春 夏 秋 冬

めぐり来る 春夏秋 麗しき 大和し護れ 民草いとえ 
          

ブログ休止のお知らせ

このブログの表題に入れた短歌の、春夏秋冬の中の冬の字が、誰かによって削られて、修正不能になって久しいのですが、昨日から編集画面までが、誰かにいじられたようで、出す事が出来なくなっています。 この記事作成画面も、何時使用不能になるかもしれない状況にありますので、 春夏秋冬はこの記事をもって、しばらく休ませていただく事にしました。(2010年3月) * * * * * * *  Fc2ブログに不祥事が起き、広告主が引き上げたそうです。 Fc2は何時終了になるか予断を許さない状況かと思い、 気になる過去記事を少しずつ、こちらのブログに写す事にしました。(2015・4・24)

常識人

2010年02月20日 16時58分40秒 | 思想信条
先日書いた記事(こちら)に、「常識の通じない人ですね」というコメントを寄せた人が有った。
一口に常識と言っても「常識のある行為」と「常識的な行為」では、意味が全然違ってくる。
「常識のある大人」と言うのと「常識人」と言うのも又同様である。

このコメント主の「常識の通じない人」という言葉には、流行に乗らない者と言う意味合いが有ったと思う。
「Aさんのことを、ブログ界で締め出すのが今の常識だから、あなたもそうするように」と言う勧誘の後の、「常識が通じない人ですね」と言う言葉なのだった。

「それが常識だから、それに従いなさい。」と誘い、
それを拒否したら、
「常識の通じない人ですね。」と言うわけである。

こんな言葉に従っていたら、常識の有る大人と言うより、常識人と言うことになってしまう。
常識のある大人と言うのは褒められるべき存在であるが、
常識人と言うのは決して褒め言葉ではない。
この常識人と言う言葉に含まれる「常識」は、専ら多くの人にとって「ああ、確かに普通ならこういう反応になるわなw」というような一般大衆の標準とでも言うべきものであり、「正しい判断」という意味は殆ど含まれていない。
とニコニコ大百科にはあり、
性質上、一般にやや押しの弱いヘタレが多いが、これはもし「常識」を強く主張して他のキャラの行動を積極的に妨害しはじめると「偽善者」や「常識を盾にする腐った大人」という悪役になってしまうためであり、常識人が常識人である限り彼らの叫びは今日も届かないのである
となっている。

以前ウィキペディアで、「陰謀論」と言う項目を見た時、
「常識に外れる論」と言うようなことが書いて有ったけれど、
ここでも「常識人」や「常識に沿った考え方」をする事を良しとしているように感じたものであったが・・・・・

これらは取りも直さず、マスコミなどで吹聴する、大衆操作に乗せられる者を、おだてる事によって、支配下に置こうと言うたくらみであろうか。

だから、常識人は「一般にやや押しの弱いヘタレが多い」と言うことになってくるのだろう。
常識にそぐわなくても、「慧眼」も有れば、「英断」も有るだろう。
そういう素晴らしいものを、圧殺してしまう者に加担してしまわない為にも、
常識的判断を、重んじすぎる事は危険であると思う。

この世の中を、いじめっ子の跋扈する世の中にしてはならない!

オリンピック選手になるような人は違うんだなと思ったこと

2010年02月20日 10時42分11秒 | Weblog
昨日午後eoがトラブッたらしくてインターネットが、急に使えなくなって、一日遅れになってしまったけれど、載せさせて頂きます。

