私の読んでいる書籍の中で、なぜ○○氏の書籍が出てこないのかな?
と、お思いになる方もいらっしゃることと思います。
例えば、大○隆法氏とか。
「○○の法」など、多くの書籍を出していますね。
私は、大○隆法氏も、光の世界、精神世界を見られた方だとは思っています。
確かに「あの世をかいま見た」のでしょう。
何かしらの光からの言葉もあったのでしょう。
しかし・・・ただ、そのあの世の伝え方がどうも・・・
ハッキリ言いますと、宗教法人や宗教団体まで作って「この世の人のため」
に「人助け」というやり方が、好きではありません。
もちろん、新興宗教は「玉石混合」ということが原因の一要素でもあります。
壷を買わされたり、お布施の額が云々であったりという思い込みも当然ながら
あります。
ですから、怪しく思ってしまうのです。
人助けなら、また霊的能力があるなら、
飯田史彦教授や江原啓之氏のような伝え方が、もっとも世の人に受け容れやすい
スタイルだと思います。
新興宗教は、どうしてもイメージがよくないんです。
偏見みたいなことを言いまして、特定の新興宗教を信仰する方は気分が悪いでし
ょうけど、申し訳ないが「いい書籍」でも、その手の書籍が自宅にあると、
「○○教の人なのか」「勧誘されるかもしれない」という、世間の人からの見ら
れ方のほうがよほど気になります。
(今でも、私の家族や、亡き彼女のご家族も心配しています)
そして、中には、俗に言う「神からのお告げ」なるものを貰って、当初は人の
ためと活動し、やがて信者が増えて教団を作り、そして一大組織となり、その
トップ(教祖)となって、それこそ神のように拝まれる。
そのようになってしまい、今度は金集めや如何わしいことをするようになったり
した教団や教祖も多く報道されています。
「摂○」とか「統○教会」とか。
ですから、中には本当に光の世界からの言葉があったり、霊的能力や霊媒体質で
あったりして、人々を魅了し、惹きつける能力があったにも関わらず、途中で人
並み以上におごり高ぶり、そして人並み以上に俗世にまみれる者も多いと思いま
す。(はじめから、何もないのにそういう振りをしている者も含む)
昔の高僧でも、色欲に走ってしまった者の話も物語りに出てくるくらいですから、
純粋過ぎる人は、どこかでプッツンと切れて、全くの正反対、俗世にまみれまくる
ということも大いにあるでしょう。
(逆に、人並み以下の行いをしたまま、あの世に帰ったとき、それこそあの世が
存在したなら、無茶苦茶反省しないと、高次の世界へ行けないでしょうね。)
・・・
大○教、阿○宗などの教祖や館長が書いた書籍も、書店で手にとってみたことも
あります。○○学会の○田大○氏の書籍も。
・・・
しかし、純粋な気持ちで、本当に真実を伝えたいのなら、法人税のかからない、
非営利法人の宗教法人など作らずに、税金も取られ、なかなか人に信じてもらえ
ない、生活が苦しい、という中でも、自分の考えを説いていくことこそが、その
「神のお告げなるもののあった者」の真の修行ではないでしょうか。
江原啓之氏はここまで来るのには、苦労していますよ。
試行錯誤して今のようなスタイルで、飯を食っています。
飯田史彦教授も、大学教官という本業を持ちながら頑張っています。
・・・
私は古来からある宗教が宗教法人格を取って活動しているのだから、我々だって
いいじゃないかという考え自体に疑問があるのです。
説いてもわかってくれない、でも伝えたい。
その気持ちに偽りがないのであれば、宗教法人などという税金逃れのビジネスや
経営的感覚などの「俗世」的なことを考えてはいけません。
私はそう思います。
それで、飯が食えずに成り立たないのであれば、一人ででも活動すればいいことで
す。それが使命だと感じているのであれば。
それを宗教法人格までとって活動するのに何の意味があるのでしょうか。
「伝えたい」のではなく「嫌でも聞かせてやる」「同調しなさい」というように聞
こえます。
このような見えない世界の話などは、心の問題ですから、強制して普及させるよ
うなことではありません。
「今すぐ、宗教法人を解散して、全ての法人財産を投げ打つことができるぞ」
という教団なんて、皆無でしょう。
「それは出来ない。教えを伝えるためには、金がいる。」
「活動のためには、ある程度の資金がいるのだ。」
「ある程度、同調する人が集まって活動するほうが、伝えやすい」
その考えが、すでに俗世にまみれているのです。
ですから、これらの書物は、このブログでは取り上げません。
・・・
特定の宗教や、特定の有名人が言っていることだけが「正しい」「真実」
ではありません。
一つの宗教に固執してしまうことこそ、本当の真実を見落とすと思います。
私は・・・
このブログで取り上げるているような、色々な方、それも「個」で動いている
方々の唱える世界からでも、十分にあの世を知ることが出来ると思いますし、
偏った見方にならないためにも、そのほうが客観的に見ることができると
思っています。
