ふくらく通信

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あの日のまちかど第20景 石巻城址

2019-04-25 21:59:06 | ゆるゆる歩き:旧跡

震災の翌年、7年前の今日は、桜が津波の傷跡を和らげる高台にいた。

 

石巻駅から少し南へ進むと、急勾配の坂道が見えてくる。
その丘陵となっている所が「日和山」だ。

 

ここに、かつて葛西氏の「石巻城」があった。

(鎌倉の頃、その地を頼朝公から葛西氏が賜ったとされる。四代目の葛西清経が大規模な居城を構えたという。)

 

この日和山の一角に、眼下の川の方を指さして立つ先人がいる。

川村孫兵衛重吉だ。

 

(2012年4月25日撮影:石巻市)

 

 

日和山の頂には「鹿島神社」がある。

神社を含めた周辺が、かつての石巻城本丸だったらしい。

(葛西氏は鹿島神社を城の敷地内に造営したという。南西側に、さらに一段下がった部分があるが、そこが二の丸だったようだ。)

 

(2012年4月25日撮影)

 

参考:紫桃正隆『仙台領内古城・館』

 

 

その神社の段の下で、孫兵衛は桜に囲まれて立っていた。

 

 (2012年4月25日撮影)

 

川村は、毛利家臣であったが、関ヶ原で敗れ浪人となったのち、政宗公に拾われた。


政宗公は、藩の発展に欠かせない治水に着手。

そのための技術者が、川村孫兵衛重吉であった。

 

かつて、川の整備に尽力した孫兵衛と地元の人々。

孫兵衛は、働く人々に温かい心配りをしたという。

 

かくして、仙台藩は見事に新田開発や水運が発展。

先人の努力の成果は、今なお、美しく実り豊かな仙台平野に名残をとどめる。

 

 

さて、7年前のこの日、石巻も桜が咲き誇っていた。

眼下には、津波の漂流物が片づけられ、解体や整備の進められる町の姿。

 

 (2012年4月25日撮影)

 

先人は、苦労を共にして未来を切り開いた。

すっと指さして立つ姿は、目指す明るい未来へと、励まし導くかのようである。


 

参考:宮城県教育委員会『みやぎの先人集 未来への架け橋』

/農林水産省 宮城県農林水産部『治水の名手川村孫兵衛』




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