愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

「皇室の伝統が長く続いているのは?」

2018-04-17 22:14:38 | 皇室

 「皇室の伝統が長く続いているのは?」


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現在、皇室の問題がいろいろ話題になっております。戦後の教育が大きいですが、君が代を歌わなかったり、国旗掲揚をしなかったりと日本国民としての自覚が薄れてきているようで、由々しきことです。

前回のつづきを下記著書から抜粋させていただきます。

「日月地神示ひつくしんじ 黄金人類と日本の天命 著:白峰聖鵬 明窓出版

◎なぜ皇室伝統は、かくも長く続いているのか

 「この世界に比類なき皇室の伝統、神代から続く伝統は、これを保持しようとする皇室の努力と、これを守り育てていた日本民族の知恵の結晶だったのです。

 

戦前の日本人は、日本の国体とは何かと問われると、即座に万世一系の天子の国と素直に答えました。元旦には「一系の天子、富士の山」と口ずさんで、平和な天皇の「日の本の国」に生まれたことを、しみじみと感謝してきました。

戦後はまた、戦前とは違った様相を呈してきているが、皇統が絶えることなく続き、国民の大多数がこれを敬慕していることには変わりがありません。

 

今日も天皇は日本国の象徴であり、国民統合の象徴で、国家元首です。時代状況は変わっても、古代から現代まで一貫しています。この統合性と連続性こそ、日本の天皇制の特色です。

 

なぜ皇室は皇統が連綿として百二十五代、二千六百五十九年も絶えることなく続いてきたのでしょうか。それは、共産党が皇室を侮蔑して、「天皇制」と呼ぶような「制度」ではなかったからです。それは誰が制定したわけでもない、民族の中に自然に育まれた文化だったのです。

 

特定の実力者が創り上げた「制度」ならば、別の野心家によって、中国の易姓革命のように何度も変革されていたはずです。ところが、皇室はそうではありません。

この皇道は、神道の発生と同根で、民族がこの風土から学びとった「惟神(かんながら)の道」と見ることができます。

 

国民は、伊勢神宮や各地の氏神を、畏敬をもって何千年も維持してきたように、皇室に反逆するなど考えもせず、親愛の情をもって守ってきたものです。それは決して人が創った「制度」ではなく、自然に生まれた神ながらの道の、中心的存在だったからです。

 

皇室と国民の関係は、本家と分家、君民一体の絆は、親子関係と同じです。国民は天皇との関係を理論的に知らなくとも、天皇の御前に立つと、ジーンとした血のざわめきを覚えます。それは、天皇の血と私たちの血が同一起源から発して、常に共鳴するからです。これを実証するには、

次のように考えればよいでしょう。

要と考えていくと、十代前までさかのぼると先祖の数は千人台に、二十代前では百万人台に、三十代前では十億人を越えます。ネズミ算の逆算です。ところが、百二十五代前の神武天皇の昔から、日本の国土に生きてきた日本人の数はたった四、五億人と推計されてい一人の人間が存在するためには、父母という二人の親が必要、二代前は四人の祖父母が必ます。だから相互に親を、先祖を何度も共有し、親戚同士でなければ数が合いません。

 

日本は島国で、三千年来、異民族の大量渡来もなく、侵略されることもなく、完全封鎖、鎖国社会の純粋培養で、相互に血のつながりを持ち合って形成されてきました。だから、天皇を本家とする一大家族国家になるのは当然でした。誰でも日本人は、どこかで天皇とぶつからなければ、自己は存在しなかったのです。


歴史上、源氏と平氏とは、宿命的な対立関係にある家柄だと教えられてきましたが、元をただせば、平氏は桓武平氏(五十代・桓武天皇)、源氏は清和源氏(五十六代・清和天皇)と言われるように、数代前の先祖は、ともに天皇家からの枝分かれだったのです。


日本人は個人よりも家柄を大事にする民族です。どの家の墓碑銘もたいてい「〇〇家の墓」で、個人の名は主張しません。どの家も数代前の先祖は辿れても、その先を知ることは困難です。そこで、総本家としての天皇家の血統を正しく伝えておけば、それで自分の系譜を代表することができます。民族の種の起源、出生の秘密を天皇家に代表して守り続けたのは、素晴らしい知恵だったのです。


かくして天皇の血と国民の血は同じであり、日本人は皆、「己のなか天皇をみて」暮らしているのです。だから国民は、意識しなくとも天皇に近づくと血が共鳴し、親愛と感動を覚えます。「君が代」が栄え永続することは、国民皆が栄え続けることと、まったく同義なのです。」

  

 

日章旗と旭日旗の違い。意味、画像や読み方、歴史など徹底比較!!

