「おおしたさん」のブログです

2005年6月に始めたこのブログ、鍼灸院をやってた頃のことを含め、今も気ままに書いています。

子どもの時間を分断しない

2023年07月25日 | 子育て
どんな事を思いつつ、子育てをしてきたのだろう。同年代の患者さんとそんな話になった。

一人っ子ではなかったので、えこひいきしないという事は気をつけたように思う。子ども達にとって一番つらいのは親に見比べられる事。嫌でも外で見比べられるのだから、家の中では自分が一番だと思ってもらいたい。だからあれこれ工夫してきたつもりだが、果たして本人たちはどう思っていただろう。

次に思い出したのが、子供は授かりものではなく「預かりもの」という話。子どもが社会に出るまで神様からただ預かってちるだけという考えは、子育てに対する気負いを大いに楽にさせてくれた。

そういえば、去年だか一昨年だかに読んだ吉本隆明氏の「ひきこもれ」。以下のような事が書いてあったが、これはかなり刺さった。当時これをもう少し意識して子どもと向き合うことができたらよかったと思った次第だ。
  • 時間をこま切れにされたら、人は何ものにもなることができない。
  • ぼくには子どもが二人いますが、子育ての時に気をつけていたのは、ほとんどひとつだけと言っていい。それは「子どもの時間を分断しないようにする」ということです。
子育てと聞いて思い出すのはこんな感じか。これらを踏まえてどう「待つ」か。歩みのゆっくりの子もいれば早い段階からぐんと成長する子もいる。特に男の子の成長はその時期がまちまちだ。だから急がなくてもいいんだよ、自分のペースでいいんだよと、歩みを共にできる親であったらよかったと、今更ながら思う次第だ。


その子育てで一番意識してきたのが「えいこひいき」しないということです。
そしてそのための「えこひいき」。

皆が一緒の時はどうしても無理なので、時間を作ってはできるだけ満遍なく一人一人をピックアップ、そしてピックアップした子を思いっきり(こっそり)「えこひいき」しました。



神様からの預かりものだと考えれば、その家庭に最も必要な子どもを預けてくれるんじゃないか、という考えも生まれます。
家族のお互いが切磋琢磨して成長するためにその家に生まれてきてくれた。
同志と同じことなんじゃないかと思うんです。

元気な子が生まれようが病気がちな子が生まれようが、神様からお預かりした子どもを育てれば良いだけのこと
だから育てられるか心配だとか、教育費がどうのとか、先天的な病があったらどうしようとか、たとえ病気で生まれる事がわかっていたとしても、そこには人智の及ばない「心」の結びつきがあるからそこに生まれてくるわけで、その縁を頭で考えた事で否定するのはもったいないかなぁ…なんて思ってしまいます。

子どもそれぞれ歩み方が違う
歩くのが速い子もいれば、ゆっくり目的地に向かう子もいる
結局道草で終わって目的地に到着しないなんて事もある
 
どんな歩み方でも寄り添っていたいし、肯定して喜んであげたいなぁ…なんて思ってる

 


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