小学校の時、特に親しくもなかったクラスメートから
手紙をもらった事がある。
卒業式の日だった。普段は半ズボンとかで
走り回っていた私も、その日のために用意した
新しいピンクのワンピースを着、
スカートの慣れない感触にぼんやりしていた。
そこへあるクラスメートが近寄ってきて、私に「はい」と
一通の封筒を差し出した。
唐突な出来事に私は「あ、え?」とか
間抜けな返事をしながらそれを受け取った。
水色の地にチェックの模様が入ったその頃流行りの、
ファンシー系の封筒だった。中に手紙が入っているらしい。
その差出人は、クラスの中でも
かなり大人びた感じの女の子だった。
成績が優秀で個性的な子だったが、私は彼女と
数えるほどしか口をきいた事がない。
クラスメートではあるものの、お互い積極的に
友達を増やすタイプでもなく
趣味趣向も共通したものが無かったので
何となく知り合いもしないままだったのだ。
その彼女が私に手紙を差し出している。
何の事かさっぱり分からず、封筒を受け取っても
ぼんやりしていた私に、彼女は
「一人で読んでね。…●●さん(私の名前)に、手紙書いたの」
と言った。
ますます訳が分からなくなったが、卒業の時に
クラスメートに手紙を配る人であるのかもしれない。
瞬時にそう判断して「どうもありがとう」と彼女に言った。
彼女はそれを聞いて、口元だけでにこりとすると、
すぐに真面目な顔になって立ち去った。
******
私はその手紙をかばんにしまい、卒業式に出た。
卒業と言っても中学校がすぐ隣にあり、
顔ぶれは大体一緒で繰り上がるだけなので
涙の伴うような式典ではなかった。
式が終わると友達と別れを惜しむでもなく
卒業証書と最後の成績表が入ったかばんを持ち
「又ね」と言って帰宅する。
昨日と何ら変わりの無い日だった。ただ一つ
ちょっと気になるものがかばんに入ってはいたが。
正直に言うと、封筒をあけるのは相当おっくうだった。
当時不幸の手紙や幸福の手紙といったチェーンメール、
おまじない系のオカルト物が流行った事もあり
私もそういった面倒な物を何通か受け取ったことがある。
それですっかり手紙に対して
厄介だなあという気持ちが根付いていたのだ。
夕飯を食べてテレビを見、お風呂に入って さて、
…仕方ない開けるか。という気持ちで封を切った。
便箋にして3枚、優等生の彼女らしい
少し右肩上がりのきれいな文字が並んでいた。
そういえば習字が上手かったな、と思いながら
私は便箋をパラパラと繰って読み、
それからもう一度頭から読んだ。
最後まで読み終わって、もう一度読み返した。
何度目をか読み終え、私は彼女に電話をしようと思った。
しかし時間は夜の十一時を回っていて
その時間に電話をかける事は
固定電話の時代、かなり非常識であった。
私は電話を諦めて、その後しばらくぼんやりとしていた。
手紙は「●●さん(私の苗字)へ」で始まっていた。
一緒のクラスだったけど、あまり喋る機会がなかったね、
修学旅行は楽しかったね、等と書かれていた。
確かに話す機会はほとんど無かった。修学旅行は
あまり覚えていなかったが、楽しかったような気がする。
彼女と同じ班だったろうか。いや違ったなあ。
内容は途中まで随分不可解に思えた。無理もない、
私と彼女はクラスメートという以外、何の接点もないのだ。
共通の話題を模索しつつ、
そんな何の接点もない彼女からの手紙は続いた。
どこそこでサッカーをした時、●●さんはこんな風にしたね。
優しいなあと思ったよ。図工の時間の工作は
いつも上手だった。何々も上手だったよ。
こんなに色々な事を上手に出来るんだから
もっと皆と仲良くしてほしかった。
******
随分痛いところを指摘するんだな、と思った。
図星を突かれた時の反抗的な気持ちが湧き上がり
そんなことないよと思ってみたが
それが嘘だという事は自分自身がよく知っている。
当時私は「人と仲良くする」ことを怠っていた。
さらに言えばその必要が無いと思っていたのだ。
とはいえつんけんしていた訳でも
仲間内だけで固まっていた訳でもない。
ただ人間関係について、自分から何か働きかけることが
まったくなかった。
偶然知り合って仲良くなった人以外
自分から友達を求めることがない。
これは私が転入生で、転入してきたばかりの時に
かなり面倒な人間関係に巻き込まれ
