マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

我が母校の交友会報を見て=立命館大学・大学院=

2013年12月22日 09時58分28秒 | ◆スピリチュアル:前を向いて歩こう
今日は、休みが取れましたので、部屋の中を整理
していましたら、

立命館大学の校友会報が出てきました。


懐かしいなぁ・・・「立命館」それは、
とても充実した時間を頂いた学び舎でした。

そして、整理していましたら、色々と
懐かしいものが出てきましたので、私の
話を少ししますね。

地方銀行に勤務して2年目を迎えたある日、

「もう一度、学び直したい」
「20代で人生やり直したい」

と、強く思うようになり、3年1ヶ月勤めた
銀行を退職して、京都へ行きました。

きっかけは色々ありますが、





(23歳のとき「頭取表彰」)

銀行業務検定を受けて、財務・会計(学)に
興味を持ったのが、やり直しの原点だった
ように思います。
(正確に言いますと、会計学をもって、この
技を得意分野にすることで、学び直し・やり直し
が出来ると思ったという感じです)

そこで、立命館大学に授業料も安い夜間主コース
があることを知り入学しました。


昼間は、税理士事務所等でアルバイト・パート
をしながら生活費を稼ぎつつ、

立命館大学経営学部夜間主コースで2年間学び、
卒業後、更に立命館大学大学院経営学研究科へ
進学しました。

大学院は、今のように昼夜開講制や土日開講
の大学院もほとんど無く、昼間に「学生」をする
道しかありませんでしたので、それなら、
やっぱり立命館大学の大学院へ行こう!と思い
受験しました。

私が、
25歳から29歳の頃のことです。

学部は3回生編入で入学して2年通いましたが、
昼間の講義も数十単位取れましたので、若干
昼間の講義も受けました。

編入時、60単位を認定されて、卒業には
124単位必要でしたが、144単位を取得して
卒業しました。


卒業時には、卒業論文で
立命館大学父母教育後援会から「教育賞」
の表彰を頂きました。

(衣笠キャンパス)

25歳から27歳迄、この時計台のある
「存心館」でも多くの講義を受けました。
確か、私が通っていた頃は、この建物の前は、
テニスコートでした。

そして、びわこ・くさつキャンパスで大学院
生活を送り、29歳で修了。

大学院生のときは、夜間に6時間、プリント
基盤加工の会社でほぼ毎日アルバイトをしました。
時給は、確か1000円以上ありました。
4畳半一間、部屋の鍵は南京錠、トイレは共同で
風呂無し、家賃1万5千円という暮らしでした。



(BKC)

27歳のとき、
立命館大学経営学部夜間主コース経営学科卒業
学士(経営学)


29歳で、
立命館大学大学院経営学研究科博士課程前期課程
企業経営専攻修了
修士(経営学)

を卒業・修了・学位取得しました。

・・・

当時を振り返りますと、
私自身、今では考えられない行動です。
ちょうど20代の真ん中、25歳のときという
のは、仕事に就き多少は業務にも慣れてきて
「これでいいのだろうか」「このままでいい
のだろうか」と色々と考える時期だと思います。

「今しか出来ない・・・どうしよう」
と私も悩みましたが、社会人として働いたこと
で、学生時代には見つけられなかった「好きな
科目(教科・学問)・自分に出来ること」と出会った,
見つけられたことから、思い切って行動に出ました。

自分の心の中にあった「学び=やり切っていない」
「社会人になったのだから、もう勉強なんていいか・・・」
という気持ちの天秤が揺れる中で、やはり、

「今しか出来ないことをやってみよう」

と決意して退職し、突き進んだ結果、現役当初に思って
いた「ここまで行こう」「ここまで行きたい」と願って
いた場所まで行けたのだと思います。

今、地元で働いている姿の良し悪しは別としまして、
当時の行動には後悔していません。

唯一、後悔する点としては、もっと中学・高校の
ときに頑張っていればよかった・・・でしょうか。

ただ、社会人となって、初めて気づかされたという
面が大きいですので、資格の学校のCMのように
「気づいたとき(思ったとき)が適齢期」なんだろうなぁ
と感じています。

