睦月二十四日
伊達政宗公の滞在した江戸の地へ。
江戸で堀の造設や、将軍の話し相手などを務めた政宗公。
徳川幕府の始まりと共に、諸大名の妻子が江戸に住まうこととなった。
政宗公は、当時、外桜田に屋敷地を与えられ、上屋敷とした。
それは、今の日比谷公園内であった。
日比谷通りを後ろに心字池を見れば、池の手前から公園の中の方が屋敷。
そこは今、第一花壇となっているが、その辺り一帯が屋敷だったとみられる。
第一花壇は、広い芝生敷きの土地に点々と植栽があり、周囲が遊歩道。
幾何学模様になっているそうで、上空写真ではよくわかる。
ペリカン噴水があり、その背景に見える広い土地が第一花壇。
ペリカン噴水を含め、この辺りが屋敷の跡地。
この上屋敷には、家康公、秀忠公、家光公と、三代にわたって将軍が訪問している。
食通の政宗公は、自ら料理の盛り付けや配膳をして、将軍をもてなしたという。
参考:仙台市 東京に残る政宗公ゆかりの地「仙台藩外桜田上屋敷跡」「伊達政宗終焉の地」/千代田区日比谷公園 /
宮城県 食材王国みやぎ「みやぎ伊達家と食文化」/仙台市博物館「伊達政宗」
日比谷公園は、いろんな記念碑や石像があって面白い。
明治36年に開園の、日比谷公園内にあるレストラン「松本楼」は、同じく明治36年に開店。
季節メニューに、東北の「三陸産カキフライ」があった。
被災地の東北は、いまだに大変な状態。
寄り添ってくれているようで嬉しかった。