愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

支那贔屓(ひいき)の“手支那〟 其の②

2017-06-29 23:12:56 | 本物を見極める目

支那贔屓(ひいき)手支那〟  其の②

前回の続き~

堀内氏は外交官試験に三度も失敗し、四度目の挑戦でようやく合格した劣等生

である。苦労の末に大正七(1918)年、外務省に入ると目賀田種太郎男爵の

鞄持ちになり、上海公使館の一等書記、天津領事、本省東亜局長を歴任し、

大東亜敗戦後は国民党の宋子文(そうしぶん)・行政院長の委託を受けて、

三年間ほど支那で働いたそうだ。

彼が支那人の腰巾着になる契機(きっかけ)は、宋子文に仕える以前の

少年時代に遡る。堀内氏は幼名を亀太郎といい、成長して同文書院の学生に

なった頃、ペンネームの「干城」に改名したという。それというのも、支那への

渡航を希望していた堀内青年は、尊敬している漢文の教師から、

「亀太郎」と言う名前はまずいので、他の名前に変えた方がよかろう、との

助言を受けていたからだ。何でも、支那人は亀を「ワンパー(忘八)」と呼んで

おり、八つの人倫を忘れた動物として軽蔑しているからだという。

そこで、彼は高等小学校時代に使っていたペンネームを用いることにした

のである。

彼は戸籍名を変えるため、いくつか論文を書いて群長に提出し、

彼に同情した群長は暫くしてから戸籍上の名前を変えれくれたそうだ。

日露戦争時代に少年期を過ごした堀内氏は、

「国家の干(たて)(矢を防ぐ武具)となり城とならん」との志をもって

「干城」と名乗ったらしい。だが、外交官時代は一貫して軍国主義に

反対を唱え続けていたから、とても皮肉な筆名だったと回想している。

軍事に疎い文官だから仕方がないが、堀内氏は我が国に本当の

「軍国主義」があると思っていた。これといった戦争計画も立てずに、

強国の英米に戦争をしかける軍国主義者なんて、運動音痴の曲芸師の

ようなものだ。ソ連を助けるついでに祖国を敗戦に導き、念願の革命を

達成しようとした共産主義者はいたが、大日本帝国を守ろうとした

軍国主義者は国家の中枢にいなかった。

もし、軍国主義者が参謀本部にでもいたら、日本は対米戦を回避できたし、

帝国陸海軍の滅亡はなかったはずである。そもそも、

日本の「外交官」は、外人の「接待係」であって、対外工作を行う「外政官」

ではないから、あれこれ愚痴を零(こぼ)してもしょうがない。

 

江戸の昔から漢文を習う日本人は、えてして「支那病」に罹(かか)りやすい。

中学時代の堀内氏が一番尊敬したのは漢文の教師だったようで、

その先生から支那賢人の道義性とか、正義感や、豪胆さ、東洋道徳の

模範となるべき逸話を教えてもらったそうだ。

この先生の授業がたいそう面白かったので、堀内少年は人一倍興味を覚え、

支那を道義の国、正義の国であると思ったらしい。

支那を高度な文明国と勘違いした堀内氏は、何としても支那へ行ってみたい

考えるようになった。

 

漢籍で籠絡された日本人は、ややもすると支那に同情を寄せたくなる。

同文書院に在籍していた頃、堀内氏は忘年会で手品をやれと命じられた

ことがある。

そこで、彼はいろいろ考えた挙句、大きさが一畳くらいになる支那と日本の

地図を書いた。そこには英、米、独、仏、伊といった列強の腕が五本

描かれており、それぞれが大きな拳骨を振りかざしていた。

しかし、日本国の手は拳骨にせず、掌(てのひら)を開いて振っているように

描き、その傍らに「手支那(てじな)」というタイトルを書いたそうだ。

彼はこの地図を持って宴会に臨み、それを壁に張り付けて皆の前で

こう陳べた。

 

  これが私の手品である。但し列強が高圧手段で支那を苛めているが、

  日本はこれの止め役として手を振っているというところに、

  我々同文書院に教え受ける者の使命があるのではないかと思う。

 

堀内氏がこのような駄洒落(だじゃれ)を披露すると、主席者たちから

拍手喝采が起こったそうだ。

支那人の手先になるような役人には、学生時代から支那の歴史が

分からぬ間抜けが多い。支那人はどんな夷狄に攻められようが、

いたって平気だし、乗り込んできた支配者を丸め込んで支那風に

同化させることもできるのだ。たとえ、西欧列強が一億人殺しても、

またすぐに支那人は増えるから気にしない。

殺戮の嵐は毎年恒例の台風に等しいからだ。それよりも、

こうした愚劣な学生が国家試験を通って、中央官庁の役人になるほうが

問題である。支那に勝手な幻想を抱く外交官は、

日本の国益を無視してまで支那人に尽くそうとするからだ。

 

さらに厄介なことがある。敗戦による罪悪史観を植え付けられたせいで、

卑屈な態度や自虐的思考が固まってしまい、本人すらその自覚が無いのだ。

堀内氏も支那の国益を優先する「チャンコロ屋」になっていた。

彼は支那の政治や経済、社会が悪いのは日本の責任で、

日本国民はこの道義的責任について反省しなければならない、と述べていた。

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支那人に媚びる三流役人は、武力無き外政がいかに虚しいかを理解して

いなかった。

単なる馬鹿なら放っておけばよいが、行政府に蔓延る奸臣は

国家にとって有害になるから、極力排除せねばならない。

 

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先日、国会の質疑のやりとりで、外務省の役人がどうも韓国との合意について

曖昧な物言いを何度も繰り返していたので、なにかオカシイなと思って

見ていました。