愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

神様を使役する「我良し」の心

2016-01-18 17:45:58 | 感謝の心

神様を使役する「我良し」の心

宮本武蔵の「独行道(どっこうどう)」という伝書に、

「佛神は貴し、佛神をたのまず」という言葉があります。

死の直前に「五輪書」とともに弟子にたくされた言葉だと言われています。

神仏を尊び大事にするが、頼りにすることはしない。

神仏とは尊い存在なので、頼みごとをして働かせることはしない。

という意味になります。


太古の人間は、大地自然の中に神の姿を実際に見て感得していたといいます。

その時代には、神様とはひたすら恐れ、尊び、感謝し、祀り上げるのが当然だ

という存在でした。

時代が下り次第に人間に「我良し=自分さえよければ良い」という心が芽生え

始め、そのような意識が薄れ、恐れ、尊び、感謝を捧げる存在から、

神様は人間に都合よく頼みごとをする存在となってしまいました。

神様を使役して願いを叶えようとするのは「我良し」の心です。

個人の欲望を願うことは逆効果か、良くても何も変わらないのが現実のよう

です。

それより願いごとがあれば、自分で努力して実際に行動することで、それに

見合ったことが自分自身に現われます。

神様にお願いしてやってもらうという心は、神様をパシリに使うことであり

昔から言われている「バチが当たる」ということになります。

「バチ当たりめ!」と叱られたり、蔑まされます。

そういうことが昔から言われているにもかかわらず、神社に行って

御賽銭を投げ入れ、願望=欲望を叶えろと祈っている人間は、

低級な存在に成り果ててしまいました。特にお正月の神社仏閣への参拝は

神様を使役している光景に見えます。

何割の人が、ただ感謝のみの参拝をされているのでしょうか。

神様に感謝の思いを捧げることを続けていくことは、良いことはあっても

悪いことはありません。逆に自分の心が浄化され素直になっていくのを

感じることでしょう。


                             

 

 

 


「お蔭様」の思い

2016-01-13 21:59:31 | 感謝の心

「お蔭様」の思い

日常のすべての事柄に「お蔭様」があることに気づけたら素晴らしいですね。

「お蔭様」の陰という字は、見えない存在で、陰からサポートされていること。

だからお蔭様で…ありがとう、となります。

それは生きている人ばかりでなく、あの世にいらっしゃるご先祖様の存在も

そうです。また、人でなくこの地球の自然の生きとし生ける物の存在に

対してもそうです。

太陽、月、星がなければ人は生きられません。だからいつも生かされている

ことに感謝の心が大切です。

お蔭様で…と言葉に出して、また胸の内で言いましょう。

その思いが今は苦しくても、いずれ良い方向に導かれていきます。

たとえ今が上手くいってるとしても傲慢にならず、「お蔭様」の謙虚な心が

大切です。

生きていることをアタリマエにせず、日々を生きられる人は幸いです。

 


『愛の心と変容の光』

2016-01-11 19:34:29 | 愛に生きる

『愛の心と変容の光』

この地球に遍満しているエネルギーは、あらゆる形をとって

顕現しています。

情報は“光”であります。これまでの二元の世界は陰陽で現れて

います。

陰は光の裏であり、陽は光の表であります。

否定的な感情にとらわれると光の表に近づくことができません。

それは欲や憎しみ、恐れなどの重く低い次元のエネルギーです。

その裏の世界から抜け出せなければいつまでたっても堂々巡りの

ままで、進化した人間になれないのです。

今は、コインの裏表のように意識を変えるだけで表の陽の世界へ

変容できる千載一遇の時なのです。

蝶がさなぎから変容するように、また、蛇が殻を破り新しく生まれ

変わるように、人間の意識も変容して新しい人類に進化していく

重要な時期であります。

ただし、ただ待っているだけではなんの変化も起きません。

そのカギは、“愛”です。

この宇宙は“愛”で成り立っているのをご存じですか。

根源の創造の神は、宇宙を『愛と意志』によりはじめて創造され

ました。

“愛”なくしてこの宇宙も地球も存在しないのです。

陰陽の黒と白の元は同じ光ですから、それを統合して愛の光の

世界へ飛翔していく時が訪れています。

一人ひとりがその胸の奥にあるハートチャクラに意識を向け、

すべての事柄に愛のバイブレ―ションを感じ、実践していくことが

できれば高い周波数と感情の波に置きかえられ、本来の自身の

設計した創造を成しとげることができるのです。

オセロの黒白の石が一瞬にして黒になるのか、

白に置き換わるのか、その人の意識次第です。

常に今に意識を向け精一杯の自身磨きをしていきましょう。

 

 


簡単な鏡餅の由来と食べ方

2016-01-10 15:53:15 | 日本の文化

 

 

簡単な鏡餅の由来と食べ方

 