バンクーバー・オリンピック フィギアスケート男子の部で、高橋大輔が銅メダルを獲った。
金メダルはアメリカのライサチェック、前回のトリノ・オリンピック金メダリストのロシアのプルシェンコは銀メダルになってしまった。
一昨日のショートプログラムの出来では、プルシェンコの金メダルは間違いないだろうと思われていたのだけれど、今日のプルシェンコの演技は、4回転ジャンプを成功させはしたけれど、何処となく危なっかしい感じで、別人のようであった。
ライサチェックは4回転ジャンプはしなかったけれど、ほぼ完璧な演技という評価を得ていた。
確かに安心して見ていられる演技であった。
高橋大輔も4回転ジャンプに挑戦したのだけれど、失敗してしまった。
それでもその後は落ち着いて確りと演技したので、かろうじて3位にはいれたと言う感じであった。
織田信成選手もショートプログラム4位で、最終組(ショートプログラムで、上位の成績者の組)で演技したのだけれど、曲の中程でジャンプに失敗して転んでしまった時、シューズの紐が切れるというアクシデントが有った。
こんな事はオリンピック始まって以来らしいけれど、3分以内に再開すれば演技を完成させる事ができると言うことになっていて、大急ぎで靴紐を結んで、曲の止まった所から再び落ち着いて演技をやり遂げ7位に入賞した。
高橋選手がオリンピックに名の残るような演技がしたいといっていたけれど、
別の意味で織田選手の方が、オリンピックに名を残す事になった感じである。
しかしながらこんなアクシデントの中でも、落ち着いて処理して、最後までやり遂げると言うのは、さすがだなと感心させられた。

高橋選手は一昨年の大怪我で、昨年シーズンは手術とかリハビリとかで、スケートをする事もできない状態だったのを、昨年一年かけて元通りの状態まで回復させて、やっと今シーズンの復帰を果たしてのメダル獲得なのだから、大変な努力の人といえるだろう。
日本勢は小塚選手も8位に入賞となっている。
若手の小塚崇彦選手は4回転ジャンプにも成功したのだから、次のオリンピックでの活躍が期待できる。
明日から女子フィギアが始まるけれど、こちらも楽しみである。
私としたら真央ちゃんに金メダルを獲らせて上げたいのだけれど・・・・・

昨日のスノーボード・ハーフパイプの国母選手は、思い切った演技をしたのだけれど、
残念ながら終わり間際に、手を突いた為減点になってしまった。
それでも8位に入賞はまずまずと言えるのではないだろうか。
国保選手も難しい技に挑戦して失敗したのだそうである。
スノーボードで1位になったアメリカのショーン・ホワイト選手は、1回目の演技だけで既に金メダル獲得が決まっていたのだけれど、本人の意思で2回目の演技もやって見せた。
スノーボード・ハーフパイプは満点が50点だから、
40点以上出せたら、相当上位になれる。
1回目で46点台を出してトップだったショーン・ホワイト選手は、
2回目にはさらに難しい(危険な)演技をして、48点台を記録したのだった。
スノーボードを足につけて、斜面を滑りあがった挙句に空中で宙返りまでしてみせるのだから、間違って氷の上に逆様に落ちたりしたら、命の危険さえあるかもしれない。
見ているだけでも冷や冷やさせられるような競技なのである。
そんな危険をものともせずに、選手たちは次々と勇ましく滑り降り滑り上がる。

国保選手がカナダに着いた時、オリンピック選手の制服を普通の着方をしないで、
ぶっ飛んだ着方をしていたと言うことで、非難ごうごうとなっていたけれど、
スノーボードの競技を見た時、これは余程ぶっ飛んだ人でなかったら、やる気になる競技ではないだろうから、ある意味仕方なかったのかもしれないと思った。
普通の神経の人だったら、ここまで出来る様にはならないだろうし、
初めからやってみようと言う気にさえならないだろうと思えるような、
危険極まりない競技であった。

金メダルが決まっていたら、もう危険な演技をしなくても良いのに、
更に難しい技をやって見せた彼にとっては、メダルは勿論重要ではあるけれど、
メダルさえもらえたら、「もうこんな危険な事はやりたくない」と思うようなものではなく、
パフォーマンスを見せるチャンスは、危険であろうとどうであろうと絶対逃したくないという気持ちだけだったのではないかと思った。
スノボーの様な危険な競技の達人達は、普通の人間だったら臆するような危険なことを、軽々とやって見せる事に、生きがいを感じている様な、命知らずの猛者ぞろいなのだろうと思った。

そんな若者達は、所謂お行儀の良い慎重居士とは、全然違う人種なのではないだろうか。
そんな者に普通の感覚の人間になれと強制したら、
角を矯めて牛を殺すと言うことになるのかもしれないと思ったのだった。