片岡千恵蔵の多羅尾伴内を描いていたら、そういえば知恵蔵風の表紙絵があったような気がしてきた。何の事かというと、昭和三十年代に流行っていた貸本劇画の表紙のことだ。子供の頃の記憶であてにはならないが「街」という貸本劇画もあった。
久しぶりにアドビのフォトショップにイラストレーターでレイアウトをしてみた。あとで画像検索してみたら出てきた出てきた、全然イメージが違っていた。脳内イメージはこういう感じだったんだけどね。当時の貸本は貸し料が二十円。子供には手が出なかった。
当時の貸本劇画、料金もさることながら、絵が雑で子供心に引いていた。その魅力が解ってきたのは小学生も高学年になってからだ。順番的にいうと白土三平、さいとうたかを、平田弘史となる。中学生にもなると勉強そっちのけで、その魅力にはまっていた。
もちろん、水木しげるやつげ義春も幼少の頃から知っていた。永島慎二などのは小学校にあがる前に読んだ記憶がある。今日的にはレンタルビデオが百円、レンタルコミックがン十円と当時からすると随分と安いと思う。
昨今、物価高で庶民の暮らしは切迫しているが、エンタメがこうも安いのは絶滅の危機に瀕しているのかもしれない。そういえば近所のレンタル屋が姿を消していっている。レンタル屋が遠くなってバスで行っている。
幼少の頃から今日まで手の届かないものでいっぱいだ。欲するものを頭の中で想像して、こうして絵に描いては慰めている。貧しくとも豊かな毎日だ。
1970年代の半ば頃だったろうか。講談社から手塚治虫全集が刊行された。その作品群の多さには度肝を抜かれた。全集を全て買い揃えようなどと野心に燃えたが、あっさりと諦めた。理由は経済的理由だ。
全部は買えないし、それに好きではない作品もある。手塚作品は幼少の頃から今日まで、その折々に作品に触れてきた。友達同志での本の貸し借り、本屋での立ち読み、勿論自前での月々の雑誌の購読。
自分には、こうした思い出で充分だと負け惜しみではなく全集の買い揃えを諦めた。それが昨今、古本屋でどんでもない安値で手塚作品が売られている。これは好機とばかりに買い求めている。
それでも死ぬまでには全部は読み切れないだろう。それでも良いと思っている。僕にとって手塚治虫は子供の頃のラジオ体操の朝の空気であり、川遊びの帰りに飲んだ岩清水の水なのだから・・・・・・。
絵はそれとは関係なく映画の看板。九分九厘の仕上がり。
仇討ちをテーマとした短編集である。一編目の「うんぷてんぷ」の冒頭の部分を想像して描いた。どこぞの茶屋で仇討ちを目的に国元を出た半助と従兄の弥太夫が会っている。
二人の風体の詳しい描写はない。半助は長の仇討ち旅ですっかり落ちぶれている。弥太夫は遠路国元から仇討ちの為の金子を持参しての久しぶりの再会である。
茶屋とはいえ離れとあるからこのようなものであろうか。立場上、弥太夫は上座であろうか。酒を注文していているから、やがて女給がやってくる。
他人目をはばかっての事であるから戸は閉まっているのだろうが、三人一辺に表現したいから戸を開け放して描いた。茶屋の一間としては豪華過ぎたか。
弥太夫は散々文句をたれて仇討ちの資金を渡して足早に立ち去る。半助はしめしめと金子を懐の納めて出された酒を飲んでから界隈に出た。物語はここから始まる。