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2月20日(土)
結局昨夜12時ごろ鎮痛剤の効き目が切れてから
痛みで一睡も出来なかった。
鎮痛剤の効き目が弱まっているのと
異が荒れているのか気持ちが悪いのとで
飲む鎮痛剤は今後期待できない感じ
この時の時間の進み方の遅いこと
この状態で18時間の飛行に耐えられる自信はなく
薄明るくなってきた6時半
渡航前に加入した、たった8,450円の旅行保険のしおりを見る
治療は1,000万円まで出る。
しかしいったいマリの病院ってどんなとこなのか?
保険会社の提携病院(提携病院なら費用負担はなし)リストに
マリ共和国はやはりない。
※ベナンにはありました。ゾマホン効果か?
保険会社の日本の相談窓口に電話
やはりマリには提携の病院はなかった
が、紹介できる病院を探してくれるとのこと
数分でパリの日本語が出来るスタッフから電話が来た
24時間対応で初診料も16ユーロ程度でできるとのこと
物凄く安心した。
別に病院に行っても石が取り除かれるはずはないが
触診による適切な処方箋で座薬がもらえさえすれば
土曜の夜・日曜の夜の2晩と
飛行中の苦行に耐えられる。
タクミがユスフに相談してくれた。
今日もアメリカ行きジェンベの組み上げでバタバタの最中、
ユスフは血相書いて帰ってきてくれて
保険会社に紹介された病院と電話でやりとりをしてくれて
渋滞時間にもかかわらず車を飛ばしてくれて
タクミは3月初旬の帰国予定を繰り上げて
私と帯同で帰国してくれると言い出す。
私が帰国後にタクミは楽しみにしていたワソロン地方に行く予定だったのに
申し訳ない気持ちでいっぱい
紹介されたPOLY Clinique Pasteur はダウンタウンにある近代的な病院だった
保険会社が連絡を入れてくれていたようだったのと
受付がユスフの顔見知りだったのとで
即、ドクターが出来てきてくれた。
ドクターToure
大柄のマリ人で、満面の笑みで英語で挨拶してきた。
よかった。英語が出来る。
タクミもユスフも通訳として問診に参加してくれて
粗方の症状を伝える。
結石なら薬で今は対応をして日本に帰国したら衝撃波オペで粉砕すればいい、、、と
判断を下してくれた。
薬は飲む鎮痛剤・保護する胃薬・利尿剤、そして座薬だ。
今日帰国予定のMちゃんとダラが心配して病院まで駆けつけてきてくれた。
尿管結石
私は30歳で初めて発作を経験。
その時は数週間後に尿と一緒に出てきて初めて
自分が石もちだと認識した。
2度目の発作は38歳
この時は痛みで気絶しそうになった。
蒼白で病院に駆け込み鎮痛の点滴で生き返ったが
レントゲンに移っていたのは尿管にある5ミリほどの石と
その親玉と思われる直径2センチほどの影。
それが腎臓にあった。
この時はさすがに自然排出が難しいので
衝撃波による粉砕手術を行った。
その時は全て無くなっていた。確かに。
しかし体質はなかなか変えられない。
数年後、また小さな石が尿と一緒に排出されることが
年に1度か2度あった。
尿管結石がタチが悪いのは
体質だから病気ではないのに
発作が起こると例え様のない痛みになること。
救急車を呼ぶ人もいるらしい(笑)
今回のマリでの発作は
正直、気絶寸前だった。
2晩一睡も出来なかったことも大きい。
あと2晩、マリでこの痛みに耐えられる自信はなかった。
タクミには本当に申し訳ない想いでいっぱいだ。
それを伝えると
「TDFは一心同体ですから」
おいおい、弱ってるんだから泣いちゃうよ、俺。
工房で薬を飲んで仮眠。
工房のみんなが本当に心配そうに声をかけてきてくれる。
アダマが完成した私のジェンベを持ってきてくれた。
クレイドル42・・・・
物凄くいい音だ。
注文したコラもダラが届けてくれた。
嬉しさと悔しさと不安と安堵の1日
帰宅してまた寝る。
2晩一睡もしなかった分を取り戻すように・
12時ごろタクミとユスフが帰ってきた。
エールフランスで帰国便の変更を依頼したが
パリから成田が満席
エマージェンシーだから何とか便宜を図ってもらうよう
ユスフも一緒になって猛烈に依頼。
しまいには警察を呼ぶぞ!とまで言われたそうだ。
ユスフ、タクミ、ありがとう。
もう大丈夫です。
座薬も貰ったし
痛みも引いてきてるし
今日も沢山、いろいろあったな。
結局昨夜12時ごろ鎮痛剤の効き目が切れてから
痛みで一睡も出来なかった。
鎮痛剤の効き目が弱まっているのと
異が荒れているのか気持ちが悪いのとで
飲む鎮痛剤は今後期待できない感じ
この時の時間の進み方の遅いこと
この状態で18時間の飛行に耐えられる自信はなく
薄明るくなってきた6時半
渡航前に加入した、たった8,450円の旅行保険のしおりを見る
治療は1,000万円まで出る。
しかしいったいマリの病院ってどんなとこなのか?
