先日書いた記事(
こちら)に、「常識の通じない人ですね」というコメントを寄せた人が有った。
一口に常識と言っても「常識のある行為」と「常識的な行為」では、意味が全然違ってくる。
「常識のある大人」と言うのと「常識人」と言うのも又同様である。
このコメント主の「常識の通じない人」という言葉には、流行に乗らない者と言う意味合いが有ったと思う。
「Aさんのことを、ブログ界で締め出すのが今の常識だから、あなたもそうするように」と言う勧誘の後の、「常識が通じない人ですね」と言う言葉なのだった。
「それが常識だから、それに従いなさい。」と誘い、
それを拒否したら、
「常識の通じない人ですね。」と言うわけである。
こんな言葉に従っていたら、常識の有る大人と言うより、
常識人と言うことになってしまう。
常識のある大人と言うのは褒められるべき存在であるが、
常識人と言うのは決して褒め言葉ではない。
この常識人と言う言葉に含まれる「常識」は、専ら多くの人にとって「ああ、確かに普通ならこういう反応になるわなw」というような一般大衆の標準とでも言うべきものであり、「正しい判断」という意味は殆ど含まれていない。
とニコニコ大百科にはあり、
性質上、一般にやや押しの弱いヘタレが多いが、これはもし「常識」を強く主張して他のキャラの行動を積極的に妨害しはじめると「偽善者」や「常識を盾にする腐った大人」という悪役になってしまうためであり、常識人が常識人である限り彼らの叫びは今日も届かないのである。
となっている。
以前ウィキペディアで、「陰謀論」と言う項目を見た時、
「常識に外れる論」と言うようなことが書いて有ったけれど、
ここでも「常識人」や「常識に沿った考え方」をする事を良しとしているように感じたものであったが・・・・・
これらは取りも直さず、マスコミなどで吹聴する、大衆操作に乗せられる者を、おだてる事によって、支配下に置こうと言うたくらみであろうか。
だから、常識人は「一般にやや押しの弱いヘタレが多い」と言うことになってくるのだろう。
常識にそぐわなくても、「慧眼」も有れば、「英断」も有るだろう。
そういう素晴らしいものを、圧殺してしまう者に加担してしまわない為にも、
常識的判断を、重んじすぎる事は危険であると思う。
この世の中を、いじめっ子の跋扈する世の中にしてはならない!