おとといの朝見つけた霜柱。子供の頃は見つけては踏みつけ、その感触を楽しんだ。
あたりの木を見たり、飛ぶ鳥の姿を忘れないようにじっくり見る。
年配の人が話す内容は季節毎の花が咲いているとか、あの鳥はヒヨドリだとか言うのは意味がある。
おれ自身アラフィフとなり、周囲の人の話を聞いていても、自分の死について考えるのはこの辺からのようだ。
なので自分が生きている間に季節により移り替わる景色を見ておこうと感じるのだろう。
少なくともおれはそうだ。ちょっと早死にする病気に掛かっている可能性があるから余計だ。
まあ日本の男性が平均寿命まで運よく生きながらえたとして、いいところ75程度だろう。
分かりやすく例えると、ここから自分の年齢を引いてみて、あと桜が見れるのはあと30回もないんだなと思う。
知っているはずの余命が浮き彫りとなり、実感できる。
でも終わりが見えているというのは悪いことではない。それまでにやっておきたいことはやっておけるのだ。
先日朝のニュースで、末期がん患者の男が「死ぬ前にスターウォーズの新作を見たい!」といったら、
まだ公開前の作品をその人に見せてくれた。その人は少しあとに亡くなったそうだ。
おれも昨年の始めに病気の話をされ、すぐ死んじゃったら後悔すると思い、
こりゃいかんとあわててUSJに一人で行って遊んできた。
幸いまだ平気そうなので、今年も行くぜ!と今から張り切っている。
冬は生き物につらい季節で、身の回りでも人が亡くなることが多い。
もっと生きたいのに事故、病気で亡くなる人も多い。
いつ死ぬか分からない。死ぬ時に「ああ、十分楽しんだ」と思えるようにしたいと思う。
しかし楽しむためには誰かが我慢しなければならなかったり、金の問題もある。
思い通りにはいかないが、満足に近づけるように努力をしたい。