というわけでこのブログ5周年記念の記事第3弾。トミカライフの特別編です。トミカライフの5周年記念企画は私が過去に集めたトミカコレクションの一部を紹介します。このシリーズは全3回を予定しています。
では今回は第1弾ということでいまから5年前に発売されたセットを初めて開封します。今まで開けてこなかったですが、このタイミングを逃すともう開けない気がするので開封します。
トミカは1970年発売で今年で45周年になります。今から5年前に発売された40周年記念のセット「トミカ40年記」セットを今回開封します。このセットはトミカが誕生して40年間のうち、1970年代、80年代、90年代、00年代の10年毎にわけ、その時代の特徴的なトミカを集めたものです。
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トミカ40年記上、下の2セット発売されました。確か2100円(当時の税込)だったと思います。
まずは上のセットから
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1台目が1970年トミカとして発売された、トヨタ2000GT です。初代のトミカですね。
1967年から70年までトヨタで販売されたトヨタ初の本格的スポーツカーです。ヤマハと共同開発され、ヤマハが生産していたもので「ヤマハ2000GT」と当時のトヨタの技術が低かったことを侮蔑するように呼ぶ人もいます。0 - 400m15.9秒の加速力と、最高速度220km/hという当時としては世界トップレベルの性能でした。当時の2000GTの価格は238万円だったそうで、当時のクラウンが2台、カローラが6台買える程に高価で1967年の初任給2万6000円を考えると21世紀初頭における1,500万円から2,000万円程度の感覚にも相当する超高額な車だったようです。当時としては先進的な技術がつまれ、デザイン的にも長いボンネット「ロングノーズ」が特徴でとても流麗ですね。しかし、サイズは全長4175mm、全幅1600mmと現代ではコンパクトカーと呼ばれそうな大きさです。トミカは2000GTが当初から設定していた「ソーラーレッド」が採用され、ドアが開くアクションが特徴的です。
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2台目は1989年トミカとして発売された日産・シーマ(初代)です。黒いのは現代のシーマ(5代目)です。
初代のシーマは1988年1月に発売されました。初代はセドリック・シーマ/グロリア・シーマと呼ばれ、日産の高級車であったセドリック/グロリアの3ナンバー専用の大型版として売られました。現在のシーマはセドリック/グロリアの後継車、フーガの大型版ですから今と一緒ですね。実はこのシーマは1987年6月のセドリック/グロリアのモデルチェンジの時に設定される予定はなかったモデルです。しかしモデルチェンジの2年前、トヨタのクラウンに3ナンバー専用の大型モデルが設定されるとしった日産が慌てて作った車だったのです。そのためセドリック/グロリアの標準モデルより半年遅れでの発売になりました。しかし、クラウンの大型モデルはクラウンにしか見えないのに対し、シーマは独自のデザインで半年遅れたこと、3.0lターボで後ろを下げた暴力的な加速、500万円という当時の車としてはバカ高い価格が「シーマ=特別な車」という印象を強めたことでクラウンに販売台数で勝つ大ヒットを記録します。これが「シーマ現象」と呼ばれるバブルを代表する出来事です。トミカとしては青が印象的なモデルでした。ドアが開くアクションは今と同じです。
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続いて1992年にトミカとして発売されたホンダ・ビート。
実車としては1991年に発売され、本田の創業者本田宗一郎が生きていた時に最後に登場したホンダ車でもあります。バブル景気に刺激されて浮かれきっていた1990年代初頭、軽自動車のスポーツカーがマツダAZ-1、ホンダのビート、スズキのカプチーノと発売され平成ABCトリオなんて呼ばれた時もありました。この中でビートの特徴は黄色のカラーにマッチ可愛らしいデザインの中に、当時すでに発売されていたNSXとの共通の自然吸気エンジンながら自主規制いっぱいの馬力を出していること、ミッドシップにエンジンを積んでいることがあげられます。つまり可愛らしくとも中身はNSXと同じ本格派ということです。これを意識してかNSXと同じルームミラーになっていたりもします。未だにファンの多い車で今年もうすぐ登場するS660はこのビートを現代の技術でつくったモデルといえます。トミカとしてはこの黄色が印象的でトミカとしても人気が高い1台です。私も幼稚園当時買ってもらい大事にしていたトミカですね。ちなみにトミカが中国生産に移管された時には赤にモデルチェンジされました。