・・・

「もう一度、学び直す」「社会人から学生に戻る」
正直、かなりのリスクがあります。相当なリスクです。
それは職歴にブランクが空くからです。

社会人から、「手に職」の看護師、理学療法士、
作業療法士、柔道整復師、社会福祉士、精神保健福祉士等
の医療・福祉関連の専門学校への進学でしたら、その後の
職業にも繋がりますのでよいのですが、ただ学問を
学び直すというのは非常にリスクがあります。

日本社会は、まだまだ小・中・高・専門学校又は短大
・大学の流れでの就職が当たり前で、かつ、その概念
が固定化されています。

私も、再就職の際は、その壁の高さを感じました。

たとえ「学ぶため」「自分自身を磨くため」とは言え、
社会人からもう一度、大学院まで進んでも、世間では

「今になってか・・・」「今更遅い」「今更そんなこと
より、社会人経験を積んだほうが良かったのでは」と
いう視線が強いです。

特に文系となるとそうです。

結局、就職(転職・再就職)の際に面接官の目を惹くのは
「元銀行員」と「宅建を持って不動産営業をやってきた」
という点です。

「勉強が出来る」「知識はある」「気がつきてやり直し
をしてきた」ではなく、「今まで実践は何をしてきたのか」
「あなたは何が出来るのか」「社会経験の中身」
が見られます。

ですから、社会人から立命館大学大学院まで進学して、
何が変わったのかというと大学院卒の肩書きで、今まで
以上に良い就職先に就職出来たわけでもなく、また面接
時に評価されることも少なく、ただ「自己満足」「自分
がやりたいと思ったことを成し遂げた」だけに過ぎず、
社会(採用側の企業)では、やはり、どのような社会経験
を積んできたのか、その一点のみが評価されるというのが
今の社会の現実です。

しかし、自分自身の中では、今までの不完全な思いを払拭
できた感は十分に味わえます。

ただし、それ以上のことは期待出来ず、やはり、自分に
合った職業を得るには「自らが切り開く」しかありません。

「学歴では飯は食えない時代」なわけですね。

「『学歴を積む』ということは、必ず『努力』が必要」です。
努力によって、報われる面も確かにあります。

しかし、その「努力」は「合格」というカタチで進学等
の面でははっきりとした結果をもたらしますが、
「就職」となると別問題です。

医師免許が取れる医学部や薬剤師の薬学部、先に挙げた
看護師等は職業直結の学部ですから職に繋がっていますが、
そうでない、特に文系学部卒には、厳しい世の中です。

「努力」だけでは報われないのが今の世の中。。。

職業、会社とは、「出会い=『運』」
という面もあるかと思います。

私も一時期、彷徨った経験がありますので分かりますが、
「長く勤められる会社」というのは、なかなか無いよう
に思います。

私が今勤めている会社でさえ、中途採用を希望して、
地方国立大卒、府立大卒など国公立の大学を卒業した者
も多く受けに来ます。
学歴だけ見ますと、今居る本社や支店の事務系正社員
よりも凄いなぁと思いますが、職歴が転々としており
不採用。

会社側は「教育しても、いつ辞められるか分からない」
という判断で、人材は欲しいのですが相当慎重になって
います。

不採用に共通していること、それは「一つの職業に安定
して就いたことがない」という経歴です。

これは、正直、本人も望んで転々としたのではないの
でしょうけど、所謂、ある程度妥協できる範囲での
「適職」「天職」との出会いに尽きると思います。

経理職の募集で、地元国立大卒で日商簿記2級を取得
している方の面接に立ち会いましたが、数ヶ月、1年
以内で転々と仕事を変わっていました。
初めての就職先は良い会社でしたが、そこを辞めた後は
「飛び込み営業」や「商品販売のアポ取り」等の仕事
ばかりでした。

いわゆる「(ほとんどの人が)続かない職業」ばかりに
就いてきたわけです。

または、良心のある人、無理押しが出来ない人には
続かない仕事ばかり。

会社は入社してみないと分からない面も多いとは思い
ますが、採用を受ける前に、仕事の内容で大体どんな
会社か、自分の性格に合っているのか分かるように思う
のですが、勉強は出来ても、その辺りの感(この会社は
ヤバイ)が無く、転々とする者も多いという現実も
分かります。
新卒時は一旦就職に成功していても、何かしらの思い
で、新卒時の仕事を辞めた後は職業を転々・・・
よくあります。

