山元町の沿岸を走る常磐線。
山元町には、山下駅と坂元駅があった。
水無月の末頃、梅雨の内だが青空の日だった。
草地となった平野の緑と青空の間に、ひと際濃い青色で線を引いたように、海が見えている。
坂元駅に立ち寄った。
かつて、白い柱と壁に赤い屋根の、木造の駅舎があった。
(2007年11月22日撮影の坂元駅↑↓)
どことなく、ゆったりした気分になる、穏やかな雰囲気の駅舎。
それも津波で壊れ、今はもう無い。
塀のように、高く長く駅の跡地を縁取る段差があった。
連れ合いの手を借りて、何とか少し足場がある所を探して上ると、目の前に線路があった。
上った所は、津波ででこぼこになった、駅のホームだった。
錆びた線路が、所々に砂利で埋もれながら、まっすぐに横たわっている。
だが、その線路ももう少し先へ行くと、分断されていた。
坂元駅から南へ進むと、まるで湿地の広場を行くみたいに、でこぼこの道と水溜りのある草地が続く。
方々から、オオヨシキリの声が聞こえる。
しばらく行くと、大きな建物が見えてくる。
窓は開け放たれ、人の気配が無い。震災による廃棄物が、敷地内に積まれていた。
そこは、中浜小学校だった。
この校舎は、その時そこにいた人々を守ったそうだ。
津波情報から、2階でも危ういと判断して屋上に逃げたという。そして津波は2階まで達した。
津波の間、周りは海、屋上は島のような状態になったが、そこにいた人々は助かった。
取り残されたものの、みんなで協力し合い、冷える屋上で、びっくりするくらい美しい星空を見て一晩過ごし、翌朝救助されたそうだ。
あの日、みんな生き残るのに懸命だった。
翌朝の空は、切れ切れの雲の間が、朝焼けの紅色で染まっていた。
この屋上の人々も、それを眺めたろうか。
闇の中で輝いていた星たちが人々を慰め、やがて陽光が空いっぱいに広がり、人々を照らす。
今を、明日を大事に生きよう。
今、この海辺の草むらの中で、オオヨシキリが暮らしている。
渡り鳥の彼らは、ここで子を育てているのだ。