東日本大震災 現地復興支援センター

・・・真宗大谷派(東本願寺)の東日本大震災による被災地での支援・復興活動ブログ・・・

2018年10月27~28日 大谷大学TAT第25便/宮城県仙台市・【視察・活動】

2018-10-30 15:56:31 | 活動日記

大谷大学のTAT第25便の視察・活動です。

今回の日程は、仙台市若林区の東六郷コミニュティセンターを会場に行われた『第2回ふるさと交流祭』にて活動を行いました。当日は仙台教区仏教青年会の皆さまにもご協力をいただきました。

この『ふるさと交流祭』は、六郷中学校の武道館と体育館に避難していた人たちの主な移転先、ニッペリア応急仮設に住んでいた皆さんが、仮設や地域との交流を図るために震災後に始めたお祭り、『ニッペリア祭り』が基になっています。 大谷大学TATも、これまでにニッペリア仮設住宅で活動を行っており、その繋がりの中で今回の祭りに際して「是非来てください」とのお声がかかり、参加することとなりました。交流祭は、大学生ボランティアや六郷すずめ踊り、お母ちゃんズによる豚汁など、仮設の頃から関わっている皆さんが、元ニッペリア自治会長で現在は二木町内会会長の阿部東悦さんをはじめとした自治会の皆さんの呼びかけで集まりました。

初日は朝7時30分に東北別院到着し、お参りと朝食・休憩の後、名取市閖上地区と仙台市荒浜地区の視察を行いました。閖上地区の「閖上の記憶」では、語りべの佐々木清和さんからお話をお聞きしました。

   

視察後は、別院に戻ってきて昼食をとった後、それぞれ買い出し、炊き出し、縁日の担当に分かれて翌日の活動準備を行いました。

  


翌日は、朝8時30分に5台の車に分乗し、別院を出発。東六郷コミュニティセンターに到着後、準備を行いました。

今回の炊出しメニューは、麻婆豆腐、焼きそば、焼き鳥、ポップコーンです。食数は200食。最近の炊き出しではなかなかない食数です。

準備が始まると、教職員・学生の皆さんも手際よく準備に入ります。焼き鳥750本、焼きそば約20㎏、麻婆豆腐約15ℓがどんどん調理されていきます。テントの中にいい匂いがプンプン。食欲がそそります。配食が開始になると、たくさんの方々がテントに来てくださり、飛ぶように無くなっていきます。焼きそばは、待ち時間ができるほど人気!!焼いていた学生も必死です。

     

また、縁日も開催しました。受け付けが始まるとたくさんの子どもが来てくれました。担当した学生さんも楽しそうに子どもたちに接していました。

    

作業中には、地元の方からずんだ餅や芋煮、塩おむすびなどの差し入れがありました。仙台名物にみな舌鼓…。

午後2時までの交流祭となりましたが、全ての料理は準備した分すべてが配食され、余りはありませんでした。教職員・学生の皆さんはフル回転で頑張っていただきました!!

    

活動後は後片付けをし、夜8時前に別院を出発し、翌日朝、大学に無事到着されました。今回も、非常にタイトな日程の中で活動いただき、ありがとうございました。

なお、今回の活動の詳細は、下記のFacebookをご覧ください。
TAT Facebook⇒https://ja-jp.facebook.com/otani311/


2018年10月18日〜19日 名古屋教区第2組/岩手県・宮城県【活動・視察】

2018-10-30 15:07:23 | 活動日記

名古屋教区第2組の災害ネットワーク研修・東日本大震災現地研修による本稱寺(陸前高田市)での活動と宮城県仙台市・名取市沿岸部の視察です。

名古屋教区第2組の災害ネットワーク研修は毎年この時期に岩手県陸前高田の本稱寺様を会場に活動を続けてこられ、今年度で5回目となりました。今回は6名の方にご参加いただきました(その他、仙台教区仏青より2名、現地復興支援センターより1名が参加しました。また、ちょうどその日が気仙組の定例法話会の会場が本稱寺であったため、講師であった仙台教区内寺院の僧侶の方1名にもご参加いただきました。)。

今年度は、新しくなった本稱寺様の本堂の台所と本堂の脇の場所を貸していただき、炊き出しを行いました。

18日は、まずは東北別院本堂にて開会式を行いました。開会式ではお勤めの後、名古屋教区第2組教化委員会の教化方針をみんなで拝読し、今回の活動の趣旨・理念をみんなで確認するところからスタートしました。

本稱寺様に到着後、炊出し準備がスタート。昨年は小雨が降り、意外と寒い状況でありましたが、今年はいい天気となりました!

