愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

武士道とは何か?その⑧

2015-07-31 18:04:54 | 今に生きる

武士道とは何か?その⑧

 

その⑦に続き、新渡戸稲造と「武士道」について

「武士道と日本人の心」 山本博文[監修] 青春出版社 より抜粋

 

第二章 武士道の精神

 其の一 ――卑怯な行動や不正な行為を恥じる心のあり方

◇死すべき時に死す決断力

フランスの学者ド・ラ・マズリエールが指摘した日本人の特性について、新渡戸稲造は

次の七つの徳目を挙げている。すなわち、義、勇、仁、礼、信(誠)、名誉、忠義である。

このうち、まずは「義」について見ていく。

義は、端的に言えば、正しいことを行なう正義のことを指す。

「サムライにとって、卑怯な行動や不正な行為ほど恥ずべきものはない」。

そうした心のあり方こそが義なのだと新渡戸はいう。

この義が、武士にとってもっとも厳しい大事な教えであるが、この概念は誤解されやすい。

そこで新渡戸は、二人の武士の言葉を引用し、わかりやすく解説しようとつとめている。

一人目は、『海国兵談』(かいこくへいだん)で海防の必要性を説いた浪人学者・林子平

(はやししへい)(1738~93)の言葉だ。

林は、「義は、自分の身の処し方を、道理に従い、ためらわずに決断する心を言う――

死すべき時に死に、討つべき時に討つことである」とした。

つまり、義とは決断力のことであると定義したのだ。

 

慶応四年(1868)二月十五日、大阪湾に臨む堺(さかい)で堺事件が勃発した。

警備を勤めていた土佐藩士が上陸したフランス兵を銃撃し、死者十一名、負傷者五名を

出した事件である。明治維新の最中、天皇のよる新政府が誕生した直後のことであった。

新政府は、やむなくフランスの要求を呑み、事件の当事者をすぐに処刑することを決めた。

こうして責任をとって切腹することになった土佐藩士は二十名。そのうち十六名は

命令に従って発砲しただけの足軽だったが、朝廷の命令であればと、異議を申し立てず、

国のために死ぬことを決めたのである。

「死すべき時に死ぬ」という精神が、末端の武士のまで培われていたことがよくわかる。

 

◇義は人体の骨のようなもの

林に続き、新渡戸は久留米水天宮の神官で、尊皇攘夷派(そんのうじょういは)の

指導者・真木和泉(まきいずみ)(1813~64)という武士の言葉を引用している。

人の身体に骨がなければ首も据わらないし、立つこともできないように「才能が有っても、

学問があっても、義がなければ世の中に立つことができない。義があれば、

無骨で無調法(ぶちょうほう)であっても武士足る資格がある」。

つまり武士は、義に基づいて行動することがもっとも重要だというのである。

 

新渡戸はさらに、仁は人の心、義は人の路であり、人はその路を捨てて、それに従うことを

しないと嘆く孟子の言を引く。

「孟子によれば、義は、人が失われた楽園を取り戻すために歩むべき、真っ直ぐで

かつ狭い道だということである」。

サムライの掟(おきて)のなかで、もっとも厳しい教えが、義なのである。


○武士が捉えていた「義」の感覚

うそをつくこと。逃げること。不意をついて相手を切ること。

弱者に対して冷たい振る舞いをとること。

卑怯な行動や不正な行為を恥ずべきだとする心のあり方が、武士にとっての「義」である。

 

○林子平(はやししへい)の「義」の定義

 江戸中期の経世家で、寛政三奇人の一人。

義は、自分の身の処し方を道理に従い、ためらわず決断する心をいう

⇒ 決断力

 

真木和泉(まきいずみ)の「義」の定義 

幕末の尊王攘夷派志士 水戸藩の藩政改革に参画。

才能が有っても、学問があっても、義がなければ世の中に立つことはできない。

⇒ 武士の資格

 

 

 

 


