あの日からおよそ2年半。津波で陸に上がった大きな船が、もうじき解体される。
(2013年8月17日撮影)
この船は、震災遺構にするよりも、解体した方が良いという決断に至った。
気仙沼の鹿折地区。
気仙沼湾の一番奥で、津波が町を破壊し、そのために起きた火災も酷かった所だ。
津波の力は凄まじく、港にいた船も陸に打ち上げられた。
その船は、ただ普段どおりに働いて、注文に応じて必要とする人のもとへと物を運んでいただろうに。
津波は、その船の役割さへも狂わせてしまった。
解体へと動くまで、この船の所有者は胸の痛むことが多々あったようだ。
この船も、被害にあったもののうちだが、憎く思われることもあったらしい。
船の所有者が、被災した人の辛さを思って堪えたのも、被災者を支える努力といえよう。
震災遺構は意味がある。
だが、選定するには熟考せねばならない。
かつてよく人々が出入りし、かつての日常を思わせる場所や建物が適していると思う。
驚愕だけでなく、そこで生きた人々を顧みることが大事だから。
一度でも一瞬でも、自分が誰かに愛情をもらって存在していることに気づけば、報われる気がする。
人というのは、そういうものではなかろうか。
震災遺構は、精一杯に生きた者への敬意、犠牲者に面目の立つ生き方など、それぞれに思い巡らす場所でありたい。