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続いて2004年にトミカとして発売されたトヨタ・プリウス(2代目)です。銀色のほうが40年記のセット、青い方は2004年の発売された初回限定カラーで私が未だに所有しているものです。
プリウスといえば世界初のハイブリッド乗用車として知られています。今では日本国内で市民権を得たハイブリッドカーですが、この2代目から急速に普及していくことになります。初代のプリウスはまだハイブリッドカーが特別な車という感じでしたが、2代目プリウスからはエンジン、モータのパワーアップで低速域ではモータの力強い加速が味わえる他、燃費も大幅に良くなった車です。垢抜けたという感じですかね。2代目のプリウスは今より小さい1.5L+モータです。このシステムは今でも一級品でアクアに改良され搭載されています。トミカのアクションはリアゲートが跳ね上がるものです。
ここまでが上のセット。ここからが下のセットです。
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まず1974年にトミカとして発売されたスカイラインGT-Xです。
実車としては1972年から5年間にわたって販売されたモデルです。1957年から現在も販売されている日産の大看板モデルスカイラインですが、その中でも歴代最高販売台数を記録したのが、この4代目通称「ケンメリ」です。これは当時のキャッチコピー「ケンとメリーのスカイライン」から来ている愛称です。スカイラインは6気筒エンジンがGTモデルがイメージリーダーです。6気筒モデルにしかつい最近までGTのグレード名は与えられていませんでした。このGT-Xというのは6気筒のGTに対して豪華装備とより出力の大きなエンジンが特徴のモデルでした。当時のGTは115psに対しエンジンをツインキャブ化(ツインカムとは違う)し125psを発生したものです。外見はほとんどかわらないのですが、フロントグリル内側に金色のメッキがされていたようですが、さすがにそこまではトミカでは再現されていませんね。ドアが開くアクションがトミカでは採用されています。
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続いて1984年にトミカとして発売されたホンダ・シティターボⅡです。
実車では1981年に今の軽自動車よりも短い3380mmのボディに1470mmという当時としては画期的な背の高いボディを採用し「トールボーイ」と呼ばれ大ヒットしたシティ。この車は今でいうフィットのご先祖様ですね。この車に1983年インタークーラーターボ110psというエンジンを搭載したのが、このターボⅡです。ターボⅡということはもちろんターボもあり、こちらは100psのターボエンジンでした。これでもいまの軽自動車よりも短く、軽量なボディだったため、やたらに速い車でしたがさらに強力なエンジンをとうさいしたのが、このターボⅡです。エンジン回転数が3,000rpm以下の時にアクセルを全開にすると、10秒間だけ過給圧が10%アップする「スクランブルブースト」と呼ばれる機能も装備されていたとのことです。ちなみにこの車はブルドッグの愛称で親しまれています。丸いヘッドライトに膨らんだボンネットのバルジがブルドッグに見えたためホンダ自身がこのように呼んでいました。トミカとしては当時珍しいリアゲートが開くアクションです。
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続いてトミカとして1994年に登場したユーノスロードスターです。銀色のほうがトミカイベントモデルNo.24のユーノスロードスターです。赤が今回のセットのものです。