武士道とは何か?その⑦

2015-07-29 21:07:28 | 今に生きる

武士道とは何か?その⑦

その⑥に続いて、新渡戸稲造と「武士道」について

「武士道と日本人の心」 山本博文[監修] 青春出版社 より抜粋

 

第一章 武士道の成り立ち

武士道の源泉 ―― 形成に寄与した儒教、神道そして仏教

◇武士道精神を補完した宗教と教え

武士道は武士が守るべき道徳の掟であるが、それは数百年にも及ぶ武士たちの生き方

から自然と発達してきたものだと新渡戸は説く。

それでは、その淵源はどこにあるのか。これに対して新渡戸は、はっきりと断言することは

できないという前置きをした上で、日本で封建制が成立した十二世紀末、

鎌倉幕府を開いた源 頼朝(1147~99)の支配と同時期だったとしている。

しかし、突発的に武士道というものが成立したわけではない。

当然そのもととなる源泉があるはずで、それを新渡戸は仏教と神道、儒教に求めた。

このような視点に沿って武士道を整理したのは、新渡戸が初めてのことである。

それでは、それぞれがどのように武士道に影響したのかを見ていこう。

 

まずは仏教である。「仏教は運命に対する穏やかな信頼、危険や災難を前にしても

ストイックに落ち着き、生に執着せず、死に親しむ心をもたらした」

仏教が武士に与えなかったものを補う役割を果たしたとして、神道が紹介される。

「主君に対する忠(ちゅう)、祖先への崇拝、親への孝(こう)は、神道の教義によって

武士に注入された」

そして、最後に紹介する儒教こそが、武士道のもっとも豊かな源泉になったと新渡戸は

述べる。

儒教とは、孔子や孟子の教えが体系化されたもので、人間の道徳的な関係について

言及している。

五世紀頃に日本に伝来し、律令時代以降、官吏(かんり)となる貴族層の必須の教養と

なった。

江戸時代中期には、武家の教養の第一と重んじられ、武士の子弟はみな私塾や藩校など

で儒教を学んだ。しかし、新渡戸は、儒教の伝来以前から、日本人はそれを本能的に知って

いたと断言する。

神仏の存在は、たしかに多くの武士の心の支えとなっていた。

とくに常に死と隣り合わせだった戦国時代を生きた武将たちは、神仏を篤く崇敬している。

たとえば武田信玄(1521~73)は自ら出家するほど仏教を信仰し、天台密教を修めて

延暦寺から権大僧正(ごんのだいそうじょう)の位を与えられている。

信玄の宿敵・上杉謙信(1530~78)もまた、宗教心が人一倍強かった。

禅を修め、有髪の僧として戒律を守る清廉な生き方を貫いた謙信は、出陣にあたって

神仏像を伴い、また、武の神・毘沙門天の「毘」の字を軍旗に採用している。

 

しかし仏教は、戦いに生きることを教えるものではない。

また、神道の教義が形成されたのは室町時代のことで、神道の武士道への影響は

限定的なものに過ぎなかったと考えられる。

実際、「君主への忠誠心と愛国心」が語られるようになるのは、明治以降、国家神道が

体系化されたことによる。

さらに儒教も、武士が為政者(いせいしゃ)としての役割を果たすために必要な教えで

あったが、武士のための教えではない。

 

武士の生き方として、「武士の一分(いちぶん)」と呼ばれる武士特有の名誉意識がある。

「生命よりも名を重んじる」といった生き方だ。

こうした精神が前提としてあり、新渡戸が挙げた三つの源泉が影響を与え、武士道が

成立した。

しかしこれを英語で説明することは難しかったため、新渡戸は武士道を儒教学的色彩の

濃い道徳思想として解説を試みたのである。

 

○神仏の加護を仰いだ戦国武将たち

・徳川家康  厭離穢土欣求浄土  この世という穢れた世界から離れ、極楽浄土への往生

を願う信仰心が込められている。

 

・島 左近  鬼子母善神十羅刹女  法華経の守護神

        八幡大菩薩  武の神

        鎮宅霊符神  妙見信仰

 

