2019年9月29日参拝(今回で3度目)
奈良の中では、比較的アクセスもいいのに、いがいと参拝した事が無い人が多いのが「橿原神宮と神武天皇陵」です。
かく言うわたしも、数年前に初めて参拝しました。
勿体無い話です。
なぜもっと早くに伺わなかったのか・・・と思うほどとても素晴らしい波動を感じる場です。
ここは、とにかくその場に立ってみるとわたしの言わんとした事が理解できるかと思います。
☯神武天皇陵()
とにかく、清々しい場です。
癒される・・・と言う感覚とはちと違います。
あえて表現するなら・・・襟を正したくなるような感じでしょうか。
管理も行き届き、とても美しく、日本て素晴らしい!!と感動してしまいます。
空を見上げると・・・
こんな感じの雲が。
わたしには「火の鳥」のようにみえました。
「復活と再生か!!」
☯橿原神宮()
橿原神宮は、非常に品位があり格式の高さと歴史の重みを感じさせてくれます。
参道から神門をくぐり、広い境内の中に入ると立派な外拝殿(げはいでん)がみえます。
何もないので(当たり前だけど)とても空が高く感じられ、古代の人々もこれと同じ風景を見ていたのかと思うと
タイムスリップしたような錯覚におそわれます。
神武天皇について
初代天皇。名はカンヤマトイワレヒコノミコト,「記紀」によればニニギノミコトの曾孫,ウガヤフキアエズノミコトの子,母は妃タマヨリヒメノミコト。日向を出発して瀬戸内海を東進し,難波に上陸したが,ナガスネヒコの軍に妨げられ,迂回して吉野を経て大和に攻め入り,ついに大和一帯を平定,前 660年大和畝傍橿原宮に都し,元旦に即位し,ヒメタタライスズヒメノミコトを立てて皇后とし,127歳で没したと伝えられる。これは『日本書紀』の紀年法の誤りからきたもので,考古学的にみれば原始社会の段階における大和の一土豪として喧伝されてきた話を,こんな形で描いたものであろうといわれ,その東征説話も大和朝廷の発展期における皇室の淵源を悠遠のかなたにおき,九州と大和との連係の必然性をうたおうとしたものであろうといわれる。また崇神天皇こそ第1代天皇で,神武天皇はその投影であるとする説もある。陵墓は奈良県橿原市の畝傍山東北陵。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)
畝傍橿原宮(うねびかしはらのみや)
神武(じんむ)天皇の宮室。奈良県橿原市久米町・畝傍町。『日本書紀』によると、天皇は東征、大和(やまと)平定後、畝傍山の南東の橿原の地に宮をつくり、辛酉(しんゆう)年(紀元前660年にあたる)正月朔日(さくじつ)に即位したという。『古事記』に「畝火之白檮原(うねびのかしはら)宮」とある。畝傍山付近にカシハラの地名は残存しないが、地元の建議をいれて、1888年(明治21)畝傍山南東麓(ろく)を宮跡に決定し、翌年その伝承地に橿原神宮を創建した。1938~41年(昭和13~16)の神苑(しんえん)工事の際、発掘調査を行い、巨大なイチイガシの樹根を発見した。(日本大百科全書(ニッポニカ)より)
参拝コース等 ⇒ 昨日は、新しい啓示を受けるツアーだったような気がします\(^o^)/
アクセス 💛マップ
電車 近鉄「橿原神宮前駅(中央出口)」下車、徒歩10分
大阪から下記の①か②を利用 ⇒ 天王寺駅 ・・・徒歩3分・・・大阪阿倍野橋駅 ⇒ 近鉄南大阪線 急行(約40分)
①JR大阪環状線「大阪駅」より関空快速・関西空港行き約20分
②大阪市営地下鉄「御堂筋線/大阪梅田駅」より約15分
京都から 近鉄京都線・橿原線「京都駅」から特急で約54分
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