うんざりしてしまった結果なのだが
それが彼女の気に掛かったのだろう。
懸命に私の非社交性を
私を傷つけないように指摘し、それが損だという事を
伝えようとしていた。
ともすれば余計なお世話になりかねない内容だ。
頭のいい彼女の事だから、それはよく分かっていただろう。
彼女は世話焼きでも仕切り屋でもでしゃばりでもなかった。
私と積極的に仲良くしようとしている訳でもなかった。
関わらなければ済む問題であるのに、
なぜこんな手紙を書いて卒業式の日に渡したのだろう。
私は最初それが知りたくて電話をかけようとした。
でも時間が遅く、電話を諦めた後でもっとよく考えてみた。
なぜ、なんてどうでもいいんじゃないだろうか。
彼女に手紙を書かしめるような、
私に関する不名誉な出来事があったとしても
出来事の内容如何より重要なのは
私に手紙を書いてくれたことだ。
私が関わろうとしなかった誰かが私を気にかけ
私の損な部分を中学まで持って行かないようにと
手紙を書いてくれたのだ。
私は何だかひどく切ない気持ちになり
意識的に人との交流を絶っていた事を反省した。
彼女とは同じ中学校に上がったが
三年間同じクラスになる事はなく、顔を合わせる機会も無かった。
手紙については一言だけ、校内で出会ったときに
ありがとうとお礼を言ったがそれだけで
彼女も追記をすることはなく、相変わらず
口元だけの笑みを見せて別れた。
その後私は急激に交友関係を広め、とはいかなかったが
人を見る目は随分穏やかになり、
自分の中に出来ていた溝は少しづつ修復されていった。
何が間違っている、ではなく
何が損なのか。
そしてその損は被らなくてもいいものであり
あなたならそれが出来るはずだと
今の言葉で言えばそうなるだろう。
当時誰かが私のためにそう考え、時間を割き、手紙を書いた。
その事実に今まで随分助けられた。
かくも見事に私を助けた手紙は
大いに黄ばんでしまったものの
今も引き出しの中に入っていて
私を助けつづけている。
いつか彼女と再会した時に
もう一度お礼を言いたいが
彼女はやはり口元で笑うだけなのだろう。
長すぎる独白
読んでいただきありがとうございました。
手紙をもらった事がある。
卒業式の日だった。普段は半ズボンとかで
走り回っていた私も、その日のために用意した
新しいピンクのワンピースを着、
スカートの慣れない感触にぼんやりしていた。
そこへあるクラスメートが近寄ってきて、私に「はい」と
一通の封筒を差し出した。
唐突な出来事に私は「あ、え?」とか
間抜けな返事をしながらそれを受け取った。
水色の地にチェックの模様が入ったその頃流行りの、
ファンシー系の封筒だった。中に手紙が入っているらしい。
その差出人は、クラスの中でも
かなり大人びた感じの女の子だった。
成績が優秀で個性的な子だったが、私は彼女と
数えるほどしか口をきいた事がない。
クラスメートではあるものの、お互い積極的に
友達を増やすタイプでもなく
趣味趣向も共通したものが無かったので
何となく知り合いもしないままだったのだ。
その彼女が私に手紙を差し出している。
何の事かさっぱり分からず、封筒を受け取っても
ぼんやりしていた私に、彼女は
「一人で読んでね。…●●さん(私の名前)に、手紙書いたの」
と言った。
ますます訳が分からなくなったが、卒業の時に
クラスメートに手紙を配る人であるのかもしれない。
瞬時にそう判断して「どうもありがとう」と彼女に言った。
彼女はそれを聞いて、口元だけでにこりとすると、
すぐに真面目な顔になって立ち去った。
******
私はその手紙をかばんにしまい、卒業式に出た。
卒業と言っても中学校がすぐ隣にあり、
顔ぶれは大体一緒で繰り上がるだけなので
涙の伴うような式典ではなかった。
式が終わると友達と別れを惜しむでもなく
卒業証書と最後の成績表が入ったかばんを持ち
「又ね」と言って帰宅する。
昨日と何ら変わりの無い日だった。ただ一つ
ちょっと気になるものがかばんに入ってはいたが。
正直に言うと、封筒をあけるのは相当おっくうだった。
当時不幸の手紙や幸福の手紙といったチェーンメール、
おまじない系のオカルト物が流行った事もあり
私もそういった面倒な物を何通か受け取ったことがある。
それですっかり手紙に対して
厄介だなあという気持ちが根付いていたのだ。
