以前の工場は、南気仙沼駅の南側で、大川と気仙沼湾に挟まれた所にあった。
工場も会社も津波で破壊されたが、助かった家族や社員とともに、少し高台の方へ移動して仮事務所を設けた。その傍に、新たな工場を再建するという。「石渡商店」の新たな一歩だった。
石渡さんは、ふかひれ食品加工の会社である。
先日、石渡商店さんが、工場再建のために地鎮祭を行ったという知らせを受けた。
昨年の暮、「気仙沼横丁」という仮設商店街に寄った時、石渡さんも商品を販売していたのだが、初めは気づかなかった。
理由は、「リアスの国から」という店名で、石渡さんのふかひれだけでなく、気仙沼の物産を扱う店の中にあったからだ。
仮説商店街のこうした取り組みは、「町のために」という思いが伝わってくる。
さて、気仙沼からの知らせを機に、以前行った場所をあれこれ思い出す。
その一つが、気仙沼市の東側にある、唐桑半島である。
唐桑半島の北東には、「巨釜(おおがま)」という岬がある。
そこに、「折石(おりいし)」という石柱があるのだ。
これは、明治29年の三陸大津波の時に、2メートルほど先端が折れたために、付けられた名だそうだ。
前回、この折石を見たのは2010年の4月のことだった。
この時、霧の中に浮かぶ岩と波が、墨絵のような白と黒の眺めで、晴れた日とはまた違う美しさだった。
力強さと、現実を離れた世界にも思える、不思議な空気が漂っていたのである。
明治の津波は、記録に残るところで20メートル以上あり、場所によっては40メートル程と言う話もある。
2011年の3・11の大津波は、同じように大変なものであった。
場所によっては、高さ40メートルを超えたのではないかとも言われ、堤防を破壊し、町を壊しながら浸水した規模は大きかった。
だが、「折石」は折れなかった。
津波の象徴として、その地に知れ渡っている石柱である。
傷つきながらも、踏ん張っている姿の一つだ。
この「折石」も、これからの海と人との関わりを、気仙沼の再生と復興を見守っているだろう。