しかし、転職、再就職しようと思っても、そのような
ブラック企業しか求人募集が無いとも言えます。

そして、ある程度の給料をもらうとなると、ブラック
企業が自然と目に入りますし。

「職歴を汚す」

誰しも安定した仕事に就きたいものです。
しかし、そうはなかなかさせてくれないのが世の中。

結局は、不本意な中で、職歴を汚してしまい、それが
採用側に不安を抱かせて不採用となる構図を痛々しく
感じました。

学歴、職歴を見ると、私なんかよりもずっと努力をして
きた人で、定職を得るために辛い思いをし続けてきた人
なのに・・・と。
経歴を見ると、その人の歩みというものが見えて
きます。
「社会人となるまでの努力」「就職してからの葛藤」
など。履歴書をきちんと書いている人であればあるほど
よく見えるものです。
(未だに採用者無し)

私が中途採用を受けた際は、すでに経理担当者が退職
のため有給消化に入っており、すぐにでも代わりの人間
が欲しかったために採用されました(入社して分かりました)

ですから、努力はしてきましたが、振り返ってみますと
今まで「綱渡りの人生」でもあったなぁと思います。

大学院へ進学出来ていなければ、夜学に2年間通っただけ
で、何のために銀行を辞めたのか・・・ということになり、
今でもふらふら会社を転々としていたなら・・・と
考えると怖く感じることもあります。

まさに「99%の努力と1%運」と言われるように、
この1%の運が人生を左右するのではないかと
感じています。

大学・大学院での恩師との出会いもそうです。
大学・大学院で出会った社会人学生の仲間もそうです。
そして、今の会社に勤めることとなったタイミング
もそう。

私自身、今は職業も安定してプチ不動産投資などを
していますが、この先は・・・
人生、先のことなど分からないものだと思っています
ので、成るようにしかならない・・・ですね。

・・・

ちなみに、18歳から22歳の頃は、
高校を卒業後、進学のために岡山へ行きました。
勉強は・・・バイトとドライブの毎日
だったように思います。
それは、それで良い経験が出来たと思って
います。
20歳の頃、HONDAのプレリュードを
購入して大学やバイト仲間と姫路~福山、香川
方面をよく走っていました。
「今までの人生の中で最高に楽しい!」
と朝方、日本のエーゲ海:牛窓をバイト仲間と
走っているとき、そう感じました。
その何とも言えない幸せ感は、今でも覚えて
います。3回生、4回生のときは学生生活を
存分に楽しんだ時期でした。


車は、5速ミッションで、オートクルーズ付、
サンルーフ付、後輪も曲がる4WS付で
面白かったです。

入学当初、現役か、浪人しようか、どうしようか
と迷いながら岡山へ行ったわけですが、その
まま大学生として、せっかくなので教員免許も
取り卒業しました。
あっという間の4年間だったように思います。

吉備国際大学社会学部産業社会学科卒業
学士(社会学)

・・・

大学卒業後、銀行へ就職して、日々の忙しさに忙殺
されて、学生時代から付き合っていた彼女は
呆れて去って行きました。
(最後に会った日:携帯電話が無い時代、約束の
時間に遅刻すると焦って、車のサイドブレーキ
を引かずに公衆電話へ。車が動いているのを見て
慌てて車に戻りました)
確かに、日々に追われて大切にしていなかった。。。

大学院へ進学するときも
銀行員のときから付き合っていた結婚適齢期だった彼女
も去って行きました。。。
(京都から姫路駅まで送って行きました。それが最後
に会った日。その後、電話で、大学院のことで合格
するまで言わなかったと。落ちたらカッコ悪いと思い、
合格後すぐに連絡したのですが、それが駄目と。。。)
私の不徳ですね。。。

亡き彼女は、私が四畳半の住まいに住んで貧乏学生を
していたときも、また再就職して落ち着くまで、そして
落ち着いた後も一緒に居てくれました。
いつも傍にいて、私が居たら寂しくない、怖くない
と。一緒にいるだけでいいといつも笑顔でした。
ですから、よく彼女には「ありがとう」と手を合わせた
ものです。

色々ありました。

人生、やはりプラスマイナスゼロなのかも。
得るものもあれば、失うものもあり、です。

・・・


今はどうなのか・・・

あの頃の「やってやるぞっ!」という気落ち
の100分の1くらいかなぁ。
行動力はゼロに近いですし。。。

初心を忘れているなぁとつくづくそう思います。

ぼちぼちですが、一歩づつ歩んでいきます。
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