ドゥンドゥン馬鹿

ドゥンドゥンバ狂もそうでない人も・・・もちろんジャンベ・ジェンベにまつわる話し・・・

第三世代

2008年09月22日 02時11分55秒 | Weblog
日本のジェンベシーンを大くくりにして90年代のママディ来日~ウォークトークさん達の活動を第一・2千年前後スヌーヘルコムさんや東京ナンガデフやフォリカンの創生期を第二・そしてそのフォリカンやナンガデフを巻き込んで20代後半のハマナーが国産ジェンベ打サミットを始めた2005年を第三世代と勝手にしてみた。

サミット4回目の今回はその第三世代である彼らが、方向性はどうあれ様々な問題意識を持って「トライした」といった印象が強かった。今回ハマナープレゼンツから「打サミ企画」に主催がシフトしたことで観客を飽きさせることの無いように複数会場で参加型のイベントを多く仕込んだりと様々な工夫が組織のカタチを変えながら行われました。

ボクは結果どうあれ考えたこと・実施したことを大いに讃えたいと思います。
そこから次の意思が産まれて来るワケで、それをせずしていろいろなことが良くなっていくとは思えないから。

あとダンスとの関連も自然に膨らんでいる気がする。全てのグループでダンスが入っていて、ドゥンドゥンバパーティなどはもう其の極み。これはジェンベ打サミットの自然な変移だと思う。
ダンスを組み込んだグループでの表現とダンスなしのでの表現ではかなりの違いがあって、個人的にもそれは痛感してます。
楽屋落ち・身内びいきと思われるかもしれませんが、今回のタムタム楽団のステージでのダラマンと日光の絡みは凄かった。鳥肌たちまくりでした。お互いの無尽蔵なポテンシャルが出ては隠れ出ては隠れ・・・出ターーーー・・・となったときに連れて行かれた感じでした。

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第三世代のハマナーもメンバーの生活様式が相次いで変貌中で、この先の彼らの活動が第四世代以降の方向性を大きく変える・・・と少しプレッシャーをかけておきましょう。
何処へ行こうとするのでしょうか?アフリカの伝統とどのように係って行くのでしょうか?日本独自のカタチになっていくのでしょうか?
ソロ・ケイタはドゥニヤーで故郷を思ってドゥンドゥンバ組曲を表現してました。それはとてもココロを打たれた。
対照的に先日係ったドラムストラックは完全に南アのカタチになっていました。

ダラマンが時折見せた「出ターー」にボクはヒントがあるような気がしてなりません。

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