今日は国会議事堂見学のアテンドが入ってたので、ずっと議院会館です。
国会議事堂の中央広間は3月末まで工事してるので、ここを見学したい場合、4月以降の方がよいかもしれません。
私としましては、足場が組まれたこのレアな空間に思わずニンマリ^ ^
面白く見学させてもらいました。
金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」。全くその通りだし、一人一人が重んじられる社会であって欲しいのは言うまでもない。しかしほとんどの人は、突飛な言動や服装等、違和感を持つ人を敬遠する傾向にある。
マドモアゼル・愛さんはテレフォン人生相談でポピュラリティの大切さを説くことが多い。特に人というものは、外見や言動がどこかおかしい人や、自分とは考えが違う人を忌み嫌う傾向にある。マドモアゼル・愛さんの言葉を借りるに、人間関係がうまくいかない、生きづらいと思っている人は、一度自分自身のポピュラリティを見直してみる必要があるのではないだろうか。
人は「普通」が好きである。でもこの「普通」の定義がなかなかに難しい。なぜなら普通の感覚は生活の中で正されながらゆっくりと身につけていくものだから。頭で覚えるより、日々感じつつ覚えていくものだから、実はやっかいだったりする。
この「普通」がわからないと人は生き辛さを感じてしまう。「そういうものだから」をいちいち分解して考えていては、辛くなるのも当然だ。本来ならその「普通」は家族というコミュニティーで教わるべきなのだが、家族という単位が崩壊しつつある今、そのポピュラリティの維持は容易ではない。
以前どこかの番組で椎名林檎さんが話をしていた。なんでも自らをネットでよくリサーチしているという。ともすればその独創性が独りよがりになる嫌いのあるアートの分野で長くトップでい続けるような人は、どこかこの「普通」に気を配っているのではないかと思っていたが、やはりそのあたりへの意識は相当のようだ。
自身のオリジナリティーを確立している人ほど、この「普通」への意識が成功するために大切なのだろう。歌も服装も言動も「普通」からは程遠いが、自らの歌をよく聴くであろう人々を分析しているからこそ、多くの名曲を生み出してきたのだと思う。そう考えると、自らのオリジナリティーだけでは多くの足を止めるまでにはいかないが、そこにポピュラリティが備わって初めて高いレベルでアートの分野で開花するのだろうと思った次第だ。
そういえば、それほど多いわけではないが、個人的に付き合いのある芸能人やテレビで活躍する人の方が、いわゆる「普通」への感覚は鋭いように思う。これは私が普通の感覚に敏感だから、そう言う人が集まってくだけなのかもしれないが。
とかなんとか言いつつ、本当に普通かと問われたら、大学を卒業してすぐ農家に弟子入りをしたり、結婚前に二人で東京から青春18切符と船を乗り継いで、テント泊などをしながら与那国島を目指したり。会社で仕事をしたこともなく、なんだか鍼灸院でバイトをしつつ開業し、なんとなく食い繋ぎつつ子ども4人を育て、なんだかひっちゃかめっちゃかのまま今に至るといった、ある意味普通からはかけ離れているかもしれない生活をしてきた。寒い最中に皮膚を鍛えんとばかりにビーサンとTシャツで外に繰り出してみたり、意味なく長距離を歩いてみたり。巷では普通ではない人と思われているかもしれないが、本人はここに生きやすさを感じているので、十分なポピュラリティーを持ち合わせているとは思っていたい。
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