今年初めての城廻は軽井沢から最も近い城小諸城です。
本ブログでは、小諸城を2回取り上げています。
第6回ふうちゃんのお城ブログ 学生時代から何度も訪れた城(小諸城) - ふうちゃんのお城ブログ (goo.ne.jp)
第7回ふうちゃんのお城ブログ 続小諸城(少しつれづれなるままに) - ふうちゃんのお城ブログ (goo.ne.jp)
今回で3回目となります。
懐古園の額のあるお馴染みの三の門です。
明和2年(1742)に再建された現存の櫓門です。
2020.7の大雨で三の門の石垣と塀の一部が崩壊したので、
災害復旧工事がおこなわれています。
年末に行われたお城に関するイベントあるで次のことが問われました。
小諸城の現存の門は次の組合わせのどれでしょう。
1 大手門と二の門
2 大手門と三の門
3 二の門と三の門
4 一の門と二の丸西門
答えをお知らせする前にわたしがどのように考えたのかをたどっていきます。
冒頭で書いたように三の門は
明和2年(1742)に再建された現存の櫓門です。
だから、答えは2か3と言うことになります。
わたしは小諸城というより懐古園には学生の時から何回も行っています。
しかし、大手門に行ったのは第7回で行ったときが初めてでした。
でも、第7回では大手門について触れていません。
理解が浅かったのです。
この解説を読み、最後の五行目
「平成20年、江戸時代の姿に復元されました。」
の「復元」が頭に残っていた程度です。
わたしの頭は「大手門は復元だ」と理解してこの問題に臨みました。
すると、大手門は復元なのだから
現存は二の門ということになります。
しかし、小諸城の二の門は
礎石と石垣が残るだけで、現存の門なんてありません。
すると、大手門が現存でなければなりません。
今回、よく探してみると先程の解説(この解説そのまま健在です)
とは別の場所に
新しい解説がありました。
重要文化財の解説の所にこのように書かれています。
「大手門またはの名を瓦門といい、小諸城主仙石秀久が築造した正門です。
現存の門は、
慶長17年(1612)年の建立と言われています。
近世初頭の大型の城門として、
日本の城門発展の過程を知るうえの価値が高く重要な建物です。」
別の資料(こもろ観光局のインターネット)には、
「明治期には、民間に払い下げられ、
料亭や小諸義塾の仮校舎のとして
利用されていた時期もありましたが、
平成に入って小諸市に寄贈されました。
平成の大改修、復元修理を経て、
仙石秀久による創建当時の姿によみがえっています。」
現存と言うからには何か残っていなければならないと思います。
「現存」と「復元」の言葉の使い方を明確にしていく必要があります。
兎に角ここでは、大手門は現存の櫓門ということにしておきましょう。
問題の正解は
「2 大手門と三の門」ということになります。
さて、冬の小諸城を訪ねることによって第7回で触れた
地獄谷(酔月橋)浅間軽石流で出来た断崖をはっきり目にすることが出来ました。
冬は木が枯れているので地表が見やすいのです。
冬の千曲川の景観もまわえました。
そして、いつ見ても素晴らしいのは天守の石垣です。
雪が被った石垣も格別です。
(2022.1.6 訪問)