ドゥンドゥン馬鹿

ドゥンドゥンバ狂もそうでない人も・・・もちろんジャンベ・ジェンベにまつわる話し・・・

日記3

2010年02月10日 04時39分26秒 | Weblog
2月7日

あれだけ疲れてドサっと寝たのに1時に起きてしまった。
実質2時間睡眠。
どうやらこれは時差ボケのようだ。

あれこれ考えてみる。ジェンベの生産に関する今後の事、ストックヤードがあることを急に思いついたり、コラのペグをどこで付けてもらおうか?など、まさに起きながらに夢想。

結局明るくなる7時までゴロゴロ。
で夢想していた内容をタクミと話しあう。
今回の旅は嫌ってい言うくらいタクミとミーティングが出来るが、意識して2人以外がいる場所では日本語は使わないようにしたいため朝がミーティングの時間になりそうだ。

9時半にネットカフェ「オレンジ」へ。ニャメがTaxiを呼んでくれた。

オレンジのネット回線はイメージとしてはADSLくらいの感じ。
タクミの座ったPCは日本語が入力できないが私はPCを持ち込みなので日本語が打てる。小一時間で何と300セファー(約60円)安!
タクミが書き込みをしている間、道端でしばらく往来を見物。
ジャッカルが本当に多い。
今日は日曜日なので町はどことなくお休みムード。
聞けばお店も休みは多いみたい。

帰りは歩いてみた。約10分、やはり日射しは熱い。
ユスフ邸の目の前で寛ぐ集団に声かけられた。アタヤだ。
アタヤとは濃くて甘いお茶を何度も何度もグラスに移し替えて呑むお茶のこと。
集団はひとりの老人を10代後半と思しき若者10人が囲む妙な集団。一見怖い。

若者の一人が私をつかまえて
「チョコロバ(お爺さん)」
というので
「ノーチョコロバ!!」
と語気強く返すと一同爆笑してくれた。

御老人は我々に向かって「アメリカ人もヨーロッパ人も中国人も日本人も・・・、マリに来たらみんなマリ人だ!」と言い放った。

一同が注目する中でそれだけ言い放って消えていく姿、どこの国も老人は若者にそういったアプローチをするんだなーー、と感動。

日曜はあらかたがお休み、ユスフと相談してダラにコンタクトをしてみて決めよう!ということでダラに電話。
すると今日はサール先生が結婚式で演奏するとの事、即決めてユスフ・ホセ・タクミと私で出発。
ユスフの家はどちらかと言うと住宅地で、市場や市街地はニジェール川を渡ったダウンタウンにある。道すがらの景色やムードがどんどん混沌としてくる。

ニジェール川はどろんとした流れを想像していたのだが、透明度も高くとてのたおやかだ。聖なる河といったイメージ。

道路状況はいよいよとんでもなくなってきた。
片側一車線に急になったりするので急に前から車が走ってくる。バイクの数も更に増す。
市場がところどころにある。44年間で一番生命感に溢れる現場。
ユスフが
「結婚式を探してる。どこ?」
と道端にベンツを寄せて尋ねる。
指さす人々。お、催し用のテントからンタマの乾いた音が聞こえてきた。
近づくと結婚式に参列してるグリオ(歌い手)が我々を見つけ、参列者が一斉にタクミを指さしてどわーーーっと囃し立てる。タクミは有名だなー、と思ったのもつかの間、タクミが「佐々木さんに踊れ!って言ってますよ」と囁いた。

あーーー遂にやってしまうのか、ここアフリカで。

ンタマのショフに合せて爺ダンスをした。
其の時の式場のどよめきは一生忘れないかもしれない。

と想いに浸る間もなくキビを返して別の式場に向かうユスフとタクミとホセ。
あれ?
あれ?・・・
タクミの知り合いかと思ったら全然知らない人たちだった。
「お!日本人が来たぞ!踊れ!踊ってみろ!と囃し立ててただけですよ」
タクミに一杯食わされた。

