ドゥンドゥン馬鹿

ドゥンドゥンバ狂もそうでない人も・・・もちろんジャンベ・ジェンベにまつわる話し・・・

日記4

2010年02月10日 04時43分56秒 | Weblog
2月8日(月)

思った通り7時に起きる。
3時間睡眠クセはアフリカでも抜けない。

一階のダイニングで撮影した写真や音源の整理をパソコンでする。
トイレで起きたホセに目撃されて
「ジャパンニーズクレイジー!」
と言われたけど。

今日の舞踊団の練習は国内の3つのグループが合同で行うとのことで、かなり楽しみである。

火曜日コンテナにアメリカ行きのジェンベを積む予定がストライキで木曜に延期になったという連絡がユスフに入る。
結構頭が痛そうだ。
それにしても2つの携帯電話を屈指してマニュアルのメルセデスを運転するユスフは本当にアフリカ人とは思えない。一生懸命さでは日本人なぞ遠く及ばない。

工房までユスフが乗せてってくれたがそんなこんなでユスフは大変なのでユスフを工房で下ろして我々だけで向かう。
この混沌とした道路状況の中で左ハンドル&マニュアルのベンツを運転できるタクミもユスフに負けないくらい凄い。

パレはニジェール川のほとりにある、別荘地のような音楽楽園。
着くころに丁度舞踊団が練習を始めていた。ダラも最初は我々を迎えたりMちゃんのワークアテンドをしたりで練習には加わってなかったが、途中から叩き始めた。

はやりこのメンツの中でのダラは圧巻だ。別人でもある。

ダラの他にカリムもいて何故か安心するとともに本当に国境を越えて音楽はあるんだなーと実感。

しばし練習を見学したあとにカリムがワークをしてくれるようタクミが頼んでくれたのでホセと一緒に舞踊団練習会場の外のニジェール川畔にある木陰でマラカを習う。

カリムは相変わらず軽いタッチ。

タクミはベーさんにサンジャスマレを習っていた。

ダラにコラのペグを買ってきたので相談すると即その場で連絡してくれた!!

ダラマンジャバテについてはまた機会を持って書こうと思うが、頼りになるだけではなくミュージシャンとしてとてつもなく大きいことが、まだ断片的だけど垣間見れた。
その証拠にMちゃんがカスンケドゥンドゥンを習っているときに舞踊団の練習の際叩いていたタフィーという青年もダラと同じ右手でベルを打つサウスポースタイルだ。
ダラに相当憧れてるんだろう。聞けば小さいころからダラに教わってきたサラブレッドらしい。

パレ見学のあと工房に寄ってそのあと郊外にある丸木を成型する「カーバー」と呼ばれる作業をする人がいる作業場へ向かう。

道はバマコからブルキナへ向かう大きな道路。
途中でっかいサッカースタジアムがあってあちこちにサッカー系の看板が目立つ。

カーバーのバガリジャン(ジャンとは背が高いという意味)と長い挨拶をするタクミ。
バガリジャンは動画「TDFのジェンベが出来るまで」でカービング作業をしている人。

TDFがオーダーしているスペシャルエクストラの注文についてユスフとともに話し合う。
34センチ以上の白い部分のないクラックのない木・・・現実問題ここに無数にある丸木を見てもそんな状態の木は少ない。クラックは木の中心に多く入りやすく、また樹齢100年を超す白の少ない木に限ってクラックは大きく入りやすい。

33センチからでもOKにするとどうなるか?

答えは「200本でも用意できる」との答え。

バガリジャンは34以上の白なしという注文に相当悩まされていたようだ。

バガリジャンはそれほど我々のオーダーに応えよう応えよう!と努力してくれてるんだなとホントに感動した。

1cmの違い。。。。
確かに33センチ口径のジェンベと34センチ口径のジェンベを比べた場合、1センチしか違わないのに34のほうが数センチ大きく感じる。

そのほか諸々の形状について話し合って帰途に。
Yさんというマリ在住の日本人女性が数ヶ月前にメールをくれて、マリに来たら会いましょう!という約束になっていたのでユスフ邸まで来てもらった。Yさんのパートナーのラミンというバラフォニストと日本に一時帰国した際に何かできないか?を話す。

ラミンは最初は物静かな青年・・という感じだったが、こと音楽の話になるととても熱く語った。一度プレイを是非見てみたい。

その後夕食。半分も食べれずに「ネファラー~」

何せ2メートルを超す体格のホセでさえ残してしまうほど、これでもか!というくらいに食事を振る舞ってくれる。
一向に痩せる気配は私の胴周りにない。

ホセと今日のマラカのソロフレーズについて話す。
ホセは既にリズム譜を起こしていて
「何回目に左のベースが加わって、ドゥンのこことシンクロして・・・」
ともう私にはまったく判らない世界。

でもこれほど熱く愉しそうにジェンベと接するホセ。
彼と一気に近づけたような気がして嬉しかった。
ホセはおそらく50歳を超えてるだろう。もともとはスペイン生まれで、その後アルジェリア・モータリア・セネガル・ギニア・・・と渡り、アメリカで2000年に一緒にジェンベを作っていた同僚。その陽気さで普段はあまり感じることができないが、本当に冷静に周囲が見れていて、的確にアドバイスをくれる。とても信頼できる人だ。

部屋に戻りタクミとジェンベの日本への搬送について話すが、途中で落ちてしまった。御免!

日本をでて5日、バマコ3日が過ぎた。これだけ濃い日々を送っているが、バマコにはあと2週間しか居れない。ジェンベも習いながらジェンベ生産について話し合いながら・・・やはり20日は短い。

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