愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

「秋分について」

2015-09-23 12:30:25 | 日本の文化

「秋分について」

関東地方は陽射しが眩しく青空が澄んでいます。

9月23日の今日は秋分の日。お彼岸の中日で、先祖を敬い御霊を偲ぶ日です。

昼夜の長さがほぼ同じで、この日より夜が長くなる。

この頃になると秋の七草も見られるようになります。

萩・尾花・葛花・撫子・女郎花・藤袴・朝顔

 

 萩(はぎ) 尾花(おばな)→ 薄(すすき) 葛花(くずばな)→ 葛(くず)

 撫子(なでしこ) 女郎花(おみなえし) 藤袴(ふじばかま) 

 朝貌(あさがお)→ 「朝顔」ではなく「桔梗」であるとの説が定説。


「秋の七草」は、

  山上憶良が万葉集の歌で選定し今に至っている。 

 万葉集の山上憶良が詠んだ歌

・秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数(かぞ)ふれば 

 七種(ななくさ)の花
                             (山上憶良 万葉集 巻八 一五三七)


・萩の花 尾花葛花(をばなくずはな) なでしこが花 をみなへし 

 また藤袴(ふぢはかま) 朝顔(あさがほ)が花
                             (山上憶良 万葉集 巻八 一五三八)

 

  萩(はぎ)

 

  (尾花)薄(すすき

            


   葛(くず)      

 
    撫子(なでしこ)

  

  藤袴(ふじばかま)

 

          

  女郎花(おみなえし)




  桔梗(ききょう)

 

ウィキぺディアより参照

秋の七草[編集]

の七草は以下の7種の野草のことである。

画像

よみ
名称

現在の名称

英名

科名

 

おみなえし
女郎花

オミナエシ

Patrinia scabiosifolia

オミナエシ科

 

おばな
尾花

ススキ

Miscanthus sinensis

イネ科

 

ききょう
桔梗

キキョウ

Platycodon grandiflorus

キキョウ科

 

なでしこ
撫子

ナデシコ

Dianthus

ナデシコ科

 

ふじばかま
藤袴

フジバカマ

Eupatorium fortunei

キク科

 

くず

クズ

Pueraria lobata

マメ科

 

はぎ

ハギ

Lespedeza

マメ科

山上憶良が詠んだ以下の2首の歌がその由来とされている(2首目は旋頭歌)。

  • 秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花(万葉集・巻八 1537)
  • 萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花(万葉集・巻八 1538)

「朝貌の花」が何を指すかについては、朝顔木槿(むくげ)、桔梗昼顔など諸説あるが、桔梗とする説が最も有力である。

春の七種と違い、秋の七草に直接何かをする行事は特にない。秋の野の花が咲き乱れる野原を「花野」(はなの)といい、花野を散策して短歌俳句を詠むことが古来より行われていた。秋の七草はそれを摘んだり食べたりするものではなく観賞するためのものであり、ゆえに「秋の七草がゆ」というものも存在しない。

 


「立ち居振る舞い」

2015-09-19 21:43:33 | 日本の文化

「立ち居振る舞い」

日本の文化のなかでも立ち居振る舞いについては、古来から色々と

ありますね。

茶道、華道、舞踊もその一部です。

そして特に「食べ方」の行儀は一番大切なことであり、

運気を引き寄せるようです。

頂きます、ごちそう様のことば、箸の持ち方、料理の食べ方は、

みんな見えない御先祖様と神様への感謝の心が入っています。

礼儀作法が大事ということは、何事も自分一人のためでは無いということが

認識できれば、日頃の立ち居振る舞いは、神々にも通じるということです。

すべての動作を丁寧にして生活していくと、だんだんと魂の波動も

上がってくるのです。


話し方は、仕事上のテンポはそれぞれありますので臨機応変にしたほうが

よいですが、プライベートでの話し方は、ゆっくりと穏やかなほうが

自身の心も安定して開運にもつながるようです。

せっかちで早口よりも、ゆったりと丁寧な応対のほうが神様たちからも

好かれるようです。


具体的には、

・ピンと背筋を伸ばした姿勢と歩き方

・ドアの開け閉め

・立つ、座る、の際の優雅さ

・すべての人との接し方、(目線も含めて)

・お辞儀の仕方を美しく

・言葉使いを自分なりに美しく丁寧に

・食べ方と飲み方を美しく

・物を置く時の丁寧さ

 

