元伊勢伝承地の1つで、ここ京丹後では元伊勢三社のうちの一つとされています。
※上記の写真(下部)の変な光は、このカメラのレンズの特性ゆえお許しを!
午前中の参拝という事もあり、気持ちのいいお日様を感じつつ
わたしにとっては長い階段を一歩ずつ登ると、「黒木鳥居」という変わった鳥居に出会います。
へっ~~~こんな鳥居があるんだ・・・と思いつつ右折すると・・・
あらまぁ~!!
また変わった鳥居が・・・?
いや、これは鳥居なのか?
それとも単なる柱なのか?
エネルギッシュなご神気を感じました。
ウィキペディアより
延暦23年(804年)の『止由気宮儀式帳』に、雄略天皇が天照坐皇太神の夢託を蒙り、御饌都神(みけつかみ)として等由気太神(豊受大神)を丹波国から伊勢に迎えたのが外宮であると記す。それに基づいて当神社は雄略天皇22年に伊勢へ遷座したその故地であるという(『丹後風土記』)。あるいは、元鎮座地は比沼麻奈為神社(現京丹後市峰山町久次に鎮座)であるが、雄略天皇22年に伊勢へ遷座する途中で当神社の地にしばらく鎮座し、その跡地に建立したものであるともいう(『加佐郡誌』)。また、それとは別に、用明天皇の第3皇子である麻呂子親王が当地の鬼を退治するに際して、内宮(現皇大神社)とともに勧請したものであるとの異伝もある(宝暦11年(1761年)の『丹後州宮津府志』)。
近世以前の沿革は不明であるが、江戸時代には明暦2年(1656年)に宮津藩主京極高国が将軍家綱の疱瘡平癒を祈願して社殿を造営し(社蔵棟札)、延宝5年(1677年)に同永井尚長が4石6斗4升2合の社領を寄せ、以後藩家は変わりながらも歴代藩主の社参や代参、寄進等の崇敬を受けたという。
止由気宮儀式帳(読み)とゆけぐうぎしきちょうとは?
「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説より」
804年(延暦23)止由気宮(豊受(とようけ)宮)すなわち伊勢外宮(いせげぐう)の禰宜(ねぎ)五月麻呂らが、同宮の祭儀、殿舎、鎮座由来、摂社、職員の分掌などを記し報告したもの。内宮(ないくう)の「皇大神宮(こうたいじんぐう)儀式帳」とあわせて、一般に「延暦(えんりゃく)儀式帳」という。両帳ともに作成年代については疑問もあるが、神宮史研究の基本史料であることに変わりはない。なお、止由気宮儀式帳の帳尾には「神祇官(じんぎかん)検」がみられるが、皇大神宮儀式帳にはなく、平安時代の内外宮の所管関係を知るうえで興味深い。『群書類従』所収。[矢野建一]
手前に見えるのが、「龍登のヒノキ」
龍神が螺旋を描き天へと駆け登るようにそそり立つご神木
愛称 白龍さん
後ろに控えているのが「龍燈の杉」
節分の深夜、龍神が燈火を献ずると言い伝えられている。
樹齢1500年を超えるご神木
愛称 黒龍さん
こちらの神社だけでなく、この辺一帯の神社に言える事ですが・・・
まぁ~お社(小さな祠)が多いこと。
ちょっと引くくらい(笑)
ウィキペディアによると、末社は37社で、本殿を囲むようにコの字に配置されています。
いづれもこの神社周辺の参拝客などのお世話ががかりも務めていた社家が1社づつ祀られているそうです。
地元の参拝者は、丁寧にすべてお参りされるのでしょうが、
わたしはかなり割愛させて頂きました(´・ω・`)ゴメンチャイ
主祭神 豊受姫命 - 伊勢の豊受大神宮(外宮)祭神
相殿神 日子番能邇邇芸尊 天児屋根命 天太玉命
摂社(別宮) 本殿周辺に鎮座する。
多賀神社 - 拝殿左
土之神社 - 拝殿右
月読宮 - 本殿左後方
風之宮 - 本殿右後方
末社 計37社
元伊勢外宮豊受大神社 電話番号: 0773-56-1560
住所 〒620-0325 福知山市大江町天田内60
【交通手段】
京都丹後鉄道宮福線「大江高校前」駅下車、徒歩15分
京都丹後鉄道宮福線「大江」駅から市営バス(大江山の家線)で5分「外宮」下車
京都縦貫自動車道「舞鶴大江」ICから車で約15分
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