筒井順慶  春日大明神  春日大社の祭神 武神として信仰されていた。

 

 


武士道とは何か?その⑥

2015-07-26 21:44:21 | 今に生きる

武士道とは何か?その⑥

その⑤に続き、新渡戸稲造と「武士道」について

「武士道と日本人の心」 山本博文[監修] 青春出版社 より抜粋

 

第二章 武士道の精神

 其の三  「つまらない物ですが」に秘められた低意

◇理解されにくい日本人の礼を尽くす心情

礼は、振る舞いに優雅さを加えるだけでも大いに意味があるが、そこには常に優雅な

同情心が現れると新渡戸はいう。

しかし、礼に則った行為は、ときとして欧米の人々には奇怪に見えるだろうとして、

いくつか例を紹介している。

たとえば炎天下、欧米の人が日傘を差さず、帽子もかぶらずに戸外に立っているところに、

日本人の知り合いが通りかかったとする。すると日本人は、挨拶を交わすために日傘をさして

いたなら閉じ、帽子をかぶっていたら取る。そして、挨拶を交わしている間は、決して日傘を

さそうとも帽子をかぶろうともしない。

これに対して、欧米の人々はなんて馬鹿げた行動だろうと思うにちがいない。

また、相手に贈り物を送る時、アメリカでは送る側は受け取る人に対して、その品物を

褒めそやす。しかし、日本人ではこれを軽んじたり、悪く言ったりする。

確かに、贈り物をする際、「つまらない物ですが」と一言断るのは、現代の日本人にとっても

常套句である。このような行為も、外国人にとっては当惑の対象だろう。

 

◇礼の裏に秘められた真意

しかし、これらの行為には、じつは底意があると新渡戸は指摘する。

まず、日傘の例であるが、この行動の真意は、次のようなところにある。

「あなたが炎天下にいることに私は同情する。もし私の日傘が大きければ、

あるいは私は喜んであなたを日傘に入れてあげたい。しかしいま私はそれができない。

それであれば、せめてあなたの苦痛を分かち合いたい」。

次に贈り物をする時の日本人の気持ちは、次のようなものである。

「あなたはすばらしい人物であり、どんな品物もあなたにはふさわしくない。

どんな最高の贈り物であっても、それをあなたに相応しいほどすばらしいと言うことは、

あなたの価値に対しての侮辱になるだろう」。

つまりこういった行為は、他人に向けられた思いやり深い感情の表れであり、

そこには他人の気持ちを思いやる「礼」の精神があるのだ。

 

相手を思いやるもてなしに長けていた武将といえば、豊臣秀吉が挙げられる。

西国の雄(さいごくのゆう)。毛利輝元(もうりてるもと)の大阪入りの際、兵庫に到着した

輝元を、秀吉は長旅の慰労と歓迎の意を込め、当地の役人に命じて大量の酒や肴の

差し入れを行なわせた。

それだけではない。毛利一行がきらびやかに大阪入りを果たせるよう、帷子(かたびら)や

馬具、槍を贈っている。

大阪や京都の大名衆からも、御迎えの使者が多数毛利輝元の元へと派遣された。

こうした秀吉の気配りは、輝元の上洛に対する緊張や不安を吹き飛ばしたであろう。

物だけでなく、気持ちを徹底的に尽くす礼を秀吉はしたのである。

 

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 贈り物をするとき、たしかに「つまらない物ですが…」と枕詞のように言っていました。

でも何でつまらない物と言って、へりくだらなければならないのかと思っていましたが、

私はあるときから、「御口に合うかどうか分からないですが…」とか、

「御口汚しにどうぞ…」、「お気に召すかどうか分からないですが…」とか言っています。

どちらにしてもたしかに、相手の気持ちを思いやることからきています。

ですから、口の中でモゴモゴと言って渡すのだけは避けましょう。

 


