2011年5月にキックオフということで仲間と始めた菜園が六甲菜園である。
畑を共同で始めただけのように思われるが、そこにはいろいろと思いがあって
オヤジたちが立ち上がった!というほどのコトではなかったけど、何か面白そう、
農作業もやってみたいなという感じでゆるゆるとやりだした。
もともとの主旨は、自給自足で生きられることは必要ではないか、そういう
菜園付住宅で暮らすというのは面白いのではないか、郊外にはそういう土地が
たくさんあって土地の有効利用、若しくは地方再生にも寄与するのではないか、
などなどいろいろな思いから始まった。
そう、東日本大震災が3月に起こり、食に対する不安も一つの原因であった。
理想はロシアの「ダーチャ」の延長で週末だけでなく、菜園をしながら永住できる
住まいだったように思う。メンバーの思いに多少の違いはあるだろうけど。
ダーチャ: ロシアの菜園付住宅。普段は近隣の都会(車で30分 - 1時間程度)に居住し、
週末のみ利用する持ち主が多い。特に夏の間は盛んに利用され、夏休みに家族そろって
長期間ダーチャで過ごすケースも多い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3
キックオフの前に都市近郊の敷地を見に行ったり、不動産情報を探したり、
敷地に菜園付住宅を提案したり、いろいろと活動したけれど、自分たちで
畑を耕してみないとわからないことが多いのではないか、やってみて初めて勧められるの
ではないか、という考えもあり偶然メンバーの知り合いで不動産屋の方がいて
無料で貸してくれる菜園(畑)があるよ、ということで全員で菜園をみにいった。
西宮の船坂というところである。「ここです。」と言われた土地は「ほ~これが土地か」という
ぐらいであったが、ここで何が出来るのか~と漠然としていてあまり実感はなかった。
ところが、何があったかは知らないが突如、土地が代わって違う土地になった。
そういう経過があって現在の土地になっている。正確に言うと今の土地よりももっと広いところを
借りていたのだが、結果的には少し小さくなった。そんな広いところを耕すという
実感も実績もなかったので、結果的には今の土地ぐらいでちょうど良かったかな。
キックオフの時に耕運機を借りて土地を耕し、初めて見る光景に感動したものだ。(笑)
メンバーの子ども達もまだ幼く、みんな生き生きと土いじりを楽しんでいた。
農作業に必要な道具はメンバーの持寄りである。みんなでお金を出し合って道具を
収納するための小さな倉庫も購入した。
初めから「自然農」を目指すということで、無農薬、無肥料で育てる。
自然の力を利用して野菜を育てる、ということを目標としている。そういう本も読んだ。
これには雑草の協力も必要なので雑草を抜かない、抜いた雑草は肥料とするため、
植えている作物の上に撒くというような方法で野菜を育てだした。
ただ、雑草をそのままにしておくというのは周りの土地にも影響があって、虫などの発生で
苦情もでた。都会の変わりモンが来たみたいな感じで周りの農家の方々からも少し偏見的な
目でみられていたように思う。今は世間話も出来るほど仲良くなっているのだが、
違うところから来る人というのは警戒されるのですね~。
「自然農」から始まった菜園は今も無農薬、無肥料でつくっています。雑草に関しては
抜くようにしています。無肥料なので土に炭を混ぜたり、籾殻を撒いたりはしている。
牡蠣殻石灰などを混ぜての改良など土にいいことはやっている。
ただ、ミニ大根などを植えるとミニミニ大根ぐらいにしか育たないが、味は美味しい。
育つ野菜と育たない野菜はだいたいわかってきたが、新しいことにもチャレンジするのだ。
今までやってきて存続に危機的状況になったこともあったが、どうにかこうにかやってきた。
最初の主旨とは異なり、菜園で育てる野菜に興味が移り、立派に育つのにどういうサポートが
必要かなど野菜作りに重点を置くようになってしまった。が、やはり、最初の主旨である
「菜園付住宅」は面白いと思うし、やってみたい。そういう人はいないのかな~。
アドバイスも出来るし、協力もします。(笑)
最近は毎週日曜日の朝8時から「やさいの時間」を観るのが習慣になっている。(笑)
日本酒は基本厳禁なのだが、油断して飲んでしまって周りにご迷惑を
かけたということが今日発覚。
もう日も経っているので今さらどうしようもなく、うーむと考えるが、
どうしようもないので今度誤っておこうと開き直る。
開き直るという思いが同じことをしてしまう原因になっているような気もするが