実車では1989年~1998年まで販売され、オープンカー市場を復活させたと言っていいクルマです。ユーノスというのはバブルの頃にトヨタ、日産とならぶメーカーになろうと広告代理店の口車にのってしまい、販売店の系列を増やすことにしたマツダの高級車チャンネルです。その際マツダというのはブランドイメージが悪いからと別の名前をつけてうることにしました。そのときに生まれたのがこのユーノスです。他にも現在でも残っているオートザムやアンフィニなんていうのがありました。いまでいうレクサスとトヨタの関係のようにマツダの名前を出さない一つのブランドのように販売していました。そんなマツダの戦略の第一弾となったモデルです。基本的にこの戦略は大失敗に終わり10年ぐらいマツダは瀕死の状態になるのですが、このロードスターだけは大当たりし現在でも販売されるマツダの看板モデルになっています。今年4代目にフルモデルチェンジされますね。トミカとしては赤いボディが発売された後、中国生産に移管されるときに外観が緑になり内装が黄色っぽいいろになりました。これは初代であったVスペシャルをイメージしたものですね。
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最後が2009年にトミカとして発売された日産GT-Rです。
実車では2007年に発売されたGT-Rです。後ろの覆面のものは当時プレス向けの発売前の試乗会などで実車のデザインを知られないようにするために実際に日産がみせていたものです。ゲームのグランツーリスモや、フジテレビの新報道プレミアAという当時の番組でも07年の東京モーターショーの正式発表前はこのような覆面がなされていました。トミカとして「トイズドリームプロジェクト」シリーズで覆面モデルは発売されました。
GT-Rとしては通算6代目に当たるものでそれまでスカイラインの1バリエーションだったGT-Rですが、このモデルから日産全体のイメージリーダーカーになっています。上で出てきたケンメリにも設定されていましたがわずか197台の生産台数だったことでも知られています。このGT-Rは従来のモデルとは比較にならないほど高い速度でサーキットやアウトバーンなどを走行できる動力性能を持つスーパーカーとしての実力をもつ現在の日本車では最高の実力をもつスポーツカーなのは知ってのとおりです。V63.8Lツインターボで現在のモデルは550ps、0-100km/h加速2.7秒というとんでもないスペックをもちながら街中で歩道の段差を乗り越える、雪道なども問題ないという全天候型のスポーツカーです。トミカとしてはドアが開くアクションです。
今回は以上です。最後まで読んでくださった方お疲れ様でした。次回の特別編も私のコレクションを取り上げますが、写真多めにします(笑)
では今回は第1弾ということでいまから5年前に発売されたセットを初めて開封します。今まで開けてこなかったですが、このタイミングを逃すともう開けない気がするので開封します。
トミカは1970年発売で今年で45周年になります。今から5年前に発売された40周年記念のセット「トミカ40年記」セットを今回開封します。このセットはトミカが誕生して40年間のうち、1970年代、80年代、90年代、00年代の10年毎にわけ、その時代の特徴的なトミカを集めたものです。
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トミカ40年記上、下の2セット発売されました。確か2100円(当時の税込)だったと思います。
まずは上のセットから
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1台目が1970年トミカとして発売された、トヨタ2000GT です。初代のトミカですね。
1967年から70年までトヨタで販売されたトヨタ初の本格的スポーツカーです。ヤマハと共同開発され、ヤマハが生産していたもので「ヤマハ2000GT」と当時のトヨタの技術が低かったことを侮蔑するように呼ぶ人もいます。0 - 400m15.9秒の加速力と、最高速度220km/hという当時としては世界トップレベルの性能でした。当時の2000GTの価格は238万円だったそうで、当時のクラウンが2台、カローラが6台買える程に高価で1967年の初任給2万6000円を考えると21世紀初頭における1,500万円から2,000万円程度の感覚にも相当する超高額な車だったようです。当時としては先進的な技術がつまれ、デザイン的にも長いボンネット「ロングノーズ」が特徴でとても流麗ですね。しかし、サイズは全長4175mm、全幅1600mmと現代ではコンパクトカーと呼ばれそうな大きさです。トミカは2000GTが当初から設定していた「ソーラーレッド」が採用され、ドアが開くアクションが特徴的です。