武士道とは?その⑤

2015-07-25 17:48:36 | 今に生きる

武士道とは何か?その⑤

その④に続き、新渡戸稲造と「武士道」について

「武士道と日本人の心」 山本博文[監修] 青春出版社 より抜粋

 

第二章 武士道の精神

 其の二  大老・井伊直弼が育んだ「茶の湯」の精神

◇礼儀が己を高みへと導く

武士特有の徳として賞賛された礼は、細心の注意をもって教えられ、広く学ばれた。

そこにはじつに細々とした規律があるが、新渡戸はそれをまったくつまらないとは思わない

とする。

なぜならそれは、ある目的に到達するための最良の道であり、もっとも優雅な道だからと

いう。

イギリスの哲学者スペンサーはこの「優雅」を、もっとも効率的な運動の仕方であると

定義する。

このことを説明するために、新渡戸が例に引いたのが茶の湯である。

日本における茶の湯の歴史は、平安時代末期、臨済宗の僧・栄西(1141~1215)が

中国・宋から喫茶法(きっさほう)を持ち帰ったことに始まると伝わる。

その後、室町時代から戦国時代になると、武将たちの間で茶の湯が流行し、茶の湯の

たしなみがない者は相手にされないほどだった。

 

茶の湯の作法には、茶碗や茶杓、茶巾などの取り扱い方に明確な手順が定められている。

初心者からすると、それらの作法は難しく、退屈なものにしか過ぎないが、

規定されている手順通りに行うことにより、時間や労力はもっとも節約される。

つまりは無駄のない動きが、一番優雅な所作(しょさ)を生み出すのである。

これについて新渡戸は、「正しい礼儀作法を絶えず修練すれば、身体のあらゆる部分、

あらゆる機能に完全な秩序がもたらされるようになり、身体そのものとそれを取り巻く

環境とが調和し、肉体と精神が統御されるようになる」と解説した。

礼儀作法を遵守すれば、高い精神的境地に達することができるのである。

 

◇一期一会の精神

そして新渡戸は、茶の湯はまた、このような精神修養には欠かせない儀式の一つでもある

とした。

幕末期における江戸幕府の大老で、日本を開国に導いた井伊直助(いいなおすけ)

(1815~60)は茶人としても名高く、自ら茶会を開き、門弟を育成するなど、終生茶の湯に

心を傾けた人物である。

その井伊が大切にしたのが、「一期一会(いちごいちえ)」の精神だった。

たとえ同じ顔ぶれであったとしても、今日このときの茶会は一生に一度しかない。

そのように考えると、何事もなおざりにすることなく、相手にも礼を尽くし、真剣な気持ちで

臨むことが肝要である。これが一期一会であり、その根底には、相手の気持ちを思いやる

礼の精神が表出しているのである。

たんに茶をすするという行為であるが、心の平静、気持ちの静穏(せいおん)、振る舞いの

静けさと落ち着きが正しい思考と感情を喚起する。

茶室という静寂境にあっては心の不安を引き離し、室内に平和と友情をもたらす。

ここに、茶の湯は儀式以上のもの、一つの芸術へと昇華したと新渡戸は語る。

 

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礼儀作法のできた方は、見ていても気持ちが良いものであり、その人の相手への

気遣いが出来ている証拠でもあります。

日本の礼儀作法は、時代が変わろうとも、おもてなしの心として残っていってほしいもの

です。

また、茶の湯は女性の趣味と考えている方も多いと思いますが、むしろ多くの男性が

習得して芯の通った精神を培っていってほしいです。

 


マスコミの世論操作

2015-07-25 01:30:30 | 今に生きる

マスコミの世論操作は、昔からありましたが、今でも堂々とやっています。

嘘は、一見善人の顔をしてやってきます。言葉も巧みです。

皆さんもよく勉強して、洗脳されないようにしましょう。

 

コラム(13) 朝日新聞、最後の「世論操作」も失敗か!?

2015-07-15 00:00:00 | 政治見解

 

 http://blog.goo.ne.jp/akamine_2015/e/a502454c579db79f7fcf4add351a9fe9