以上様々な場面での振る舞いが身についていれば、

自身も気持ちが良いものです。どこで人が見ているか分かりませんが、

身に付くまでは、意識して訓練すればよいのではないでしょうか。

身近な恋人や配偶者など家族に対しても、丁寧に接するようになれば、

他人との摩擦も少なくなってくるでしょうね。

結果的に見えないものからも守られるようになります。

立ち居振る舞いは、畏るべしということです。




「足るを知る」

2015-09-14 22:32:26 | 今に生きる

「足るを知る」

「足るを知りなさい」と子供の頃に言われました。また、

「人間は足るを知る事が大事」と物の本にも書いてあります。

「分相応に生きなさい」とよく聞きますし、諭される言葉です。

人間のサガで、現状に満足できず、次から次へと欲望が移って行き易いです。

一つ願望が叶えば、飽き足らずまた一つ別の願いが湧いてきます。

それまでの願望がつまらない物に見えてくるからです。

良い意味で考えれば、物やシステムの進化に繋がっていきますので、

それはそれでいいと思うのですが、自我の欲望は、現状の不満からきています。

それは、他人と比べてどうか、という外に比較対象を求めて生きているから

ではないでしょうか。

今の自分の現状は自分が招いたことであり、その中で努力し継続していくことで

新たな道が表れてくるのであって、目を次々と移していっては堂々巡りになって

いつまでたっても不満が解消できていきません。

 

よく言われる言葉に、

“結婚はゴールではなく、スタートラインに立っただけである。”

それを結婚生活が始まると、あれこれ見えてきた事柄に不満が増えてきて、

こんなはずでは無かったと思い、視線は常に外に向かっています。

「足るを知る」は、自分の身の程を知って判断し、目の前の現状を精一杯

生きることでストレスが無くなっていくことになります。

結局は感謝の思いで生きることに繋がります。




「水害の怖さ」

2015-09-11 19:45:57 | 今に生きる

 「水害の怖さ」

 水害に遭われた皆さま、心よりお見舞い申し上げます。

予測よりも多くの浸水に、改めて水の恐怖を感じられたのではないでしょうか。

堤防が決壊すると、必ず大きな災害をもたらします。

鬼怒川は昔にも何度か決壊し、多くの被害をもたらしたことがあると

聞きました。

人間は「のど元過ぎればなんとやら…」で忘れ易いのですね。


日本は水と緑、そして、地震列島であることを常に認識しておくことが

大切です。

今回の鬼怒川の映像を見ますと、気になることがありました。

川沿いに多くの家が並んで建っていることです。

普段何もなければ水も穏やかで、見通しの良い場所でしょうが、

今回のような水害に遭いますと、命の危険が間近にせまっているところに

生活しているということです。


人間は自然への敬い、畏れを忘れて生きている方が増えて来てしまいました。

特に水は、飲み水・生活用水・工業用水と重要なものばかりですが、

雨や台風など自然現象への関心は、身近な関心ごとが中心で、

雨が嫌だ、風が嫌だ、台風が来なければいいなどと、自分勝手な思いで

生きている方が多いのではないでしょうか。

この地球に、この日本列島に生きていること、生かされていることに

感謝していれば、川のすぐ近くや、崖の近くに住居をかまえるということは、

恐れ多いということであります。

また、住宅販売業者もそこが昔、沼や川であったり、崖を削って整地した所でも

平気で販売しています。

土地や水への畏れがないので、いつかは自然からのしっぺ返しが来るのです。

これから、増々大きな台風が来ると言う事ですので、事前の備えをして

身の安全を確保しておくことが大切です。

「備えあれば憂いなし」と昔からいいますね。

こう言っても、フブンと鼻で笑ってまじめに受け取らない人が多いですが。


今後は過去に例のない自然現象がやってくることが「日月神示」にも

映画でも暗示しています。

終わりの始まりです。

 

 


「家庭内の問題」

2015-09-09 18:10:04 | 今に生きる

「家庭内の問題」

国をまとめる事が出来ない政治家は、その国は乱れ、やがて崩壊していきます。

会社の運営をうまく牽引していくことが出来ない経営者は、いずれ倒産していく

運命にあります。

これらは家庭内の事にも言えます。

親が子供に過剰に期待し、思うようにいかないと子供を叱り、中には

絶望する親もいます。

はたして子供だけの責任でしょうか。

その親にも問題があるように思います。

子供のせいにしたり、学校や先生の責任にしたり、

家系のDNAのせいと考えたり、

いつもイライラとしてその心は、絶えず落ち着きがありません。

その原因が親にもあるということを本人は気づいていません。

第三者にはよくわかるものです。

 

 絶えずイラついたり、すべて他人のせいにしている人には、

「類は友を呼ぶ」と昔から言われますが、宇宙には「同類を引き寄せる法則」が

あるように同じ思いが寄ってくるのです。

他人、他家、すべて他を気にし過ぎている結果、その渦に巻き込まれて

抜け出せないでいるのです。

そこを改善しない限り、行く末は家庭崩壊につながっていきます。


まず自分自身がどうなのか? を反省してみる必要があるようです。

愛を通して育てていく気持ちになり、家庭の中の“太陽”になりますと、

すべてが改善に向かっていくように思います。