ふうちゃんのお城ブログ

お城巡りについての記録、城郭検定試験の体験談

第9回(改訂版)ふうちゃんのお城ブログ 子どもたちと何回も行ったことのある松本城

2022-01-13 14:43:14 | 日本百名城

 江戸時代またはそれ以前に造られて、

 今存在している現存天守は

  12あります。

 弘前城、松本城、犬山城、丸岡城、彦根城、姫路城、

 備中松山城、松江城、丸亀城、高知城、宇和島城、松山城です。

 この中でどれが一番好きかと問われたら

 松本城と答えます。

 それは、以下のようなことのためかもしれません。

 小学校の教員をしていたとき、

 夏休みの林間学校で、6年生の子どもたちと中房温泉(https://nakabusa.com/)に宿泊し、

 燕(つばくろ)岳(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%95%E5%B2%B3)に登山をしていました。

 松本駅から中房温泉までの行程で、必ず松本城を見学していました。

 担任として、引率教員として、実地踏査要員として、合計10以上行ったことがあります。

  こんな多くの回数行った城は、地元の江戸城を除いてないと思います。

 これは、わたしが写した一番好きな松本城の写真です。

なぜかというと,

国宝の建物が全て写っているからです。

左から、月見櫓、辰巳附櫓、天守、渡櫓(少し見えにくい)、乾小天守となります。

 

社会科教師であっても、

特に、お城に特別な関心がなかったわたしは、

子どもたちに、

今、国宝のお城が5つ(当時は4つ)あり、

江戸時代から今まで現存するお城は12しかないこと、

など城に関する基本的な知識さえ話すことができませんでした。

何しろ本ブログ第8回で述べましたが、

わたしが城に関心をもち、城の知識をもつようになったのは、

平成27年(2015)10.30、故杉渕さんと福山城に行って以来なのですから。

第8回ふうちゃんのお城ブログ  ふうちゃんを城道(しろみち)へ誘ってくれた恩人杉渕尚さんを悼む - ふうちゃんのお城ブログ (goo.ne.jp)

今ならどんな話ができるか、松本城を見るたびに考えます。

 これは、長野県聖火リレー最終ランナーの小平奈緒さんと松本城です。

 2021年4月2日のことです。

 わたしはこれを軽井沢にいてipadの画面を通してみていました。

 軽井沢から車で2時間近くかかる松本の映を

 リアルタイムで見ることができる。

 いや、日本中の人が小平奈緒さんと松本城の映像をリアルタイムで目にすることができる。

 待てよ、これはインターネットだ。

 世界中の人が同時に見ることができるのだ。

 日本の美しい光景を同時に見ることが出来る。

 こんな教材ウオッチングをしました。

 国際化、情報化の教材として使えそうです。

 さて、松本城そのものについてはどうでしょうか。

 わたしが、松本城に子どもたちを、連れて行って頃と違って、

強い味方があるのです。

 それが、これです。

 副読本です。

 松本市教育委員会が、

 平成29年に松本市内小学生の社会科、総合的な学習の時間の学習のために発行しました。

 わたしは、松本城内の売店で1000円で購入しました。

 実際に、松本市内の学校で、これを活用してどのような授業が展開されているのか、

まだ調べていません。

 以下の内容を目にすれば、教材ウオッチングの心がうずきます。

 目次です。

  お城の案内にとどまらず、

  地域の歴史、

  歴代城主の業績エピソード、

  松本市民と松本城との関わりについても触れています。

  

  明治になって、門、屛、櫓、堀などが次々に取り壊され、

  天守が売りに出され取り壊されそうになりました。

  そのときのことを、副読本では以下のように紹介しています。

  明治5年(1872年)下横田町の副戸長(副町長にあたる)をつとめていた市川量造は、

  なんとしても由緒ある天守を残したいと考えました。

  新聞で人々に残すことの大切さを知らせ、

  人々に新しい産業をおこす知識を広めようと、

  天守を会場にして博覧会を開くことを計画しました。

  市川量造らの努力が実って、

  明治9年(1876年)までに博覧会は5回開かれました。

  市川量造は自分でお金を出し、

  また、人々から寄付を募って松本城天守を買い戻し、

  取り壊しの危機から救いました。

 

 松本市のこの副読本作成の取組はすばらしいと思います。

 東京都でお城を教材にするのは、どのような方法があるのか、東京らしい方法で。

 故杉渕さんと話題にすることはありましたが、

 まだ、具体化に至ってはいません。

 最近、社会科見学のコースの中に江戸城本丸、

 天守台を入れている学校があることを聞いたことがあります。

 杉並区の学校がバスで青梅街道を通って江戸城に行くなら、

「今バスが走っているこの青梅街道は、

 徳川家康が江戸城を作るために必要な石灰を青梅の成木から運ぶために作った」

 という話を車中で校長が話して聞かせることはどうかな?

 なんてこれを書きながら考えています。

 江戸城天守台です。

明暦大火後、加賀藩が作りました。

しかし、天守は保科正之の市民生活の復興が第一の考えで再建されませんでした。

 

松本城の話からいろいろ広がってしまいました。

わたしの好きな松本城。

昨年、12現存天守から一枚選んでカードを作る機会がありました。

このカードです。

わたしが松本城を訪ねたのは全て夏です。

これから四季の松本城を訪ねたいと思っています。