関西汽船によって運航されていたここの航路は、昭和40年代の終盤頃には深日海運に引き継がれています。南海電鉄との連絡硬券は残りましたが、このあと50年代にはもっと薄く、半硬券になったものを多く見ます。
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これも硬いですが、見事に収集意欲をそがれた代物でした。A型よりも遥かに巨大な独自硬券だからです。廃札をたまに見ますし、右書きですけど希少価値もそれほどないかな。
硬券と半硬券の間ぐらいの準A型のようなものです。阪神航路~高松までの運航のようでした。S25年加藤海運との判があります。赤線横3条は何なのでしょう。
①宮津・天橋立・丹後半島付近を、船舶・バス・鋼索をも部門をもつ会社です。左は船舶から府中を介してケーブルへ連絡するS29年のもので、半硬券が多い中、これはしっかりとした往復硬券です。
②同じくS35年の鋼索線のみの硬券です。本来は「ケーブル硬券」のカテゴリーですが。
真珠湾交運巡航船は、英虞湾の内外の半島や島をこまめに運航していたものです。ご紹介の券は戦前のものです。賢島は今は近鉄の終点ですが、賢島自体も島にあります。
聯絡汽船の戦前の社航路内の硬券です。赤地紋並等です。
三重交通とありますが、船舶部があったという記事は見当たりません。志摩巡航船からの返り券的なものでしょうか。赤線縦4条がそそります。渡鹿野は穴川から東の小さな島です。
平成にはいっても硬券自体はあったのですが、こういう補片がいつまであったのでしょう。これは昭和41年のものです。
大阪商船兵庫より徳島ゆきですが、途中下車1回とあるのと地紋が鉄道院であることから、小松島経由の鉄道連絡でしょうかね。大正13年共同丸の印ありです。
これは(社)兵庫から徳島までの往復C型硬券。しかも会社名が補充となっているのが面白いです。当時同じ航路で大阪商船もあったからでしょうか。小松島を経由しての鉄道省連絡と思っているのですが・・・。(有効期間・地紋からして)