明延鉱業 明神電車 1円電車
本年の最終12月のコラムは番外編になります。
専用鉄道の便乗の切符の話です。
兵庫県養父郡大屋町(現.養父市)の明延鉱山は、古く平安時代がら
スズ、銅等を採掘しており、明治には官から三菱へと営業権が移って
きたようです。
昭和51年に明延鉱業㈱という子会社になっていました。
明延鉱山と選鉱所のある東側の神子畑との間約6KMには専用鉄道が敷設されて
おり(昔はさらに軌道が播但線の新井駅まで伸びていたらしいです)、
戦後、鉱石を運ぶ傍ら乗客を安く便乗されたことから1円電車として
知られるようになりました(1円になったのは昭和27年)。
当初は関係者が1円、その他の者は10円でしたが、いつの間にか
双方ともに1円に統一されたようです。
途中の時代を詳しく存じませんが、乗車券の様式は似ているものの違うものが
結構あったようですが、硬券の時代も、ただの厚紙でサイズも思わしくないので
最小限しか所有していません。
1円電車は昭和60年11月に廃止、
明延鉱山自体も昭和62年1月末をもって閉山となりました。
昭和年代不詳 硬券(厚紙) 無地紋 10円券(部外者用) 赤刷
30~40年代でしょうか。まだ部外者に10円を徴収していたときのものでした。
字体のフォントに味があります。
昭和57年 硬券(厚紙) 無地紋 10円券(関係者用) 青刷
昭和57年と断定しているのは、これは私が実際に乗車して買ったものだからです。
学生時代の話です。
明延は親の元実家に遠くなく、親戚もおり、また明延鉱山に親戚のお知り合いの方が
当時現役で働いておられ、関係者の如く訪問しました。
私の母方の祖母が近くの中瀬金山で以前に働いていたことで人脈があったようです。
(祖父は肺を悪くして早くに亡くなっておりましたが)
事前に戴いていた手書きの時刻表もありました。
往路は客車、復路は運転席に一緒に乗せてもらった覚えがあります。
銅の鉱石も土産物で売っていた?ものより少し大きなものを戴きました。
(私の実家のどこかに写真とともに眠っているかと思います・・・)
マニアに話題になった時代以降には、フラっと行って、普通に乗車出来たかのか
については、本当はどうだったのか分かりません。
私の初乗りは、親戚から事前に話を通していましたし。
ただ、趣味の仲間と再度訪れる機会があり、昭和61年頃に出向いた際は、
明神電車の乗り場、線路は確認出来たものの既に廃止されておりました。