魂の発達

私とは何か。私とは魂であるというところから世界を考えます。

小学校時代2

2014-02-10 10:34:44 | Weblog

Aの倉庫を建てた建築屋は今年のカレンダーを持ってこなかった。気まずいから当然と言えば当然である。倉庫の建築は平成12年頃だと記憶している。その前は木造平屋、二間くらいの小屋だった。それを建て替えたときにセットバックしなければならなかったのである。それなのに建築許可を受けずに造ってしまった。建築業者なら事前に土地の情報を調べなければならないから、違反承知の上の工事だったんは間違いない。この里道に接するCの家はずっと昔、昭和40年代に建てられたものだが、この二項道路があるから建てられのであり、セットバックさせられていた。Cの土地は私の小学生時代は田んぼだった。Dの土地は畑だった。自由で自然豊かな遊び場だった。

 小学校時代のことを思い出そうとすると暗い気持ちになる。頭も重く胸も詰まる。病気になったような気持ちになる。
 学校に弁当を持って行けないので昼になると家に帰って兄弟で焼き芋を食べた。時には女先生が弁当を分けてくれたりした記憶がある。朝食は水っぽい麦飯と具のない味噌汁である。夜食は冷たい残り飯であった。それでも年に二回くらい、正月と祭日くらいには魚を食わせてくれたように思う。もちろん肉を食った記憶はない。
 河川敷の藪に小さな畑を借りていて、母と便所から肥を担いでいったものである。収穫があった時は芋飯や大根飯もあった。味噌汁に菜っ葉も入った。味噌汁のだしは味の素だったように思う。たまには煮干しや鰹節もあった。鍬や鎌を使うと手の指がそのままの状態で固定してしまった。伸ばすと痛かった。手のひらは皮膚炎でいつもぼろぼろ皮がむけていた。病気だと噂されていたようであった。後年知ったことだが、カルシューム不足の関節炎だったのである。栄養失調と空腹で頭はいつもぼんやりしていたようで、のろのろしていたからかあだ名は「牛もー」だったように思う。
 この状態が改善されたのは5年生くらいになってからだろう。