夕飯を食べてテレビを見、お風呂に入って さて、
…仕方ない開けるか。という気持ちで封を切った。
便箋にして3枚、優等生の彼女らしい
少し右肩上がりのきれいな文字が並んでいた。
そういえば習字が上手かったな、と思いながら
私は便箋をパラパラと繰って読み、
それからもう一度頭から読んだ。
最後まで読み終わって、もう一度読み返した。
何度目をか読み終え、私は彼女に電話をしようと思った。
しかし時間は夜の十一時を回っていて
その時間に電話をかける事は
固定電話の時代、かなり非常識であった。
私は電話を諦めて、その後しばらくぼんやりとしていた。
手紙は「●●さん(私の苗字)へ」で始まっていた。
一緒のクラスだったけど、あまり喋る機会がなかったね、
修学旅行は楽しかったね、等と書かれていた。
確かに話す機会はほとんど無かった。修学旅行は
あまり覚えていなかったが、楽しかったような気がする。
彼女と同じ班だったろうか。いや違ったなあ。
内容は途中まで随分不可解に思えた。無理もない、
私と彼女はクラスメートという以外、何の接点もないのだ。
共通の話題を模索しつつ、
そんな何の接点もない彼女からの手紙は続いた。
どこそこでサッカーをした時、●●さんはこんな風にしたね。
優しいなあと思ったよ。図工の時間の工作は
いつも上手だった。何々も上手だったよ。
こんなに色々な事を上手に出来るんだから
もっと皆と仲良くしてほしかった。
******
随分痛いところを指摘するんだな、と思った。
図星を突かれた時の反抗的な気持ちが湧き上がり
そんなことないよと思ってみたが
それが嘘だという事は自分自身がよく知っている。
当時私は「人と仲良くする」ことを怠っていた。
さらに言えばその必要が無いと思っていたのだ。
とはいえつんけんしていた訳でも
仲間内だけで固まっていた訳でもない。
ただ人間関係について、自分から何か働きかけることが
まったくなかった。
偶然知り合って仲良くなった人以外
自分から友達を求めることがない。
これは私が転入生で、転入してきたばかりの時に
かなり面倒な人間関係に巻き込まれ
うんざりしてしまった結果なのだが
それが彼女の気に掛かったのだろう。
懸命に私の非社交性を
私を傷つけないように指摘し、それが損だという事を
伝えようとしていた。
ともすれば余計なお世話になりかねない内容だ。
頭のいい彼女の事だから、それはよく分かっていただろう。
彼女は世話焼きでも仕切り屋でもでしゃばりでもなかった。
私と積極的に仲良くしようとしている訳でもなかった。
関わらなければ済む問題であるのに、
なぜこんな手紙を書いて卒業式の日に渡したのだろう。
私は最初それが知りたくて電話をかけようとした。
でも時間が遅く、電話を諦めた後でもっとよく考えてみた。
なぜ、なんてどうでもいいんじゃないだろうか。
彼女に手紙を書かしめるような、
私に関する不名誉な出来事があったとしても
出来事の内容如何より重要なのは
私に手紙を書いてくれたことだ。
私が関わろうとしなかった誰かが私を気にかけ
私の損な部分を中学まで持って行かないようにと
手紙を書いてくれたのだ。
私は何だかひどく切ない気持ちになり
意識的に人との交流を絶っていた事を反省した。
彼女とは同じ中学校に上がったが
三年間同じクラスになる事はなく、顔を合わせる機会も無かった。
手紙については一言だけ、校内で出会ったときに
ありがとうとお礼を言ったがそれだけで
彼女も追記をすることはなく、相変わらず
口元だけの笑みを見せて別れた。
その後私は急激に交友関係を広め、とはいかなかったが
人を見る目は随分穏やかになり、
自分の中に出来ていた溝は少しづつ修復されていった。
何が間違っている、ではなく
何が損なのか。
そしてその損は被らなくてもいいものであり
あなたならそれが出来るはずだと
今の言葉で言えばそうなるだろう。
当時誰かが私のためにそう考え、時間を割き、手紙を書いた。
その事実に今まで随分助けられた。
かくも見事に私を助けた手紙は
大いに黄ばんでしまったものの
今も引き出しの中に入っていて
私を助けつづけている。
いつか彼女と再会した時に
もう一度お礼を言いたいが
彼女はやはり口元で笑うだけなのだろう。
長すぎる独白
読んでいただきありがとうございました。