大夕張線の最後は、三菱石炭鉱業になり、終着駅としてS62年に廃止されるまで残った南大夕張駅のものです。
このダッチングの日付の当日、私は現地に居りました。この券は実際に乗った時に購入した思い出のもので、時代は40円券でした。
さて、かつて有人駅であった他の駅でも硬券入場券はありました。
廃札でありますが。
終着駅だった大夕張炭山駅ですが、現在は荒野に化してしまっているようです。
千年町(ちとせまち)は元は千年町停留所で、大夕張駅に近く、便宜を図った構内扱いのような設定で、後に正式駅化しているという経緯があるようです。
明石町(あかしちょう)。こちらの読みは「ちょう」なのですね。千年町や明石町は炭鉱への通勤の便を図って設けられ、明石町はその南端にあたります。
上記の駅、また先日公開済みの大夕張駅らは、路線短縮のためS48年12月16日に廃駅になっています。
あと、たった7年しか有人駅の時代がなかったシューパロ湖駅にも硬券入場券があって欲しかったです(乗車券はみられたのに)。
遠幌駅は、私が訪れたS59年には無人化していたはずですが、南大夕張駅で、着札券を頂けたりしていた時期がありまして、そのときに入手したものが
これです。有人だったころのものでしょうか。S54年となっていました。
当時はもう三菱鉱業大夕張鉄道から三菱石炭鉱業鉄道大夕張線になっている時代ということになりますが。事業者(線)名が入り、赤線の帯は細いものです。
こちらは廃札であろうと思いますが
このような赤線硬券入場券がありました。
こちらが本来の様式か?赤帯は太いものです。
これもS41年の実券で、様式は夕張鉄道と変わりません。
路線はさらに奥の大夕張炭山駅まで通じていましたが、当駅を含む大部分が途中で廃止され短縮し、S62年だったか、三菱石炭鉱業として営業路線が廃止になりました。
私は、S59年、南大夕張が終点になっていた時代に乗車しています。
その時でも初乗り運賃は安く、40円でありました。
あまり収集出来ていない(元々このブログの本筋でもない)赤線入場券です。
S44年に発行されました実券で、よくある20円券白の廃札ではないものです。
このブログにとって、本筋以外の券は、コーヒーブレークタイム的な存在であります。
普通の方は鉄道が本筋で、特に民営のバス・船舶・鋼索・索道・食券などは異色なのでしょうが、全く逆の道を使命とするこのブログ。どこまで命がもつのやら?です。
ただ記念券・企画券・模擬券(一切出さない訳ではないですが)は乗車券の歴史体系からそれた単発的なものも多いので、好みはしませんが。