ふくらく通信

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亘理名物の新旧はらこ飯:2011年11月の記録

2017-10-22 17:43:07 | 東北被災地の歩み:亘理・山元

秋、サケが川へと戻り始めると、「はらこ飯」の時季到来だ。

宮城の沿岸南部には、亘理という町がある。

名取市の南隣が岩沼で、その南に阿武隈川があって川を渡ると亘理だ。



「はらこ飯」は、亘理の名物なのである。


亘理名物の「はらこ飯」には、新旧の2種類がある。

郷土料理のはらこ飯は、もちろん旨い飯で、昼餉にも晩酌しながらの夕餉にもいい。

新たな方のはらこ飯は、見た目は同じなのに、全く別の物という面白さだ。


亘理は、津波の被害を受けた。
この新旧のはらこ飯は、どうなっているのか心配しながら、亘理へと向かった。


昔から、阿武隈川を遡上するサケは名物で、藩政時代になると、伊達藩主にも将軍家にも献上されるほどだったという。

かつて、政宗公の命で、仙台藩は阿武隈川河口から名取の閖上まで、南北に木曳堀を作った。

(慶長2~6年、現在の名称は貞山掘。参考:貞山運河辞典)

 



そして、政宗公が現地に出向いた際、荒浜の漁民がサケとはらこを混ぜた飯を献上したそうだ。

これを政宗公は大変気に入り、側近に吹聴したという逸話もある。

これが、「亘理名物はらこ飯」の始まりらしい。


(参考:亘理町企画財政課)


震災による津波で、亘理荒浜の家や店は流された。

例年、秋の楽しみである荒浜のはらこ飯を作る人々は、いったいどうしているかと心配だった。

今年(2011年)は、荒浜の人々の手作りを、味わえないかもしれぬと思っていた。

ところが・・・



荒浜へ行くと、傷んで空き地の多くなった地域の中に「はらこめし」の幟が出ていたのである。



荒浜漁港のある鳥の海のほとりに、道しるべとなる看板が出ていた。
なんと、「武蔵商店」が再開していた。




残念ながら、店頭に「完売」と貼り紙があったため、寄ることが出来なかった。

しかし、帰り道に国道6号線沿いにある「おおくまふれあいセンター」に寄ると、武蔵さんのはらこめしがあったではないか。



喜んで買って食べた。

やはり旨い。

そして、新名物のほうも、おおくまふれあいセンターで買うことが出来た。




以前は、鳥の海の傍にある「渡り温泉鳥の海」の売店にあったが、今は閉鎖中だ。

良かった、これも味わえるのだと、嬉しく思う。


この新しい はらこ飯は、食後やおやつに食べるものである。

それは、亘理の洋菓子店「ジョアンナ」の品。



実は、飯ではなくプリンなのだ。

その名も、「はらっこめしプリン」だ。



見た目は、本当に郷土料理のはらこ飯そっくりである。
だが、甘い香りがする、滑らかでこくのある菓子なのだ。

はらこの部分は、オレンジの果汁が入ったタピオカ。
サケの切り身に見立てた部分は苺ムースで、少ししっかりした食感。
その下はとろけるような食感のプリンだ。

しかも、メープルシロップの入った、穏やかで香りの良いプリンである。

(2010年06月09日公表記事抜粋・再編集)


亘理では、発想豊かな楽しい菓子もあり、郷土の味もしっかり守っていた。
亘理も、一歩前へ出て輝いている。



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