 

 

 

            


「七から八の宇宙に移行するとは…」

2018-04-16 00:33:52 | 数霊と型霊

「七から八の宇宙に移行するとは…」

ミロクの世とは、数霊でいうとどういうことでしょうか?ザックリと説明していますので、

前回のつづきを下記著書から抜粋させていただきます。

「日月地神示ひつくしんじ 黄金人類と日本の天命

 著:白峰聖鵬 明窓出版

◎パワー対フォース

「物質を動かしているエネルギー(パワー)と、物質そのものの根元的で素粒子的なエネルギー(フォース)とは、まるで違うということです。しかし、この現象の宇宙はこの二極で成り立っているのです。

人間が生きているのは太陽系ですが、その光線軸は七で構成されています。だから虹も七色ですね。もっと色はあるのですが、とりあえず七で表わされています。

もう一つのパワーの世界は八で表わされています。これから地球宇宙が変わって、分岐点を超えると八になっていきます。八の世界は全部、八角堂、八角形などといった宇宙観を象徴しています。

そして、人間が生きている宇宙の空間は七ですが、人間そのものは六なのです。六角形ですね。

人間とは何かといえば、総べて六角形の水の結晶体です。水の結晶体だからこそ、水晶になれるのです。

だから人間は六で表わされるのですね。「ろくでなし」とは、人間ではないということです(笑)

567(ミロク)とは、五が地球、六が人間で、七は物質世界の空間(完成された光の世界)です。

これが調和できたら、八の世界に行けるということです。

その七の世界と、八の世界の分岐点が2012年なのですが、そこに留まるのではなく、その分岐点を超えなければならないのです。2012年とは、七の宇宙の地場が八の宇宙への分岐点に至り、完成するということです。七から八の宇宙に移行するときは、光線軸が変わりますが、この八について、八角形を意識すると面白いですよ。英数字の八を横にするとメビウスの輪になりますが、エネルギーは八の法則で回るのです。

DNAの二重ラセンも八の形で回っています。そして、北斗七星は、本当は北斗八星なのですよ。

北極星を入れたら八なのです。

この太陽系で、他の天体と違う方向に回っているのは地球だけです。それが反対方向に回ると、八の宇宙になるのです。ラセンを描いて中心軸が回転することで、反対になるのです。中心軸が回転すれば熱を持ちますから、南極や北極の氷が溶けやすくなってきます。

地球は真ん丸じゃないことを知っていますか?北と南の両極が少し引っ張られているのですが、極端に言えばラグビーボールのような形です。この形を我々の業界では桃というのです。

松竹梅の上は桃であり、地球とは本当は桃の国なのです。

宝珠は桃の形ですが、神様の世界から見ると、地球は桃に見えるそうです。」

 「宝珠 画像」の画像検索結果       

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2012年はとっくに過ぎていますが、新宇宙はもう準備はできているということです。

あとは地球上の多くの人間がまだまだということで、宇宙の中心である地球,

人類の代表である地球人の在り方、五色人の代表である日本人の在り方が大事だと

いうことです。

 

 


「聖徳太子と十九条憲法のこと」

2018-04-14 22:38:37 | 言葉と言霊

「聖徳太子と十九条憲法のこと」

    菊花紋章 に対する画像結果   

聖徳太子が遺したものと日本民族としての自覚について、下記著書より抜粋させていただきます。

日月地神示ひつくしんじ 黄金人類と日本の天命

 著:白峰聖鵬 明窓出版

 

「…そして次は、「聖徳太子と十九条憲法」のお話です。聖徳太子の十七条憲法は、地球の法則で作ったものではないのです。実は、17の1は北極星で、7は北斗七星なのです。すなわち、天の法則に則って作ったのが、十七条の憲法なのです。

でも、本当は17で終わりじゃないんですね。18条と19条もあるのです。18条は「数霊学」ですが、19条は「国体」です。19と言う数は、先ほど、「常立(とこたち)」と言いましたが、常立の数です。常立の19条は国のありかたを説いているのです。

聖徳太子の予言書には、数霊学と国体が未来記として隠されています。未来記の中には、2020年に世の中が全部ひっくり返って、ミロクの世になりますよと書いてあるのですが、面白いのは、フリーメースンのヨーロッパのロッジに行きますと、そこには2020という数が看板に書いてあるのです。2020年にこの世が終わるというコードなんですね。(そして新しい世の中のシステムが現れると)

量子コンピューターの未来学でも2020という数が書いてありますが、これはすべての太陽系の入れ替わりを表わしているのだそうです。つまり、聖徳太子の時代にはすでに、2020年にこの太陽系と地球が大変革する事が解っていたのです。