今回のメニューは、五目御飯、豚汁、おでんです。おでんは、毎年恒例!名古屋特製の味噌だれにつけていただく名物おでん。

現地復興支援センターと仏青メンバーは焼き鳥を焼きました。そして、今年も三陸の海で獲れた脂ノリノリのサンマを差し入れいただきました。半分はお刺身で(参加者の方が捌いてくださいました)、そして半分はもちろん炭火で焼きました!炭火で網焼きをすると、サンマの皮がはがれてしまうため、落ち着いた火力でじっくりと火を入れなければならない難しさ…。本稱寺ご住職に丁寧に焼き方を教えていただきながら、何とか焼くことが出来ました。

     

そして懇親会がスタート。本稱寺本堂横の広間には本稱寺ご門徒の他、気仙組のご門徒の方も定例法話会に引き続き参加してくださいました。毎年開催しているため、名古屋第2組のメンバーもご門徒さんもほとんどが顔見知り。すでに名前を憶えている方がほとんどです。話も大いに盛り上がりました。おいしいご飯にお酒も進みました(笑)。

  

19日は、宿泊の大船渡から宮城県に戻り、名取市のゆりあげさいかい市場で昼食。その後に閖上の日和山とその周辺を散策しました。その後は仙台市若林区の沿岸へ。海楽寺様で前坊守様のお話を聞くことが出来ました(たまたま通りかかりにお声掛けしたところ、前坊守様が丁寧にご対応してくださいました。ありがとうございます)。お話のあとは、海楽寺様の目の前にある津波避難タワーを間近で見ることが出来ました。

   

その後は、すぐ近くの震災遺構荒浜小学校へ。スタッフの方のお話をお聞きし、震災の日のドキュメンタリー映像を見ました。何度見ても、その臨場感のある映像と証言に胸が締め付けられる思いです。

視察後は、仙台駅までお送りして日程が終了しました。

今回印象的だったのは本稱寺様での懇親会の際に、ご住職がお話された内容です。

今年は全国各地の自然災害で甚大な被害が多発しました。その被災地取材でテレビクルーに答える被災者の方たちが先ず言うことは「まさか自分の身にこのような災害が起こるとは夢にも思っていなかった。どれだけ大雨が降っていても、避難勧告などがでても、自分のところまでは来ないから大丈夫と思っていた」ということであったとのこと。その言葉を聞いて非常に残念に思ったそうです。

東日本大震災で被災した時、ご住職も「まさか自分には…」と同じことを思ったそうです。しかし、実際に津波が寺を襲い、自分も津波にのみ込まれた。そのような経験をしたからこそ、この7年半はそのことを全国から来るたくさんの方にお伝えし「災害は例外なく誰にでも起こりうる。だからこそ、被災地の声を聞いてほしいし、そのことが防災・減災の力になってほしいと願ってきた」とのことでした。しかしながら、それでも「まさか自分には」と思い、犠牲になる人が出てくる。そのことを思う時、震災から時間が経ち、東日本大震災の被災地の声は忘れられてきてしまっているのではないか、私たちの声はもう届かないのではないかと悲しくなったとご住職はおっしゃっていました。

明日、自分に災害が起こるかもしれません。このようなことを言うのは不謹慎でしょうか。不安を煽るだけでしょうか。本当にそうなるかもしれませんし、ならないかもしれません。それは正直わかりません。

しかしながら、災害に対して身も心も備えておくことで「自分の命を守ること」「大切な人の命を守ること」ができるかもしれません。それはすでに、東日本大震災で被災された方たちが私たちに叫び続け、教えてくださっています。

遅すぎでもなんでもありません。今こそ実際に被災した方たちの声に耳を向けなければならないと、改めて思う大切な機会でありました。


2018年10月4日 東京教区同朋社会推進ネットワーク/宮城県石巻市【活動】

2018-10-30 13:33:51 | 活動日記

東京教区同朋社会推進ネットワークが企画実施する東京教区ボランティア活動が、宮城県石巻市の市営小網倉浜復興住宅の集会所で活動を行いました。

 

東京教区は震災後、小網倉仮設住宅にて行われていた活動ですが、前回2016年12月からはその仮設住宅から多くの方が移り住まわれた市営復興住宅で活動をされています。そのため、顔見知りの住人の方が多く、「お久しぶりです!!お元気でしたか?」と笑顔で挨拶を交わしている姿がとても印象的でした。集会所の周りのほぼすべての住宅をまわり、交流会の宣伝をしたおかげか、時間になると多くの方が参加してくださいました。

メニューはすき焼きと揚げ物で、仙台仏青と復興支援センターで焼き鳥を提供させていただきました。集会所の中では机といすをセッティングし、すき焼きの準備が進められ、外では揚げ物と焼き鳥が順次つくられていきます。活動のたびにお手伝いをしてくださる住民の方は、今回も準備に参加いただき、おいしい揚げ物を調理くださいました。準備中には、元気な子供の姿も。おいおい、つまみ食いが多いな…(笑)。

   

開宴すると、ワイワイとみなさん楽しく会話をしながら、料理を召し上がっていただきました。震災から7年半が経過し、生活環境が年々大きく変わっていくなかで感じることやあの日の記憶、現在の生活のことなど、様々なお話をお聞きすることが出来ました。

参加者のある方がお話されました。「震災が起こったことによって、それまでは他人のために自分が何かをしようなんて一切思わなかったが、震災が起こってからは変わった。地域の方や周りの方のために何かをしたいと思うようになったし、そういうことに喜びを感じるようになった」とのことでした。

災害は身の回りに起こらないことを願うばかりですし、東日本大震災では、大切な人や家、財産など多くのものを奪われた方が大勢いるのも事実です。そのような方のすべてが、震災後、時間が経過する中で前向きにならなければならないということでは決してありませんが、たくさんの方とのつながりの中で、自分にできること、自分がやらなければならないことを考え、実践されている方も多くいらっしゃるということにあらためて頭が下がる思いでした。