いつもながら記憶で、もの申しているので違う部分があったら御容赦願いたい。
レモンキッドを入手した。
初出誌は昭和二十八年冒険王とある。
少年の頃に読んだのだが、内容はあまり記憶がない。よって初見である。
興味深いのはあとがきである。
この作品は二日で徹夜で描いたとある。(今見ると100ページ以上ある)また編集部の机で描いた、プロットも行き当たりばったりのジャズのアドリブのようだとあり、最後はつじつまが合わなくなったのをなんとか納めたと書いてある。
この所業を肯定するか否定するかは各人の判断にまかせるとして、当時の少年は認めなかった。題名が気に入らない(映画駅馬車のリンゴキッドがヒントかな)。おまけに絵も西部劇に相応しくないと少年は子供心に思ったものだ。
手塚先生曰く「僕は西部劇が嫌いだ 西部劇のどこが面白いのかわからない 映画も仕方なく何本か観た」
このような事をなにかで読んだ。
石上三登志氏の著書「手塚治虫の奇妙な世界」の中で氏はこの時期の手塚先生のハイカラさやモダンさが氏の当時の子供心をくすぐったと評している。
しかし、少年は小松崎茂先生に代表される様な挿し絵画家が描かれる西部劇に心躍らせていた。
当時は内外問わず西部劇ブームのようで、早撃ちのサーカスのようなものが日本でも各地で実演されていた。
本国アメリカでも早撃ち大会が催され若き日のスティーヴ・マックィーンやロバート・フラーも出場していたと当時の雑誌で読んだ記憶がある。
ゆえに、手塚先生にも無理やり編集部から西部劇の依頼があったのだろう。
あとがきからはありありとその苦労の汗が滲み出ている。
「僕は西部劇が嫌いだ」
お察ししますよ。手塚先生。
当時の少年はそれを見抜いていましたよ。
結局はあとがきが面白くて入手したのか。
いま、みるとディズニーの影響がうかがえるドタバタシーン。
とはいえ、お薦めする。
ジャズのアドリブの様だというのはカッコイイ。