凄いことだと思いませんか。(太陽の暗号、太陽フレアによる地球大変化を知っていました)

なぜ、解ったのか?それは、数霊学で計算したからです。この18と19の予言書は一切、表に出てきていません。だから17条の憲法で止まっているのです。

ご存知の方も多いと思いますが、聖徳太子は、三人いたのですよ。秦河勝と大友忍(しのび)という人が中心になって聖徳太子の役割をやったのです。日本で初めての情報機関の忍者が大友忍で、忍者の発祥となる人です。(同時に10人の話を聞けたのもその為です)

聖徳太子の渡来人説がありますが、もう一人、青い目の聖徳太子がいたのです。

日本人じゃなかったんですね。あるところに行きますと、イエスキリスト、イコール聖徳太子になっています。イエスは馬小屋で生まれ、聖徳太子も厩戸の皇子と呼ばれていますね。

問題は聖徳太子の遺したものですが、実はユダヤの「カバラ」が基になっているんですね。だから重要なのです。

じゃあ、なぜ、カバラが日本にあるのか?日本とユダヤは実は同祖という話もありますが、本当は同祖どころか、まるで同じ民族なんですね。その証拠に、カバラの生命の樹と、富士と鳴門の仕組みは同じなのです。

ユダヤの流れを描いた、カバラの生命の樹の絵というものがありますが、菊の紋を囲んで種子と成樹が描かれています。この絵が正しければ、日本がユダヤの失われた民族ではなく、日本が純粋族で、世界中に渡ったと考えられるのではないでしょうか。そして、また日本に戻ったから、そういう伝説があるのではないかということになります。

その絵の中に描かれている菊花紋ですが、世界最古の文明と言われているシュメールも、菊花紋なんです。世界中の王族、王家はみな、菊の花を祀っています。

ある秘密の契約書があるのですが、その関連から継承された儀式で使う紋は、三つあります。一つは菊花紋、それからケルトの丸十の紋、イスラエルのダビデの星、これは、世界中の王族が使っているのです。

つまり、元は一つだということなのです。では、その元は何処か?

僕は日本だと思います。(中国で焚書坑儒ふんしょこうじゅしたのは日本が世界の中心という歴史を消すため)

面白いのは、イスラエルで祀っている神様は国常立大神なのです。伊勢神宮の神様は、もしかしてあちらの神様じゃないか、という議論もありますが、あちらで神様と言われている方が、国常立大神であるとはどういうことか? つまり、日本の神様をあちらで祀っていることだと私は思っています。(ヤーウェ神)」

      菊花紋章 に対する画像結果

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現在2018年で2020年は東京オリンピックが開催されることになっていますが、はたしてどうなるか。未来記の中には、2020年に世の中が全部ひっくり返って、ミロクの世になりますよと書いあるそうですが、現在の世の中の様子から観て、現実はもうすこし先に延びるように思います。ただし、大難を小難に変えることは日本人、一人ひとりの覚醒度により違ってくると思われます。

 


鎌倉八幡宮へ

2018-04-11 17:43:14 | 日本の文化

鎌倉八幡宮へ行ってきました。

参拝がメインでしたが、神苑ぼたん庭園へも行ってきました。

そして、明治天皇ゆかりの地が整備されていることを初めて知りました。

鎌倉はあまりに歴史が濃厚なので、一般的なことしか知ろうとしません

でしたが、ちょっと勉強になりました。

今日は強風の中でしたが良い日でした。

 

 

◎大イチョウも、小イチョウも頑張って新芽を出していました。



      

  


神苑ぼたん園 別の世界へ来たようでした。


       





明治天皇ゆかりの地が整備 されていました。

拝殿横にあります

       


そこで、調べてみました。

 

明治天皇ゆかりの地を整備 八幡宮と市民団体共同で

文化

大臣山の山上にある石碑(左)と記念式典の様子(提供:鎌倉明治会)
大臣山の山上にある石碑(左)と記念式典の様子(提供:鎌倉明治会)
 1873年、陸軍の野外演習が鎌倉で行われ、明治天皇が鶴岡八幡宮の裏山・大臣山からその様子を視察した。同山上には1928年、記念の石碑が建てられたが周辺整備は行き届いておらず、この史実を知る人は少ない。そこで同宮と市民団体がこのほど、共同で手すりや階段などを整備した。関係者は「後世に歴史を伝えていきたい」と話す。

 大臣山は1873年4月15日、明治天皇が初めて陸軍野外演習を視察した場所で、現在は鶴岡八幡宮(吉田茂穗宮司)が管理している。演習は大雨が降るなか行われ、明治天皇はその後、同宮を参拝したとされる。

