21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

経済論者vs環境論者

2007年05月26日 08時44分34秒 | Weblog
 経済系の人間と環境系の人間は何故か仲が悪い。別にしょっちゅう喧嘩をしていると言うわけでもないけれど、相互理解をする気はないみたいだ。まるで、文系の人間と理系の人間ほどに確執がある。。。。。。面白いところは、環境系には女性が多く、経済系には男性が多いと言う事だ。そして両方とも科学的って言ってるクセして、相手の分野には理解が無くて、相手側の分野から横やりを入れられるのを嫌がる。。。。「経済環境学」って言うのは、自然に値段をつけて(この国立公園は1億円とか)その上で、環境保護の方が経済的に有利か、工業開発の方が将来的に有利かって言うのを見る学問だ。「環境経済学」っていうのは、環境保護が安定した経済発展につながるって考え方から、持続的経済発展を研究している。。。。

 当然の話だが、「自然」に人工的に適切な値段をつけることは現実的に不可能だし、自然災害/天変地異も起こるにもかかわらず環境を保護しているだけで、「経済が安定する」って言う考え方も現実に即していない。。。。。まぁ、現代の’科学なんて大体そうだけどね。

『あるある大辞典』ほどの積極的な嘘はそうそう無いけれど、消極的な嘘なら世の中にいくらでもある。
 『モンゴロイドの脳は、コーカソイド/ネグロイドのより大きい』『女性の脳は、男性の脳より小さい』って言うのは本当の話だが(みんな平等って言う社会的原則の中で)、生物学者はだれもそれを公に発言し、研究することができなかった。。。。。ちなみに、勘違いしてもらいたくないのは、『脳の大きさ』と『知能/頭の良さ』には関係がないと言う事だ。決して、モンゴロイドは他の人種より頭が良いと言う事も無いし、男性が女性より有能だと言う事でもない。
 単に、『脳みそ/頭蓋骨/頭がデカイ=知能が高い』と言う公式が成り立つとしたら、体格の大きい大相撲の力士の中からもっとノーベル賞の受賞者が出ていないとおかしいし、体格の小さい小学生が大人顔負けの計算をやってのけて、天才児’ってもてはやされることないはずだ。

学力’格差

2007年05月26日 08時15分35秒 | Weblog
 人は生まれたときは平等かもしれない。。。。少なくとも、昔に比べれば日本人は皆平等な環境に生まれている。
 ただ、その後の育てられ方で格差がでてくる。(と言うわけで、私は早期乳幼児教育に賛成です。。。ただ、どんな教材でも効果があると言うわけではないし、金をかければ良いと言うわけでもない。多くの場合、幼児教育は費用の割に効果がない>効果があると言う科学的根拠もなければ、効果が無いと言う科学的根拠も無い>お金をかけるよりも、時間をかけて、子供を大切にしてあげることが、最も効率的なンじゃないかと、私は勝手に思い込んでいる。(笑)

 日頃の生活で気付く、学力から来る格差は、「自信」と「本との距離」だ。

まず、学力が上の人の方が、「成功体験が多く」自信を持っていると言う事だ。難題にぶつかった時に、強い自信を持っている人の方が、長時間集中して取り組む傾向がある。だから、やっぱり成功する確率が高い。別に’頭が良いからってわけじゃないく、長時間諦めずに集中できる分だけ、成功率が高い。逆に彼らの場合、失敗が大きく自信を損ねることがある。そうなってしまえば、学力なんて関係ない。人間駄目になる。。。。。。助言としては、どうせ完璧な人間なんていないんだ、失敗したって良いじゃないか、私だって出来るところまでとことんやってやる’って考えておくのが良いと思う。

次は”本との距離。学力の高い人の方が、本をいっぱい読んでいる。そしてその分だけ、難しい本’ってヤツに気後れせずに手を出せるから、勉強になる。その上、大量に貴重な本や無駄な本を呼んでいる分だけ、目が肥えている。大量の本を読んでいるうちに、最初の5ページも読めば、その本が’読み切る価値があるかどうかを判断できるようになり、無駄な読書/時間を費やさないようになる。その上、読書から得た知識が、成功体験に結びついた経験があれば、もっと本を好きになり、勉強を始める。
 これもやっぱり’気分の問題だ。頭の良いヤツだって、最初は無駄な本も大量に読んできた。ようは気遅れすること無く、本に手を出していけるかどうかだろう。


 学力格差は存在する。だからと言って、無意味に気後れする必要はない。周りの人間に10年出遅れた’と思うのなら、これから努力を初めて、そいつらより最終的に10年長生きすれば良いだけの話だ。20年長生きすれば、絶対に元は取れる。。。。。。。ってまぁ、人の幸せって言うのは、それぞれの人にとって違うけどね。

銃vs弓矢

2007年05月26日 07時45分44秒 | Weblog
「知ってるか?銃って弓矢よりも強いんだぞ。」なんて当たり前の文章を書く為にこんなタイトルはつけない。俺がここで書きたいことは「銃は弓矢に勝てなかった(過去形)」ってことだ。