気にしていると、今までやってきたことを考えると、人生生きていけないので(笑)
開き直ることにしている。それは自分の記憶になく、人から聞いた話なので
どこまで正確に伝わっているかわからないという勝手な思い込みによる。(-_-;)
さて、いきなり、酒の種類によって酔い方が違うのか、ということである。
化学的には知らないが、経験値で話をしていくので極めて個人的身体の性質的な
話になるので他の人には当てはまらないかも知れないが同じ人間なので共通項も
あるのだろうということで書いてみることにする。
「まずはビールで!」というぐらい最初に飲まれるビールから考える。
ビールは喉で味わうなどと言われるが、最初の一口はとてつもなく美味しい。
特に夏は格別である。が、しかし、ビールは腹が張る。どうも飲みすぎると
お腹いっぱいになるので、どんどんピッチが落ちていく。置いておくとぬるくなるので
美味しくなくなり、余計に飲めなくなり、口の渇きを湿らす程度の酒量になり、
他の酒の味に変えたくなり、ビールを修了することになる。
よって、ビールだけではなかなか酔えない。
ビールは酒に身体が対応するための準備体操のようなものだ。
ビールで酔っ払ったことはあるが、若いころの話で記憶はおぼろげだが、何せ利尿作用と
いうか小便で出してしまうので水分が不足する。とても水分を欲する酔い方をする。
次ぐらいに飲むのが昔なら日本酒。日本酒は大好きでとてもよく呑んだ。
食べ物との相性も良く、何にでもあう。日本の文化ともいえる。
熱燗などは防腐剤がとんで悪酔いしない、などと言われるがとんでもない。
酒の中で日本酒が一番記憶がなくなる酒である。所謂、悪酔いするのだ。
ストレートで一升瓶から直接いれるだけで飲めて手間もかからない。
日本酒はお酒を飲む人の中で一番人気があると思われる。お酒を飲む人とは
若い人だけでなく、労働者層を含む立ち飲みの客層を含めてのことであるが(笑)。
飲めば足に来る、などと言われるが、違います。脳にくるのです。
脳細胞が麻痺して本能が一番むき出しにされる酒が日本酒ではないかと思う。
トラブルのもとは日本酒にあり~という訳ではないのですが、美味しいということは
飲みすぎるわけで、そのまま酩酊にいたるという簡単な図式が出来上がります。
と書いて、長くなるので、もう少し詳しいことは次回に書きます。
23日の土曜日は豊中まつりのプレイベントである「サンタ夢宅急便」にて
サンタの補助役で10組のお宅の子供たちへプレゼントを渡す。
子ども達は空を見上げ両手をひろーげー、鳥や雲や夢までもつかもうとしている~
は、異邦人という歌ですが。。。たくさんの子どもたちの笑顔が見られてよかった。
もうサンタ役は何回もやっているので、新しい人たちに譲るのが正しいような気がして
今回は黒子役に徹する。(笑)
24日の日曜日は六甲菜園の当番の日なので昼頃に菜園へ。
今年最後の菜園ということで、ラッキョの冬支度にトンネルをつくって寒冷紗をかける。
今回初めて曲がる棒(という名前かどうか?)を使っての制作であったが
なかなかの出来栄え。今までで一番ピンと張れて美しい出来上がり。満足~。
そしてもう昨日になったが、クリスマス。
いやあ、何事もない平凡な一日であった。イベントも何もない、平和な一日。
「民衆の敵」という番組が最終回で最後までみたが、子供向けの番組という感じで
とても大人が見るような内容ではなかったかな。もう少し期待していたのだが、
あたり障りのない政治に対する基本的に正しい考え方みたいなことを言いたいのか
どうかわからないが、面白くなかった。
そういえば、何事もなかったが菜園ナビでクリスマス企画で開催されていた
プチトマトの新種で「こいまる」という種類の種が当たった。
10粒ですが、まだ販売されていない新種の種でとても希少価値があるようなので
今から楽しみにしている。プランターでも育つようなので畑とプランターの両方で
育ててみる。ダメな時のリスクの分散なのだ。
それでクリスマスについて考える。ここ数年、個人のイベントとしては何もない。
キレイなイルミネーションを見に行くでもなく、美味しいものを食べに行くでもなく、
どこかへ飲みに行くでもない。普通な一日である。
別にイベントをしたい事もないので、普通に飲んで食べて平穏に過ぎ去っていく。
そういう普通の一日なのである。
それよりも年末で何となくせわしくて、ゆっくり正月を迎えたくて、
やっぱりクリスマスは正月には勝てないな、などと納得し正月へ向けて
ココロがざわめくのである。あ~、もういくつ寝るとお正月~な気分だ。
多分、世間もクリスマスが終った次の日(今日)から掌を返したように
