメッセージをご家族に告げるのです。」
とまで、おっしゃっています。
なかなか興味深い話ではないでしょうか。
そう言えば、100年前にイギリスで大ヒットしたA・ファーニス著「死後世界地図」に、
いわゆる霊能力にもレベルがあるような話も書かれていたのを思い出しました。
残存思念やその相談者(遺された遺族)の思念を読み取っては、それが
故人のメッセージだと捉えている、いわゆる「霊能者」「霊媒師」もいるんじゃ
ないかなぁと、本書を読んでそう思いました。
こういう場合でも「当事者しか知らない話(事実)」をズバリ当てられるだけの
能力はありますからね。思念が読み取れる(見れる)わけですから。
なるほど。。。
そう言われると、どれが、どの人(霊能者・霊媒師)の言葉が真実なのか、
もっと分からなくなりますね。。。
そこで、
飯田史彦教授は、このようにもおっしゃっています。
「本物の『魂』は、決して恨んだり怒ったりしませんから、『あなたを怨んで
いる』とか『悲しそうに泣いている』などのマイナスの表現は、すべて妄想と
聞き流し、『ああ、そうですか、それはどうも、教えてくださってありがとう』
と、お礼を言って終わらせましょう。」と。
そうそう、それでいいんです。
飯田史彦教授は、金銭を求める場合には「間違いなく『魂』の声ではなく
商売行為ですから、相手にしないでおきましょう。」と言い切っています。
そして、
「少なくとも、本当に『魂』とコミュニケーションをとることができる能力を
持つ人であれば、残されたご家族を不安にさせる言葉は、決して口にしません。」
「能力そのものは技術であり、善でも悪でもありませんから、その能力(あるい
は能力の錯覚)をどのような方向に使うかという『活かし方』によって、その
能力の真偽や、その人の価値が決まるのです。」とおっしゃっております。
まさに、飯田史彦教授のおっしゃる通り。
変なものには引っかからないようにしないといけませんね。
そして、飯田史彦教授は、
「したがって、『亡くなった**さんが、あなたに心から感謝を告げたいそう
ですよ』などという、愛情に満ちた温かい言葉の場合には、本物の『魂』の言葉
である可能性が充分ですから、余計な疑いは捨てて、大いに感謝しながら受け取
りましょう。」と語っておられます。
・・・
飯田先生の語る故人からのメッセージの「受け取り方」「捉え方」こそ、
残された者の心を救う言葉ですね。
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