道路を隔てた向かい側から爆音が聞こえてきた。
「oh!サールサウンド!」
とタクミ。
1聴しただけで自分の先生の音が判るあたりさすが。

イブラヒマ・サール。
2年前に「嗚呼バマコ」で日本に呼んで、その風貌・音楽性・人間性から「親方衆」との今の流れを創りだしたその人。

結婚式で本気で演奏するその姿とサール楽団の面々の存在感は、また自分のジェンベに関する音楽観を更に揺さぶった。

半端ではない揺さぶられ方だ。
これを一生かけてでもやってみたい!と本気で思った。

マリアージュ(結婚式)での演奏はグリオ(唄い手)が結婚する二人や参加者の名前を唄いながらリードしていき、太鼓がぐいぐいどっかんと味付けしていき、参加者は列になって踊りだしソロも踊り・・という流れみたいだが、映像で見る他のアフリカの国のパーティとは明らかに違う。

一番大きな違いは「強弱」だ。

実はサールさんが来日した最終日に目黒パーシモンホールでライブをやってくれたのだが、そのライブは私が見たライブの中で最高のライブだった。出演者はサール・ダラ・バンンジュグの3人だけ。

3人だけのライブに脳みそを掻き回された一番の理由が「強弱」だった。
あの感じはこれが源(みなもと)だったのだ。

自分の音楽性の「源(みなもと)」とは一体何なんだろう?

日本人が珍しいのか多くの子供たちが近づいてくる。
みな本当に可愛い。
踊る老婆、若者、皆本当に綺麗に着飾っている。
マリのドレスやパーニュ(アフリカの布)が本当にこのように使われているんだな、と改めて認識。

何時間聴いていたのか?思いだせないが途中で食事が楽団に振る舞われた。
炊き込みご飯に肉や野菜が入ったもの。
サール先生に水で手を清めてもらう。
おー!私は実はアフリカ式手掴み食事のデビューだ。

飯は本当に美味しかった。
しかし式場にハエや蚊が沢山いたので虫よけジェルを手で塗っていたため水で落ちなかったジェル成分がご飯にしみ込んでケミカルな味になってしまった。

サール先生が式の途中で抜けて我々を幹線道路まで車で送ってくれた。
PORTE386のプロモーションビデオに出てくるあの4輪駆動車だ。

帰りに工房に寄る。今日は本張りの日のようで、ジェンベ皆乾いたいい音に仕上がってくる。
ユスフにお化けマリジェンベを私個人が欲しいので頼むと、棟梁のアダマを呼んで
「ヒデトに好きなシェルを選んでもらうからガッツリ張ってくれ!」
と話してくれた。工房の皆でここでも嬌声が上がる。

昨日は初対面でお互いまだ慣れていない感じだったが、たった1日で徐々にお互いが慣れてくる。

感動。

時差ボケがまだ治っていないのか夕方になるとドッと疲れが出て眠くなる。
小一時間部屋で夕寝。
今夜ダラツアーに参加するMちゃんが空港に着くのでユスフとタクミと3人で空港に出迎えに行く。

2日前に出迎えてもらった時と全く違う心持で見る空港。

この間は手荷物を運んで「持ち去ろうとする輩」と思っていた人達が、実は実は重いものを持ってあげてちょっと小づかいを稼ごうとしているだけ・・・であるという現実に大きく自己嫌悪を持つ。

ダラは一足先に迎えに来ていて、本来は入れないバゲット出口まで入って出迎え待機したるらしいので更に安心。
20分ほどでMちゃんが出てきた。
全く不安ない愉しい往路だったようで、またまた安心。

帰ってきたのが23時半。ここから夕食だ。オクラのタレがかかった料理。
美味しいのだが今日4回目の食事。それもこの時間だ。

「ンファラー」

ここからユスフ・タクミ・ホセ・私によるジェンベ討論会だ。
生産に関すること、丸木を何日もかけて山奥まで入り、物凄い重さの木を手で運び、、、市場に出していくこと。
理解していたつもりが、やはりたった2日間彼らと行動を共にして、その現場を感じた上で聴く当事者の話は、改めてまったく判ってなかったなぁ、と実感。

気が付けば深夜3時。そこから部屋に戻ってタクミとまた談義。
4時就寝。

明日は10時からマリ国立舞踊団の練習場であるパレへ行く。



またまた濃く永い一日になりそうだ。


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2 コメント

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Unknown (ken)
2010-02-12 12:38:45
サールいいなー
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ども (さなぎ)
2010-02-17 02:28:35
けんさん

サールさんねー
凄い良かったよーー。

来年はけんさんも一緒に行こうね!
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