クリスマスがあったのを忘れたのがごとく、正月に向かって邁進するであろう。
歳を重ねると、ますますクリスマスより正月が大切なのである。
よってクリスマスは正月に勝てない。正月無敵論が正しいのである。
ここでお盆という正月に匹敵する行事があるが、話が長くなるので
またの機会に話をしよう。(あんまり意味のない内容ですみません。。。)
昨日、一級建築士「設計製図の試験」の合格者が決定された。
http://www.jaeic.or.jp/shiken/1k/1k-gokaku201712.files/1k-gokaku-happyo-201712r.pdf
学科との総合合格率は10.8%。なんと難しい試験になったものだ。
若いうちに取っておいて良かったとつくづく思う。今なんてとても無理そうだ。
以前にも書いたと思うが、初めて人に教えてお金をもらったのが、一級建築士の
設計製図の講師であった。それを5年ぐらいした後、しばらく遠ざかっていたが
昨年から縁があり、再び教えることになって今年の製図試験は難しかった。
という情報だけもらっていたが、今年の設計製図の試験の合格率は37.7%。
ここ何年かは40%をキープしていたので今年は難しい年となった。
難しい原因としては、本試験問題の傾向が昨年までと比べて大きく変わったこと。
この影響が大きい。なので受験生が対応しきれなかった模様だ。
これはどういうことかというと、それだけ受験対策用に学校へ行っている率が多く、
その学校で習うことの予想が違うと対応しきれなくなる。
ううむ、高い学費を支払ってどういうことや、という文句も出て来そうである。
だけど基本的なことは理解しているのなら応用を利かせられるかどうかは自分次第や
ともいえる。その辺りは立場によって違うのか。
昔と違い、難しくなった分、設計製図は学科合格年を含んで3年以内に合格すれば
いいことになっている。その前は学科が合格した年、その次の年で設計製図が
合格しなければ振り出しに戻るという結構厳しい時代だったのだ。
振り出しに戻っても学科から再受験して見事に一級建築士になった人も知っている。
まあ、みんな合格して欲しいけど、みんな合格すると価値がなくなるので
ある程度、厳しくするのが資格試験というものらしい。
今は毎年、3千数百人が一級建築士になっている。
何はさておき、見事に一級建築士になられた方、おめでとうございます。
とても ウレシイ クリスマスプレゼントになったと思います。
合格通知が来た時に、あまりのウレシサにその日の夜は酩酊したことを覚えています。
本日は冬至である。冬至といえば ゆず湯やカボチャを思い浮かべるが
冬至というのは1年で1番日が短い。まあ、ここまでは誰もが知っていることである。
実は日が短いだけでなく、影が1番長くなる日なのである。
影が長いということは建物なんかだと、それだけ北側の敷地における
日照の影響が多くなるということで建築基準法などという法律では冬至を基準に
北側における日影の影響を少なくするよう定められている。
おぉ~、建築士っぽいことになってきた。(笑)
ちなみに太陽高度の一番高い時(昼)はどれくらいかというと約30度。
水平に対して30度しか太陽は上がらないのだ。それに比べて、日が1番ながくなる夏至は
約70度。これだけ角度が高くなるのある。夏至の日射は水平面が一番多くなるので、
水平面というのは屋根面だと思っていいので、ようは屋根が一番暑くなる。
冬至に話を戻して、太陽の角度が低いということは部屋の奥まで太陽の日差しが入ってくると
いうことで寒い冬に太陽の日差しがありがたく感じるということになるのである。
まあ、寒いということはそれだけ日射量が少ない(日が短い)という事なのだが、
そのツミホロボシに太陽は低い位置から部屋の奥まで日差しを届けるよー、
とうまい具合になるのだ。
参考に1日の昼と夜が同じ時間になる春分と秋分。これは太陽が真東から上り真西に沈む。
これがちょうど12時間。24時間の半分になる。なんとよくできているではないか。
それから、秋分から春分にかけての時期は、なんと北面にも太陽の日差しがある。
日の出と日の入り前ぐらいであるが、北側にも日差しが差すのだ。
ということは、北側も半年間少しの時間だけ日照を得る事になるのだ。
とまあ、こんなことを考えながら建物というのは計画されるので開口部なんかも
その考えのもと計画されていくのですね~。
ところで今日の新聞に載っていた記事で気に入ったのをメモ代わりに載せておこう。
「生きてきた分母の分だけ一年の比率が軽くなる。」
そうか、だから年とともに一年が早く感じるようになるのかと納得した。