 欧州のアメリカ大陸進出(1500年代)には、インディオの武器に対して、先進的な重火器が大きな役割を果たしたって言うが、そんなの嘘だ。当時の銃は、開発された当時で、まず殺傷射程距離自体が弓矢に勝てていなかった。その上、弾丸を重心の中に固定する技術ー薬莢が発達していなかったせいで、山岳戦にものすごく弱かった。(敵がどこから来るか分からないに山中で、銃身を下に向ければ、弾丸が転がり落ちてしまう)その上、再装填するにもモノ凄い時間がかかった。一発撃ったあとに、弾を詰めていればその間に殺されてしまう。

 日本の戦国時代の有名な銃撃戦の名手は、長篠の合戦を制した織田信長だが、信長も山中にある本願寺攻めの時は銃に頼らなかった。銃は、敵が遥か遠くから視界にいる平野でのみある程度の威力を発揮したのだ。(音は凄かったし) 少し時代を下ると、ライフルをフル装備した明治陸軍は、山中での白兵戦が主だった西南戦争で苦戦している。

 山中での生活に慣れていて、上下関係なく、長距離を射抜ける弓矢を駆使できたインディをが、1500年代の銃に負けたとは考えられない。特に、大型船でも一度に数百人規模の兵士を運ぶのが限界だった当時、現地で無限に兵士/食料を徴用できたインカの側が戦闘において絶対的に有利だったはずだ。

 私は、移住者/船に紛れ込んでいたネズミと一緒に、アメリカに上陸したインフルエンザ/ペストが、徐々に原住民の力を削いでいったという説に、同意する。
 もしかしたら、さらに征服者側がインディオの部族同士の争いを煽っていた、と言うのも本当の話なのかもしれない。それならば、本人達は力を浪費すること無く、敵の力を削ぐことができる。


 そうまるで、イラクで宗教対立が激化していることよって、米軍は何をしてもしなくても、変わらないかのように。米軍は一度撤退した後で、宗派対立でイラク国民が力を失い、勝敗がはっきりしたあとで、再侵攻した方が経済的だろう。油田も今現状を維持しているより、簡単に手に入ると思う。(倫理的じゃないし、評判は落ちるだろうけど)

分かり易くなっていく演説

2007年05月26日 07時18分18秒 | Weblog
 話す時、文章を節ごとに切った方が分かり易いって言う。だから、難聴者の為に、ニュースを呼んでいるアナウンサーの声を機械で引き延ばしても、節ごとの間を詰めれば、時間内に収まる。

 その一方で、天皇や米国大統領の演説は、細切れで長ったらしい。しかも、最近はこの節’の長さがドンドン短くなっているらしい。JFKの時代から比べると、一節の長さが、半分以下になっているそうだ。。。。。やっぱり、JFKの演説の映像なんか見ると英語が聞き取りづらい。。。。その一方で、ブッシュさんの演説は分かり易い。

って、、、、これを米国人の英語力の低下’って言う人もいます。まぁ、そう言われればそうかな? 日本人にだって簡単に聞き取れるぐらい、大統領が演説を簡単にしないといけないわけだし。 まぁ、アメリカは移民の国だ。もしかしたら、公立学校教育の崩壊が国語力の低下を招いたわけではないかもしれない。単に、英語を第一言語としない人口が増えれば、平均的な国語力は落ちる。

郷に入っては郷に従えー In Roma, do as Romans do,

2007年05月26日 07時07分17秒 | Weblog
 「異文化理解」って?!?、海外に商売に行く時、相手先の文化を知り理解しておくのは重要だ。郷に入っては豪に従え、ってね。

 だからって、商売相手側の人間に、日本の文化を理解してもらおうっていうのは贅沢だ。『異文化学習』って言うのは、あくまで「日本人は海外の文化を理解し尊重しよう」って言う為にあるのであって、他の人達は日本の文化なんて気にしない。

 数年前まで’理想とされていた、「多文化国家」ももう無くなってしまった。ヨーロッパでは(パリでの暴動が有名だが)、数々の文化衝突が起きている。アメリカでも、キリスト教保守派を味方に付けた共和党が力を持っているし(その前は、’無宗教系の民主党だったが)、オーストラリアでも’白豪主義の影響力が弱くなっているような気はしない。。。。。あくまで、2つの文化が出会う時、そこにあるのは『衝突』と『勝敗』だ。異文化学習’を全面にかかげている日本は、自分から負けを認めて衝突を避けようとしているに過ぎない。(商業目的で海外に行く場合、文化的違いでのもめ事で時間を浪費するのは論理的じゃない。相手にバカにされようが、尊敬されようが、要は少しでも多く、少しでも高く売ればー安く買えればー良いわけだ。)

 大航海時代、アメリカ・アフリカ大陸でヨーロッパとの文化の対立があった場合、その勝敗を決めたのは、あくまで銃ー軍事力だ。ようは多数派が勝つ。

 海外に出かける場合、無用な対立を避ける為に、相手の文化を理解置くことは重要だ。だけど、相手に自分を理解してもらおうとは思わないことだ。多数派には勝てない。