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2台目は1989年トミカとして発売された日産・シーマ(初代)です。黒いのは現代のシーマ(5代目)です。
初代のシーマは1988年1月に発売されました。初代はセドリック・シーマ/グロリア・シーマと呼ばれ、日産の高級車であったセドリック/グロリアの3ナンバー専用の大型版として売られました。現在のシーマはセドリック/グロリアの後継車、フーガの大型版ですから今と一緒ですね。実はこのシーマは1987年6月のセドリック/グロリアのモデルチェンジの時に設定される予定はなかったモデルです。しかしモデルチェンジの2年前、トヨタのクラウンに3ナンバー専用の大型モデルが設定されるとしった日産が慌てて作った車だったのです。そのためセドリック/グロリアの標準モデルより半年遅れでの発売になりました。しかし、クラウンの大型モデルはクラウンにしか見えないのに対し、シーマは独自のデザインで半年遅れたこと、3.0lターボで後ろを下げた暴力的な加速、500万円という当時の車としてはバカ高い価格が「シーマ=特別な車」という印象を強めたことでクラウンに販売台数で勝つ大ヒットを記録します。これが「シーマ現象」と呼ばれるバブルを代表する出来事です。トミカとしては青が印象的なモデルでした。ドアが開くアクションは今と同じです。
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続いて1992年にトミカとして発売されたホンダ・ビート。
実車としては1991年に発売され、本田の創業者本田宗一郎が生きていた時に最後に登場したホンダ車でもあります。バブル景気に刺激されて浮かれきっていた1990年代初頭、軽自動車のスポーツカーがマツダAZ-1、ホンダのビート、スズキのカプチーノと発売され平成ABCトリオなんて呼ばれた時もありました。この中でビートの特徴は黄色のカラーにマッチ可愛らしいデザインの中に、当時すでに発売されていたNSXとの共通の自然吸気エンジンながら自主規制いっぱいの馬力を出していること、ミッドシップにエンジンを積んでいることがあげられます。つまり可愛らしくとも中身はNSXと同じ本格派ということです。これを意識してかNSXと同じルームミラーになっていたりもします。未だにファンの多い車で今年もうすぐ登場するS660はこのビートを現代の技術でつくったモデルといえます。トミカとしてはこの黄色が印象的でトミカとしても人気が高い1台です。私も幼稚園当時買ってもらい大事にしていたトミカですね。ちなみにトミカが中国生産に移管された時には赤にモデルチェンジされました。
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続いて2004年にトミカとして発売されたトヨタ・プリウス(2代目)です。銀色のほうが40年記のセット、青い方は2004年の発売された初回限定カラーで私が未だに所有しているものです。
プリウスといえば世界初のハイブリッド乗用車として知られています。今では日本国内で市民権を得たハイブリッドカーですが、この2代目から急速に普及していくことになります。初代のプリウスはまだハイブリッドカーが特別な車という感じでしたが、2代目プリウスからはエンジン、モータのパワーアップで低速域ではモータの力強い加速が味わえる他、燃費も大幅に良くなった車です。垢抜けたという感じですかね。2代目のプリウスは今より小さい1.5L+モータです。このシステムは今でも一級品でアクアに改良され搭載されています。トミカのアクションはリアゲートが跳ね上がるものです。
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まず1974年にトミカとして発売されたスカイラインGT-Xです。
実車としては1972年から5年間にわたって販売されたモデルです。1957年から現在も販売されている日産の大看板モデルスカイラインですが、その中でも歴代最高販売台数を記録したのが、この4代目通称「ケンメリ」です。これは当時のキャッチコピー「ケンとメリーのスカイライン」から来ている愛称です。スカイラインは6気筒エンジンがGTモデルがイメージリーダーです。6気筒モデルにしかつい最近までGTのグレード名は与えられていませんでした。このGT-Xというのは6気筒のGTに対して豪華装備とより出力の大きなエンジンが特徴のモデルでした。当時のGTは115psに対しエンジンをツインキャブ化(ツインカムとは違う)し125psを発生したものです。外見はほとんどかわらないのですが、フロントグリル内側に金色のメッキがされていたようですが、さすがにそこまではトミカでは再現されていませんね。ドアが開くアクションがトミカでは採用されています。
