札幌では、JR札幌駅から歩いて、大通りまでの間をぶらぶらと見て回りました。
最初に、北海道庁へ行き、そのあと北海道大学農学部植物園へ行きました。
北海道庁の建物は、レトロで綺麗でした。
北海道大学農学部植物園では、特急列車の名称にもなっている「ライラック」の並
木を見たりしました。花をつけるのは5月~6月ということでしたので、ちょうど
見ごろの時期に来れました。
夜には、昼間にも行きましたが、もう一度夜の時計台を見に行きました。
また、大通りにあるテレビ塔にも。
この札幌の大通りを見て、「名古屋に似ているなぁ」と思いました。
碁盤の目のように整備された道と町並み。
そして、通りにある公園にはテレビ塔。
ホント、名古屋市内に似ていました。
そして、たまたま亡き彼女の妹さんから、この土日に札幌市内でよさこい祭りがあ
ると聞き、それなら見に行ってみようと出かけました。
しかし・・・やっぱり一人というのはどこか寂しいですね。
でも、だからと言って友人と遊びに来ても、イマイチ気持ちが盛り上がらないでし
ょうし。。。
「私が居なくなったら、あんた寂しいよ。」
と生前彼女が何気なく言ってた言葉を思い出し・・・
「マジで、居なくなってよぉ。。。ホントに寂しいじゃないか。。。」
と呟いていました。
最初に、北海道庁へ行き、そのあと北海道大学農学部植物園へ行きました。
北海道庁の建物は、レトロで綺麗でした。
北海道大学農学部植物園では、特急列車の名称にもなっている「ライラック」の並
木を見たりしました。花をつけるのは5月~6月ということでしたので、ちょうど
見ごろの時期に来れました。
夜には、昼間にも行きましたが、もう一度夜の時計台を見に行きました。
また、大通りにあるテレビ塔にも。
この札幌の大通りを見て、「名古屋に似ているなぁ」と思いました。
碁盤の目のように整備された道と町並み。
そして、通りにある公園にはテレビ塔。
ホント、名古屋市内に似ていました。
そして、たまたま亡き彼女の妹さんから、この土日に札幌市内でよさこい祭りがあ
ると聞き、それなら見に行ってみようと出かけました。
しかし・・・やっぱり一人というのはどこか寂しいですね。
でも、だからと言って友人と遊びに来ても、イマイチ気持ちが盛り上がらないでし
ょうし。。。
「私が居なくなったら、あんた寂しいよ。」
と生前彼女が何気なく言ってた言葉を思い出し・・・
「マジで、居なくなってよぉ。。。ホントに寂しいじゃないか。。。」
と呟いていました。
彼氏さんの弟さんは、北大農学部ですか。クラーク博士で有名な北大農学部とはとても優秀なんですね。交換日記を読ませていただきましたら、彼氏さんもかなり優秀な方とお見受けしました。学会への参加等の話しからしますと・・・大学の教員を目指していたのでしょうか。
遠い大地へ、一人で訪れるのは・・・やはり、寂しいと思います。
ですが、私は北大農学部植物園は、一人でものんびりゆったり過ごせますからお薦めです。友達とわいわい騒ぎながら行くよりかは、一人のほうが色々考えることも出来ていいかもしれませんよ。
園内に剥製動物を展示しているレトロな建物があり、そこに南極観測隊で活躍したタロの剥製がありました。帰還後、この植物園で亡くなるまで飼育されていたそうです。ちなみに、ジロは東京は上野の博物館にあると記していました。
それを発見した時、展示室には、私一人。
この偉大なワンちゃんと静かに対面した私は、「あんたも大変だったねぇ・・・」「それに・・・死んでも飾られて、大変だね。」と話しかけたりしました。でも、意外なところで珍しいものに会えてよかったです。
実は写真にもあった道庁に彼の弟が勤めていたんですよ。今は地方にいます。(旭川ではないんですが)名古屋には彼の従兄が住んでいて、何だか不思議な気持ちで読ませて頂きました。
