gooのブログを使ってブログをはじめる前に、いくつかのブログの使い方や
機能を試してみて、最終的にgooにしたわけですが、テンプレートが豊富な
分、あれこれ迷ってしまいます。
やはり、カテゴリーとかが左右に分かれているもののほうが私にとっては使い
易いのですが、左右分かれていても、画面の両端に余白があるテンプレートを
使うと、記事の文字数が変わってしまい、改行となり行間がずれてしまうので
この今のようなフォームが治まりが良いです。
ただ、フォームの治まりが良くても、文字の色が薄くて見えにくいなど、色々
あってコロコロと色々なテンプレートに変えてみては、しっくりいくフォーム
を探しています。
探しながら、ふと思ったのですが・・・
やはりマンションや気になる記事を含めてブログを書くほうがいいのではない
かと。
スピリチュアルな話のみでずっとブログを書いていると、そのうちに・・・
いつか、スピリチュアルな話に区切りが来たり、スピリチュアルな記事を書く
気持ちとなれなかった場合、どうしてもブログが休眠してしまうだろうと思い
ました。
ですから、何気ない話を含めて、書いていくほうが長く続けられるのではない
でしょうかね。
ところで、ブログって書かなくなってから何年残るのでしょう。。。
出来れば、書かなくなってから5~6年は残して欲しいのですが、いつかは削除
されるのでしょうかね。
そんなことを考えていましたら、
亡き彼女は・・・マンションの話や気ままな話を書くようにしておいて、スピリ
チュアルもというように、長く続けるように、最初から導いていたのかなぁ。。。
なんて思ったりしました。
私も拝見していたとてもためになるお話のブログが休眠となって⇒いつか消えて
いくのがもったいないですし、残念でなりません。
(これって江原さん流にいうと、これも依存?執着?)
・・・
100年後には、ほとんど今あるものは無くなっている。
骨董品や名画、アンティークもの、有名な方の書面(書簡)は残っているでしょう
けど、ほとんどのものは、人間の身体と同じく消えて無くなっているでしょうから
こだわっても仕方がないのでしょうけど。
そう考えていると、益々・・・
「やっぱり、見えない世界って有ってくれないと、一体何のために生まれてきて、
そして死んでいくのか分からない」
「生まれてくると・・・勉強・仕事・協調・死別・生き別れ・・・そりゃ辛いこと
だけでなく、楽しいこともあるけど、楽しいことはいつまでも永遠には続かなく、
いつかは何らかの形で必ず終わる」「始まりがあると、必ず終わりを迎える」
「やはり、あの世に持っていけるものは経験・感動そして愛って言われているのも
だけでも、そうであってくれないと、それこそ浮ばれないなぁ」と思ってきました。
でも、まぁ、嫌がろうが逃げようが、また早くそういう見えない世界に行きたがろ
うが、いつかはこの世を去り、唯一ある(あの世という世界があり、持っていける)
としたら「ようは『気持ち』」だけですので、モノにこだわっても仕方がないですね。
「あれも欲しい、これも欲しい」「ああなりたい、こうなりたい」
ってモノや希望も、
どれもこの世を生きている間だけの肉体と同じく、この世での「乗り物」に過ぎな
いということですね。
裏を返せば、肉体がある今だからこそ、あの世に逝ったときに怒られない範囲?
(この世で、他人に迷惑を掛けないなどの範囲)で、好きなモノを買って、楽しく
充実した生活を送ればいいってことでもあるんでしょう。
機能を試してみて、最終的にgooにしたわけですが、テンプレートが豊富な
分、あれこれ迷ってしまいます。
やはり、カテゴリーとかが左右に分かれているもののほうが私にとっては使い
易いのですが、左右分かれていても、画面の両端に余白があるテンプレートを
使うと、記事の文字数が変わってしまい、改行となり行間がずれてしまうので
この今のようなフォームが治まりが良いです。
ただ、フォームの治まりが良くても、文字の色が薄くて見えにくいなど、色々
あってコロコロと色々なテンプレートに変えてみては、しっくりいくフォーム
を探しています。
探しながら、ふと思ったのですが・・・
やはりマンションや気になる記事を含めてブログを書くほうがいいのではない
かと。
スピリチュアルな話のみでずっとブログを書いていると、そのうちに・・・
いつか、スピリチュアルな話に区切りが来たり、スピリチュアルな記事を書く
気持ちとなれなかった場合、どうしてもブログが休眠してしまうだろうと思い
ました。
ですから、何気ない話を含めて、書いていくほうが長く続けられるのではない
でしょうかね。
ところで、ブログって書かなくなってから何年残るのでしょう。。。
出来れば、書かなくなってから5~6年は残して欲しいのですが、いつかは削除
されるのでしょうかね。
そんなことを考えていましたら、
亡き彼女は・・・マンションの話や気ままな話を書くようにしておいて、スピリ
チュアルもというように、長く続けるように、最初から導いていたのかなぁ。。。
なんて思ったりしました。
私も拝見していたとてもためになるお話のブログが休眠となって⇒いつか消えて
いくのがもったいないですし、残念でなりません。
(これって江原さん流にいうと、これも依存?執着?)
・・・
100年後には、ほとんど今あるものは無くなっている。
骨董品や名画、アンティークもの、有名な方の書面(書簡)は残っているでしょう
けど、ほとんどのものは、人間の身体と同じく消えて無くなっているでしょうから
こだわっても仕方がないのでしょうけど。
そう考えていると、益々・・・
「やっぱり、見えない世界って有ってくれないと、一体何のために生まれてきて、
そして死んでいくのか分からない」
「生まれてくると・・・勉強・仕事・協調・死別・生き別れ・・・そりゃ辛いこと
だけでなく、楽しいこともあるけど、楽しいことはいつまでも永遠には続かなく、
いつかは何らかの形で必ず終わる」「始まりがあると、必ず終わりを迎える」
「やはり、あの世に持っていけるものは経験・感動そして愛って言われているのも
だけでも、そうであってくれないと、それこそ浮ばれないなぁ」と思ってきました。
でも、まぁ、嫌がろうが逃げようが、また早くそういう見えない世界に行きたがろ
うが、いつかはこの世を去り、唯一ある(あの世という世界があり、持っていける)
としたら「ようは『気持ち』」だけですので、モノにこだわっても仕方がないですね。
「あれも欲しい、これも欲しい」「ああなりたい、こうなりたい」
ってモノや希望も、
どれもこの世を生きている間だけの肉体と同じく、この世での「乗り物」に過ぎな
いということですね。
裏を返せば、肉体がある今だからこそ、あの世に逝ったときに怒られない範囲?
(この世で、他人に迷惑を掛けないなどの範囲)で、好きなモノを買って、楽しく
充実した生活を送ればいいってことでもあるんでしょう。
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