保険会社の提携病院(提携病院なら費用負担はなし)リストに
マリ共和国はやはりない。
※ベナンにはありました。ゾマホン効果か?
保険会社の日本の相談窓口に電話
やはりマリには提携の病院はなかった
が、紹介できる病院を探してくれるとのこと
数分でパリの日本語が出来るスタッフから電話が来た
24時間対応で初診料も16ユーロ程度でできるとのこと
物凄く安心した。
別に病院に行っても石が取り除かれるはずはないが
触診による適切な処方箋で座薬がもらえさえすれば
土曜の夜・日曜の夜の2晩と
飛行中の苦行に耐えられる。
タクミがユスフに相談してくれた。
今日もアメリカ行きジェンベの組み上げでバタバタの最中、
ユスフは血相書いて帰ってきてくれて
保険会社に紹介された病院と電話でやりとりをしてくれて
渋滞時間にもかかわらず車を飛ばしてくれて
タクミは3月初旬の帰国予定を繰り上げて
私と帯同で帰国してくれると言い出す。
私が帰国後にタクミは楽しみにしていたワソロン地方に行く予定だったのに
申し訳ない気持ちでいっぱい
紹介されたPOLY Clinique Pasteur はダウンタウンにある近代的な病院だった
保険会社が連絡を入れてくれていたようだったのと
受付がユスフの顔見知りだったのとで
即、ドクターが出来てきてくれた。
ドクターToure
大柄のマリ人で、満面の笑みで英語で挨拶してきた。
よかった。英語が出来る。
タクミもユスフも通訳として問診に参加してくれて
粗方の症状を伝える。
結石なら薬で今は対応をして日本に帰国したら衝撃波オペで粉砕すればいい、、、と
判断を下してくれた。
薬は飲む鎮痛剤・保護する胃薬・利尿剤、そして座薬だ。
今日帰国予定のMちゃんとダラが心配して病院まで駆けつけてきてくれた。
尿管結石
私は30歳で初めて発作を経験。
その時は数週間後に尿と一緒に出てきて初めて
自分が石もちだと認識した。
2度目の発作は38歳
この時は痛みで気絶しそうになった。
蒼白で病院に駆け込み鎮痛の点滴で生き返ったが
レントゲンに移っていたのは尿管にある5ミリほどの石と
その親玉と思われる直径2センチほどの影。
それが腎臓にあった。
この時はさすがに自然排出が難しいので
衝撃波による粉砕手術を行った。
その時は全て無くなっていた。確かに。
しかし体質はなかなか変えられない。
数年後、また小さな石が尿と一緒に排出されることが
年に1度か2度あった。
尿管結石がタチが悪いのは
体質だから病気ではないのに
発作が起こると例え様のない痛みになること。
救急車を呼ぶ人もいるらしい(笑)
今回のマリでの発作は
正直、気絶寸前だった。
2晩一睡も出来なかったことも大きい。
あと2晩、マリでこの痛みに耐えられる自信はなかった。
タクミには本当に申し訳ない想いでいっぱいだ。
それを伝えると
「TDFは一心同体ですから」
おいおい、弱ってるんだから泣いちゃうよ、俺。
工房で薬を飲んで仮眠。
工房のみんなが本当に心配そうに声をかけてきてくれる。
アダマが完成した私のジェンベを持ってきてくれた。
クレイドル42・・・・
物凄くいい音だ。
注文したコラもダラが届けてくれた。
嬉しさと悔しさと不安と安堵の1日
帰宅してまた寝る。
2晩一睡もしなかった分を取り戻すように・
12時ごろタクミとユスフが帰ってきた。
エールフランスで帰国便の変更を依頼したが
パリから成田が満席
エマージェンシーだから何とか便宜を図ってもらうよう
ユスフも一緒になって猛烈に依頼。
しまいには警察を呼ぶぞ!とまで言われたそうだ。
ユスフ、タクミ、ありがとう。
もう大丈夫です。
座薬も貰ったし
痛みも引いてきてるし
今日も沢山、いろいろあったな。
長旅お疲れ様でした。
落ち着いたらみんなで一杯やりましょう!