昨年の12月に駿府城に行きました。
家康が見ていたと思われる富士山が、
天守台発掘現場から見えました。
駿府城は天守台の発掘を行ってします。
その規模は、先日訪れた江戸城の天守台より、
はるかに大きいそうです。
江戸城天守台
各天守台と駿府城の大きさ比較です。
駿府城の天守台の大きさができる実感できるます。
家康が隠居をしてから天下普請で造られた慶長期の天守台です。
それ以前の天正期の天守の石垣も発見されました。
天正期の石垣からは300枚にも及ぶ金箔瓦が発見されました。
本丸に立つ家康像
家康は駿府城の落成祝いに駆けつけた江戸増上寺の観智国史の
「どうして駿府に城を築いたのですか」
という問いに以下のように答えています。
① 子どもの頃ここに生活していて思い出の地である。
② 冬暖かい。
③ 米がおいしい。
④ 駿河は国堅固の地である。
⑤ 諸大名が江戸に行くのに遠回りしないで済む。
④は原文では
「南西に大井、安倍の瀑流あり。北東に箱根山・富士山の剣あり。要害最も堅固なり」
となっています。
家康は大御所になって、
自分が希望すれば何処にでも城を築くことが出来たのに
駿府を選んだのは、
駿府城を大坂方に対する前衛とするところにあったように
思われます。
駿府城は巽櫓、多門櫓、櫓門、高麗門、坤櫓が復元されています。
駿府を訪ねた英国大使は「日本渡航記」で
駿府はロンドンに匹敵すると述べているそうです。
(2021.12.21訪問)