彼は大学院に入ってから勉強を始めたみたいで、それまでは遊んでばかりだったと言っていました。中高と陸上部だったのですが、最後の大会前に怪我をして走れなくなって、挫折から受験勉強もろくに出来なかったと言っていました。それでも大学院で尊敬する先生に出会い目標を見つけて、全力で頑張ってやっと卒業できた所で亡くなってしまいました。
学部を卒業してからの5年間は学費も生活費も自分で稼いでいたのですが、学生である事をずっと気にしていたので、せめて就職するまで待ってくださいって神様にお願いしましたが無理でした。自動車メーカーに就職して、何年かしたら教員にもなってみたいというような話をしていました。
彼の夢もどこへ行ってしまったんでしょうね。彼を亡くして、彼という存在だけでなく彼の夢や二人の未来も無くしてしまったような気持ちになります。今はそんな俗っぽい所に彼はいないんだからと思ってはいても、やっぱり悲しいもんは悲しいです。
彼氏さんの弟さんや従兄さんを通して、北海道や名古屋にもご縁があったのですね。札幌の大通り周辺は、ホント名古屋の栄周辺に似てると思いますよ。彼氏さん・・・とっても頑張っていたのですね。博士後期課程まで行かれたのですね。自分で稼ぎそこまで頑張ってきたのにと思いますと、yoko様のお辛い気持ちは計り知れないものです。。。胸中お察し申し上げます。
「彼の夢」「彼とyoko様との夢や未来」
何処へいってしまったのか・・・
そのお気持ちは、凄く分かります。
私も今は、まだ糸の切れた凧のような状態ですから。。。
悲しいもんは悲しい。私もそれはそれで別に抑えたり捨てたりしなくていい感情だと思っています。だって、捨てきれないんですから。「この世限り」「もっと今生きているこの時を楽しんで」と周りから言われても、正直どうにもならない気持ちは消せません。
ただ、スピリチュアルな書籍を読んできて、「この世限りではない。また逢えるんだ。」と思えるようになってから、「このような辛い経験は、今回の生で終わりにしよう。」「次は、この世での別れの辛さをあの世へ行っても忘れずに、しっかりと覚えておこう。そして、また彼女としっかり考えた上で共に生きよう。」という気持ちで踏ん張っています。(踏ん張っていこうと思っています。)
それに、
「飯田史彦先生が、わざわざデタラメなんか言うはずがない。」
「江原さんが、あれだけズバリと当て、真剣にたましいについて語られるのだから、嘘なんかじゃない。」
などとも思いながら、自分自身の今を生きる糧にしています。
早いか遅いかの違いだけで、誰しも必ず訪れる「死」。
yoko様も私も、この世を去るべき時には、それはとてつもなく恐ろしく感じることと思います。その先はどうなっているのか実際には体験していないので分からないことですから当然です。しかし、私達には「もしあの世があったなら、あの世という向こう側には、最愛の彼女(彼氏)がいる。」という安堵感もあると思いませんか?私はそう思うようになってから、この世だけにいっぱい想いがあったらこの世を去る時って、とてつもなく恐いだろうけど、私には向こう側の世界には、すでに逢いたい人,待っていてくれる人がいるというのは、それはそれでとても心強い味方だと感じています。向こう側にこそ最大の楽しみがあるのですから。
私は、亡き彼女に「よくあの苦しいなか、『死の壁』の越えていったね。」「僕は逢いたいけど、正直言って恐いよ。」「自分も本当に乗り越えられるのかなぁ」「そんな時が来たときは、悪いけど迎えに来てよ。」と語りかけたりもしています。
yoko様の苦難はきっとつぶさに彼氏さんも見守っていますから、悲しみつつも、とにかく生き抜きましょうね。
私も・・・そうでした。お互いにね。