私の母は、私が小さい頃から
食べ物の好き嫌いは無いと言い張ってきた。
そんな好き嫌いのない母親に育てられたおかげで
私は何でも食べる娘に成長した。
そこは大変感謝しているのだが、
この年になって少々気になることがある。
母さん、好き嫌い多いよね。
入院した時もそうだった。担当の看護婦さんに
嫌いな食べ物はありませんか、と聞かれ
「ありません!」と胸を張って答えていたが
翌朝さっそくにんじんを残していた。
次の日にはかぼちゃを残していた。
「どうして残すのさ」と聞けば
耳を疑うようなこの台詞
「だって嫌いなんだもーん」
だもーん じゃない。
今、食事は私が作っているが
母はやはり嫌いなものをよけて食べる。
母の茶碗に昆布を入れようとしたら
茶碗を手でかくす程の実力派だ。
筑前煮を作ればこんにゃくと鶏肉ばかりよそって
嬉しそうに食べている。
私がまだ小さい頃、好き嫌いは無いと言い張りながら
このように巧みに嫌いなものを避けて配膳していたのだろう。
幼い私はまんまと騙され、
こんにゃくと鶏肉の少ない筑前煮を
そういうものだと思い、ぱくぱく食べていたのだ。
子供というのは、母親が食材Aを「まずい!」と言うと
それを無条件で受け入れ、
Aの味=まずいという図式を作ってしまうという。
母に騙されたとはいえ、私は悪い先入観を持たずに
物を食べる事が出来た。ありがたいとは思う。
ありがたいとは思うんだが
もう騙す必要がなくなった途端
本性丸出しというのもいかがなものだろうか。
今日も茶碗に昆布を残し
ごちそうさまと言う母。
食べ物の好き嫌いは無いと言い張ってきた。
そんな好き嫌いのない母親に育てられたおかげで
私は何でも食べる娘に成長した。
そこは大変感謝しているのだが、
この年になって少々気になることがある。
母さん、好き嫌い多いよね。
入院した時もそうだった。担当の看護婦さんに
嫌いな食べ物はありませんか、と聞かれ
「ありません!」と胸を張って答えていたが
翌朝さっそくにんじんを残していた。
次の日にはかぼちゃを残していた。
「どうして残すのさ」と聞けば
耳を疑うようなこの台詞
「だって嫌いなんだもーん」
だもーん じゃない。
今、食事は私が作っているが
母はやはり嫌いなものをよけて食べる。
母の茶碗に昆布を入れようとしたら
茶碗を手でかくす程の実力派だ。
筑前煮を作ればこんにゃくと鶏肉ばかりよそって
嬉しそうに食べている。
私がまだ小さい頃、好き嫌いは無いと言い張りながら
このように巧みに嫌いなものを避けて配膳していたのだろう。
幼い私はまんまと騙され、
こんにゃくと鶏肉の少ない筑前煮を
そういうものだと思い、ぱくぱく食べていたのだ。
子供というのは、母親が食材Aを「まずい!」と言うと
それを無条件で受け入れ、
Aの味=まずいという図式を作ってしまうという。
母に騙されたとはいえ、私は悪い先入観を持たずに
物を食べる事が出来た。ありがたいとは思う。
ありがたいとは思うんだが
もう騙す必要がなくなった途端
本性丸出しというのもいかがなものだろうか。
今日も茶碗に昆布を残し
ごちそうさまと言う母。