と、お思いになる方もいらっしゃることと思います。
例えば、大○隆法氏とか。
「○○の法」など、多くの書籍を出していますね。
私は、大○隆法氏も、光の世界、精神世界を見られた方だとは思っています。
確かに「あの世をかいま見た」のでしょう。
何かしらの光からの言葉もあったのでしょう。
しかし・・・ただ、そのあの世の伝え方がどうも・・・
ハッキリ言いますと、宗教法人や宗教団体まで作って「この世の人のため」
に「人助け」というやり方が、好きではありません。
もちろん、新興宗教は「玉石混合」ということが原因の一要素でもあります。
壷を買わされたり、お布施の額が云々であったりという思い込みも当然ながら
あります。
ですから、怪しく思ってしまうのです。
人助けなら、また霊的能力があるなら、
飯田史彦教授や江原啓之氏のような伝え方が、もっとも世の人に受け容れやすい
スタイルだと思います。
新興宗教は、どうしてもイメージがよくないんです。
偏見みたいなことを言いまして、特定の新興宗教を信仰する方は気分が悪いでし
ょうけど、申し訳ないが「いい書籍」でも、その手の書籍が自宅にあると、
「○○教の人なのか」「勧誘されるかもしれない」という、世間の人からの見ら
れ方のほうがよほど気になります。
(今でも、私の家族や、亡き彼女のご家族も心配しています)
そして、中には、俗に言う「神からのお告げ」なるものを貰って、当初は人の
ためと活動し、やがて信者が増えて教団を作り、そして一大組織となり、その
トップ(教祖)となって、それこそ神のように拝まれる。
そのようになってしまい、今度は金集めや如何わしいことをするようになったり
した教団や教祖も多く報道されています。
「摂○」とか「統○教会」とか。
ですから、中には本当に光の世界からの言葉があったり、霊的能力や霊媒体質で
あったりして、人々を魅了し、惹きつける能力があったにも関わらず、途中で人
並み以上におごり高ぶり、そして人並み以上に俗世にまみれる者も多いと思いま
す。(はじめから、何もないのにそういう振りをしている者も含む)
昔の高僧でも、色欲に走ってしまった者の話も物語りに出てくるくらいですから、
純粋過ぎる人は、どこかでプッツンと切れて、全くの正反対、俗世にまみれまくる
ということも大いにあるでしょう。
(逆に、人並み以下の行いをしたまま、あの世に帰ったとき、それこそあの世が
存在したなら、無茶苦茶反省しないと、高次の世界へ行けないでしょうね。)
・・・
大○教、阿○宗などの教祖や館長が書いた書籍も、書店で手にとってみたことも
あります。○○学会の○田大○氏の書籍も。
・・・
しかし、純粋な気持ちで、本当に真実を伝えたいのなら、法人税のかからない、
非営利法人の宗教法人など作らずに、税金も取られ、なかなか人に信じてもらえ
ない、生活が苦しい、という中でも、自分の考えを説いていくことこそが、その
「神のお告げなるもののあった者」の真の修行ではないでしょうか。
江原啓之氏はここまで来るのには、苦労していますよ。
試行錯誤して今のようなスタイルで、飯を食っています。
飯田史彦教授も、大学教官という本業を持ちながら頑張っています。
・・・
私は古来からある宗教が宗教法人格を取って活動しているのだから、我々だって
いいじゃないかという考え自体に疑問があるのです。
説いてもわかってくれない、でも伝えたい。
その気持ちに偽りがないのであれば、宗教法人などという税金逃れのビジネスや
経営的感覚などの「俗世」的なことを考えてはいけません。
私はそう思います。
それで、飯が食えずに成り立たないのであれば、一人ででも活動すればいいことで
す。それが使命だと感じているのであれば。
それを宗教法人格までとって活動するのに何の意味があるのでしょうか。
「伝えたい」のではなく「嫌でも聞かせてやる」「同調しなさい」というように聞
こえます。
このような見えない世界の話などは、心の問題ですから、強制して普及させるよ
うなことではありません。
「今すぐ、宗教法人を解散して、全ての法人財産を投げ打つことができるぞ」
という教団なんて、皆無でしょう。
「それは出来ない。教えを伝えるためには、金がいる。」
「活動のためには、ある程度の資金がいるのだ。」
「ある程度、同調する人が集まって活動するほうが、伝えやすい」
その考えが、すでに俗世にまみれているのです。
ですから、これらの書物は、このブログでは取り上げません。
・・・
特定の宗教や、特定の有名人が言っていることだけが「正しい」「真実」
ではありません。
一つの宗教に固執してしまうことこそ、本当の真実を見落とすと思います。
私は・・・
このブログで取り上げるているような、色々な方、それも「個」で動いている
方々の唱える世界からでも、十分にあの世を知ることが出来ると思いますし、
偏った見方にならないためにも、そのほうが客観的に見ることができると
思っています。
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