半世紀を彷徨う

自分の心理状態や日々の出来事から趣味の事まで幅広く。

今でもいい思い出 愛犬との時間

2017-09-14 21:24:34 | 日記
親戚の家の庭に子犬が捨てられていた。
その頃人間関係と体の不調からノイローゼになっていた家内を元気にできたら
という言い訳とその可愛さから家で飼う事にした。

家に来た頃は両手のひらに乗せられる程小さかった。
雑種だったからなのか、病気になる事も無く常に元気。
一度回虫が湧いた事があり、驚いた。

家内の実家へ行く時にいつも寄る高速のSAが近づくと、
どうしてわかるのか分からないがク~ンと鳴き始める。
都合により寄らなかった時のあの絶望した表情が忘れられない。

人の言葉も理解する。うっかり「散歩」と言おうものなら
体を玄関に、顔だけ人の顔を見て「行くの!?」という顔をする。
「肉」という言葉にもすごく反応した。

ただ言葉も正確に聞き分けているのではなく、その時のシチュエーションや
イントネーションを聞いて理解する。細かくは聞いていないのだ。
だから散歩に行きそうな雰囲気で「さんぱ」とか「つんぽ」と言っても、
散歩という意味に取る。とてもポジティブだ。

でも言葉では伝わらない雰囲気、空気を読む。おれが不機嫌だったりすると
膝の上に上がり鼻を舐める。鼻の孔の奥まで舐めるからとても痛い。
しかし気が済むまで舐めまくる。

そんな愛犬も5年くらい前に老衰で死んでしまった。
涙が枯れるまで泣いて、すごくつらかった。
でもそれまでの約18年間、一緒に楽しく過ごした思い出をくれた。

今はお金を出せばクローンを作ってくれる会社もあるが、たぶんそれはしない。
次に死んでしまった時、「さて、死んじゃったからまたクローンを作るか。」
そうなってしまう事で愛犬の命の重さが軽くなってしまう気がして。
お骨はうちの墓にこっそり入れてある。