睦月三十日
御成道の宿場、川口へ。
御成道は、日光へ将軍一行が参拝するため(日光社参)に通る道。
車道の間にある小島のような緑地に、案内板があった。
この奥の道が、赤羽から荒川を渡って通る御成道。
この道の途中に川口宿本陣があったという。
近くに、川口文化財センターがあったので寄り道。
窓口のある2階に上る階段には、災害の啓発になる表示があった。
過去の洪水の水位を示してある。
津波のあった東北から来た身としては、見過ごせない。
川口は鋳物の街である。
江戸の頃には手工業だったが、明治期には軍需品製造を手掛け、大きく発展した。
昭和の終戦後、川口鋳物生産は、日用品に切り替わる。
高度経済成長の終息、オイルショックから不況となり衰退した。
しかし今、再び川口鋳物の技術は見直され、新しい鋳物調理器具が作りだされている。
参考:川口市教育委員会「川口の産業」/川口商工会議所「かわぐちいいもの」/川口鋳物協同組合「鋳物の歴史」
古代から昭和の暮らしまでを、ざっと学んで後にする。
街道に戻って北へ進み、旧田中家住宅へ向かう。
明治の豪商だが、代々田中徳兵衛を襲名し、今も続く。
初代は農家だったが、二代目から麦味噌醸造と材木商を営んだ。
四代目の頃、豪商となった田中家は、立派な洋館を建築。
イギリス積みのレンガ壁が立派。
中の調度品も美しい。
奥は日本建築で、そこから中庭が見える。
見事なもので、池を回遊する庭園となっている。
残雪の中で、紅梅がほころんでいた。
落ち着く良いところであった。