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続いて1984年にトミカとして発売されたホンダ・シティターボⅡです。
実車では1981年に今の軽自動車よりも短い3380mmのボディに1470mmという当時としては画期的な背の高いボディを採用し「トールボーイ」と呼ばれ大ヒットしたシティ。この車は今でいうフィットのご先祖様ですね。この車に1983年インタークーラーターボ110psというエンジンを搭載したのが、このターボⅡです。ターボⅡということはもちろんターボもあり、こちらは100psのターボエンジンでした。これでもいまの軽自動車よりも短く、軽量なボディだったため、やたらに速い車でしたがさらに強力なエンジンをとうさいしたのが、このターボⅡです。エンジン回転数が3,000rpm以下の時にアクセルを全開にすると、10秒間だけ過給圧が10%アップする「スクランブルブースト」と呼ばれる機能も装備されていたとのことです。ちなみにこの車はブルドッグの愛称で親しまれています。丸いヘッドライトに膨らんだボンネットのバルジがブルドッグに見えたためホンダ自身がこのように呼んでいました。トミカとしては当時珍しいリアゲートが開くアクションです。
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続いてトミカとして1994年に登場したユーノスロードスターです。銀色のほうがトミカイベントモデルNo.24のユーノスロードスターです。赤が今回のセットのものです。
実車では1989年~1998年まで販売され、オープンカー市場を復活させたと言っていいクルマです。ユーノスというのはバブルの頃にトヨタ、日産とならぶメーカーになろうと広告代理店の口車にのってしまい、販売店の系列を増やすことにしたマツダの高級車チャンネルです。その際マツダというのはブランドイメージが悪いからと別の名前をつけてうることにしました。そのときに生まれたのがこのユーノスです。他にも現在でも残っているオートザムやアンフィニなんていうのがありました。いまでいうレクサスとトヨタの関係のようにマツダの名前を出さない一つのブランドのように販売していました。そんなマツダの戦略の第一弾となったモデルです。基本的にこの戦略は大失敗に終わり10年ぐらいマツダは瀕死の状態になるのですが、このロードスターだけは大当たりし現在でも販売されるマツダの看板モデルになっています。今年4代目にフルモデルチェンジされますね。トミカとしては赤いボディが発売された後、中国生産に移管されるときに外観が緑になり内装が黄色っぽいいろになりました。これは初代であったVスペシャルをイメージしたものですね。
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最後が2009年にトミカとして発売された日産GT-Rです。
実車では2007年に発売されたGT-Rです。後ろの覆面のものは当時プレス向けの発売前の試乗会などで実車のデザインを知られないようにするために実際に日産がみせていたものです。ゲームのグランツーリスモや、フジテレビの新報道プレミアAという当時の番組でも07年の東京モーターショーの正式発表前はこのような覆面がなされていました。トミカとして「トイズドリームプロジェクト」シリーズで覆面モデルは発売されました。
GT-Rとしては通算6代目に当たるものでそれまでスカイラインの1バリエーションだったGT-Rですが、このモデルから日産全体のイメージリーダーカーになっています。上で出てきたケンメリにも設定されていましたがわずか197台の生産台数だったことでも知られています。このGT-Rは従来のモデルとは比較にならないほど高い速度でサーキットやアウトバーンなどを走行できる動力性能を持つスーパーカーとしての実力をもつ現在の日本車では最高の実力をもつスポーツカーなのは知ってのとおりです。V63.8Lツインターボで現在のモデルは550ps、0-100km/h加速2.7秒というとんでもないスペックをもちながら街中で歩道の段差を乗り越える、雪道なども問題ないという全天候型のスポーツカーです。トミカとしてはドアが開くアクションです。
今回は以上です。最後まで読んでくださった方お疲れ様でした。次回の特別編も私のコレクションを取り上げますが、写真多めにします(笑)