 山上にはそれを記念した「明治天皇閲兵の処」と書かれた石碑が1928年11月、鶴岡八幡宮奉賛会や帝国在郷軍人会鎌倉町分会、同鎌倉郡連合分会によって設置された。

 しかし、その周辺や山道は手入れが行き届いておらず、史実も埋もれようとしていた。

創立50年を記念

 そこで、同宮と共同で石碑周辺の整備を行ったのが1965年に設立され、今年50周年を迎えた市民団体「鎌倉明治会」だ。

 同会は記念事業として山道に手すりや階段などを設置したほか、入口には参拝者用に、歴史や同団体の説明などが記された案内板を立てた。

 山上への道が急なため、一般公開はされていないものの、関係者は「日本で初めての天覧演習が鎌倉で行われた事実や明治の歴史が埋もれないよう、これからも後世に語り継いでいきたい」と話した。
 
 
 
 
明治天皇鎌倉御野立所(鶴岡八幡宮)
軍事遺物

明治6年4月15日に我国初めての陸軍攻防演習が鎌倉で行われた。

明治天皇は4月14日に鎌倉に行幸し、鶴岡八幡宮裏の大臣山から閲兵したが、

この事績を記した記念碑。
山頂には「明治天皇閲兵之處」の碑、山頂へ続く階段脇には

「明治天皇鎌倉御野立所」の碑、その傍には由来碑が建てらている。
所在:鶴岡八幡宮(鎌倉市)


本殿の左手、山頂に続く階段脇に設置された碑。

階段から山頂までは神域のため立ち入り禁止であり、

この碑にも近づくことはできない。

 

        

 

 

 

 

 

 

 

 
 

鎌倉手帳(寺社散策)より


            ~武門の神~ 

 鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府滅亡後も「武門の神」として足利氏、後北条氏、

豊臣氏、徳川氏に崇敬された。

 越後の虎と呼ばれた長尾景虎(上杉謙信)は、1561年(永禄4年)、関東管領上杉憲政(山内上杉家)から上杉の家督と関東管領職を相続し、鶴岡八幡宮で拝賀式を行っている。

上杉謙信
     上杉謙信

 

 

 


ガイアリズムに乗る∞∞続き

2018-04-06 19:35:42 | 今に生きる

◎ガイアリズムに乗る∞∞

前日の続きです。

 地球とネットワークイメージ背景素材の写真

 

ガイアリズムの乗る者こそが人類史をリードする

 

「権力者が文明周期の終末に至る時、彼らは最後の最後までそれを

維持しようと躍起になる者だ。しかし、寿命を終えた文明は、

非建設的にしか活動できず、それをひきずる期間が長引けば

長引くほど破壊性を増す。そして最後には自身をも消滅へと

追い込むことを我々は知っている。

文明焦点は、大いなる生命の繁栄を実現させるが、

欲のままにその繁栄に固執した場合、破壊もまた繁栄と同じほどに

大きなものとなるのだ。

今あなた方が払うべき努力は、旧文明をできる限り穏やかに早く

終息に向かわせる努力である。」

 

「聖なるリズムは動かしがたい天地の働きであるが、そのリズムに

いかに響き合うかは、あなた方自身の選択で決まるのだ。

我々シュメールの叡知の保持者たちは、聖なるリズムを

自己の利のために用いることをしなかった。

それは必ず反作用を引き起こすことを知っていたからだ」

 

 

「…自己の立場を守るために旧文明の価値観をなおも

自己の価値観として主張し続ける人々、ほかを犠牲にしてまで

旧体制で獲得した自己の権利を保持しようとする人々は、

世界にもあなたの国にも無数にいることを知らねばならない。

そうした一人一人の生き方を変容できるかどうかがより

本質的な問題なのだ。そして、それが達成できるかどうかは、

あなた自身の生き方にかかっている。」

 

 

「一個人が宇宙のリズムに乗ることは、あなたが考える以上に、

人類史に直結するのだ。

あなたの中心点は、人類の中心点でもあるからだ。

あなた方日本人の年末の大そうじの習慣は、

我々シュメールの習慣に近いものがある。

これを10日早く行えば、自然のリズムに重ねることができる。

この期間に不要な物を捨てると同時に、心の過去も捨て、

澄み切った魂とすることは、自然のリズムにかなっている。これを、

もっと大きなリズムで行うべき時にあなた方は今いるのだ。…」


…………………………

新しいエネルギーの問題や新規学校建設の問題にしても、

あらゆる既得権益を手放さず策を弄している人々がいる。

日本だけの事だけでなく、世界中でしのぎを削っている。


新緑木漏れ日と流線型の抽象背景の写真