バス・船舶硬券切符ジャーナル 本編

主として民営バス・船舶・ケーブル等、普通の鉄道以外の古い硬券切符情報です。

硬券追究0304 苫小牧市営バス

2025年01月03日 | 硬券追究

新年、おめでとうございます
本年も細々ながら、少しずつ更新します。
宜しくお願い申し上げます。

 

 

苫小牧市営バス

昭和25年に市の交営部により運行が開始されました。昭和38年、交通部に。

平成24年3月末を以って事業廃止、路線は4月から道南バスに移譲されました。

 

昭和50年前後のB型を時折見かけます。

 


昭和50年 B型硬券 淡緑地紋 往復券


地紋は当時の市章だったのかも知れませんが、現在のものとは違います。

支笏湖から、七合目というのは、樽前山の7合目でしょうか。

 

 

下記は、以前に読者様からご厚意で画像提供をいただきましたものですが・・・
(その節は、ありがとうございました)




昭和49年 B型硬券 淡緑地紋 一般式



昭和49年? B型硬券 淡緑地紋 一般式


同区間、同時期の往路・復路、それぞれの片道券で、むしろこれが通常券でしょう。

 

いずれも、北海道の他のバス硬券に比べると少し薄い紙を使用していた感じがしました。

 

 


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本年もお世話になりました。

2024年12月31日 | 日記

本年も、お世話になり、ありがとうございました。

あまり有益な情報は御覧いただけなかったと思いますが、

気に留めていだだいた皆さまには感謝しています。

よいお年をお迎えください。

 


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硬券追究0303 明延鉱業 明神電車 1円電車

2024年12月07日 | 硬券追究

明延鉱業 明神電車 1円電車

本年の最終12月のコラムは番外編になります。
専用鉄道の便乗の切符の話です。

兵庫県養父郡大屋町(現.養父市)の明延鉱山は、古く平安時代がら
スズ、銅等を採掘しており、明治には官から三菱へと営業権が移って
きたようです。
昭和51年に明延鉱業㈱という子会社になっていました。

明延鉱山と選鉱所のある東側の神子畑との間約6KMには専用鉄道が敷設されて
おり(昔はさらに軌道が播但線の新井駅まで伸びていたらしいです)、
戦後、鉱石を運ぶ傍ら乗客を安く便乗されたことから1円電車として
知られるようになりました(1円になったのは昭和27年)。
当初は関係者が1円、その他の者は10円でしたが、いつの間にか
双方ともに1円に統一されたようです。

途中の時代を詳しく存じませんが、乗車券の様式は似ているものの違うものが
結構あったようですが、硬券の時代も、ただの厚紙でサイズも思わしくないので
最小限しか所有していません。

1円電車は昭和60年11月に廃止、
明延鉱山自体も昭和62年1月末をもって閉山となりました。

 

 


昭和年代不詳 硬券(厚紙) 無地紋 10円券(部外者用) 赤刷

30~40年代でしょうか。まだ部外者に10円を徴収していたときのものでした。

字体のフォントに味があります。

 


昭和57年 硬券(厚紙) 無地紋 10円券(関係者用) 青刷

昭和57年と断定しているのは、これは私が実際に乗車して買ったものだからです。
学生時代の話です。

明延は親の元実家に遠くなく、親戚もおり、また明延鉱山に親戚のお知り合いの方が
当時現役で働いておられ、関係者の如く訪問しました。

私の母方の祖母が近くの中瀬金山で以前に働いていたことで人脈があったようです。
(祖父は肺を悪くして早くに亡くなっておりましたが)

事前に戴いていた手書きの時刻表もありました。
往路は客車、復路は運転席に一緒に乗せてもらった覚えがあります。
銅の鉱石も土産物で売っていた?ものより少し大きなものを戴きました。
(私の実家のどこかに写真とともに眠っているかと思います・・・)


マニアに話題になった時代以降には、フラっと行って、普通に乗車出来たかのか
については、本当はどうだったのか分かりません。
私の初乗りは、親戚から事前に話を通していましたし。

ただ、趣味の仲間と再度訪れる機会があり、昭和61年頃に出向いた際は、
明神電車の乗り場、線路は確認出来たものの既に廃止されておりました。

 

 


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硬券追究0302 房総観光汽船

2024年11月02日 | 硬券追究

房総観光汽船

房総観光開発という会社が運航したのですが、
設立経緯、詳細は不明です。

昭和38年に房総観光㈱が東海汽船㈱に吸収されておりますが、
この会社とは思うのですが、本当のところは存じません。

また、1980年代以降にゴルフ場を経営する房総観光開発㈱という会社は
ありましたが、これはまた別物かと思っております。

 

それでも時刻表、切符には房総観光汽船の名で東京港~木更津港を結んで
おりました。

昭和33年頃は、3等(150円)、2等(180円)
                ↓
昭和36年頃は、2等(150円)、特2等(180円)等級改変後

があったようです。

国鉄の等級改変と各船会社の改変時期にはズレは結構あるようで、所有の時刻表で
昭和36年5月のものでは、まだ3等、2等となっており、夏以降に改変されたようです。

 

肝心の硬券ですが


昭和33年 B型硬券 赤JPRてつどう地紋 矢印式  本社発行


3等時代の硬券で、これは本社での発行された実券のようでした。

 

 


昭和33年 A型硬券 青緑JPRてつどう地紋 矢印式  本社発行


旧2等の硬券で、これも本社での発行されていますが、下にも社名表記がありました。

 

種別、値段的にも、3等時代が終わると、そのまま2等・特2等にスライドしたと考え
られます。


また硬券は、東京港の港売りの同様式のものも拝見したような覚えがありました。

 

そして、確かに昭和30年代終盤になると、この会社名での航路を見なくなったような
感じがしますが、そこは詳しくなく、切り替え時期がいつで、どのようなものだったのかの
把握は、こちらの課題を残すものとなっています。


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硬券追究0301 十和田湖の観光船

2024年10月05日 | 硬券追究

十和田湖の観光船

所持切符の正式な企業名は当方には判りません。

十和田湖の遊覧船の始まりは、大正元年の十和田湖保勝会のよるものだそうです。

後に十和田湖観光船という会社になったり、十和田観光電鉄が参入したりするの
ですが、今回の資料と関連の組織なのか、また別の会社や組合組織があったのかは
当方では判り兼ねます。

 


昭和  A’型硬券 赤地紋 十和田湖乗船券

1.00円という運賃なら昭和20年代でしょうか。
A型に近いのですが、3.1cm×5.4cm程度でしたので、便宜上A’型としておきました。

 


昭和  D’型硬券 緑系地紋 十和田湖上遊覧補助券

運賃表記もなく、連続式のような回遊の構成の優待券的な切符だったのでしょうか。
これは上の切符と縮尺が違い(アップロード上、横が同寸のようになっていますが)
実際は3.1cm×6.6cmの横長の切符で、便宜上D’型としておきました。

上段の切符は、に号
下段の切符は、い号

いろはに・・・で考えると、まだバリエーションがあったのでしょう。


いずれも廃札のようなので詳しいことは存じません。

 

 

※この追及シリーズも300を超えました。
整理・調整の関係もあり、0260~0264、0266~0280は、賞味期限切れとし、
一旦公開記事から外します。


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