暦によると明日11日は、鏡開きの日になっています。

これまで鏡餅、鏡開きなどの由来をあまり意識せずに子供の頃からの習慣として

行なってきましたが、今からでお恥ずかしいですがいろいろ調べてみました。

主に『ウィキペディア(Wikipedia)』のものがまとまっていますのでご紹介させていただき

ます。

『鏡開き』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

開き(かがみびらき)・鏡割り(かがみわり)とは、正月年神)やに供えた鏡餅

下げて食べる、日本年中行事であり、神仏に感謝し、またその供えられたものを

頂いて無病息災などを祈って、汁粉雑煮などで食す。

  

概要[編集]

江戸時代、新年の吉日に商家では蔵開きの行事をしたが、武家ではなどの具足

供えた具足餅を下げて雑煮などにして食し、これを「刃柄(はつか)」を祝うといった。

女性が台に供えた鏡餅を開く事を「初顔」を祝うといった。この武家社会の風習が

一般化したものである。

江戸城では、重箱に詰めた餅と餡が大奥にも贈られ、汁粉などにして食べた。

 

刃物で餅を切るのは切腹を連想させるので手や木鎚で割り、「切る」「割る」という

言葉を避けて「開く」という言葉を使用する(「開き」は「割り」の忌み言葉)。

鏡は円満を、開くは末広がりを意味する。また、鏡餅を食すことを「歯固め」という。

これは、硬いものを食べ、を丈夫にして、年神様に長寿を祈るためという。

鏡餅の割れ方で占いをする地域もあり、「鏡餅の割れが多ければ豊作」と言われて

いる武家の具足式を受け継ぎ、柔道場・剣道場などでは現在も鏡開き式を新年に

行なうところもある。

日付[編集]

一般的には、年神(歳神)へのお供えが松の内(1月7日)に終わったあとの

1月11日に行われる(土日祝日などにより異なる場合もある)。

元々は松の内が終わる小正月1月15日

(旧暦))後の1月20日 (旧暦)に行われていたが、徳川家光が亡くなったのが

慶安4年1651年4月20日 (旧暦)であったため、1月20日を忌日として避け、

後に松の内後の1月11日 (旧暦)とされた。

グレゴリオ暦新暦)になった現在、松の内が1月15日の地方では

1月20日二十日正月)に行われる。京都府や近隣の一部では、

1月4日に行なうが、その理由は明確とはなっていない。

 

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『鏡餅を飾る意味』

 お正月に各家庭にやってきた年神さまは鏡餅に宿るとされてきました。

これは天皇家が代々受け継いできた「三種の神器」のひとつである「鏡」に

由来しています。

日本では、鏡は古くから神様が宿るといわれて大切にされてきました。

この鏡を模した餅の上に供えられるのは、

◎橙(だいだい)。子孫が「代々(だいだい)栄えますようにという子孫繁栄を

祈願する意味が込められています。

◎鏡餅の飾り方は地域によっても異なり、餅、橙のほかに、御幣(ごへい)や

(うらじろ)、四方紅(しほうべに)などが添えられることもあります。

◎大小の餅を重ねるのは、めでたく年を重ねる、福徳が重なるという意味が

込められているそうです。

 

鏡開き

お正月の間、お供えしておいた鏡餅をおろして、お雑煮やお汁粉に入れて食べる

のが「鏡開き」。以前は20日の正月納めの日に行われていましたが、江戸時代に、

幕府や武家が鎧甲(よろいかぶと)に供えておいた具足餅を食べる

「具足開き(ぐそくびらき)」を11日に定めたことから、多くの地域でこの日に合わせて

行うようになりました。

 開いて縁起かつぎ

鏡開きの際、餅は刃物で切るのではなく、槌(つち)を使ってたたき割ります。

これは刃物が腹を連想させることから槌でくだき割ったという室町時代の武家の

やり方にならったもの。

た、「割る」という言葉もイメージが良くないので、「開く」という縁起の良い呼び方が

使われいます。

餅を食べて神様のパワーを授かる

昔は餅には原料である稲の神様霊が宿るため、食べるとパワーをもらえるとされて

きました。さらに、年神さまの宿った鏡餅をいただくことで、平穏無事な新年を送れる

とも言われています。開いたお餅はぜんざいやお汁粉でいただき、家族の健康と

繁栄を祈念します。

  

 

お汁粉とぜんざいの違いは、こしあんか粒あんかという餡(あん)の違いという説や、

汁気のあるのがお汁粉、汁気のない餡をかけたのがぜんざいという説などがあります。

ちなみにお汁粉にする意味は何故かと思って調べてみると、

赤い色をした小豆は、身を守る食材として、邪気を払うことから行事・儀式などで

使われようになりました。 

1月15日の小正月で小豆を入れたお粥を食べる習慣は平安時代から

始まったとされます。

以上のような由来などの事柄が調べると他にも沢山あります。

古くからの習慣はそれなりに意味があることだったと改めて日本のすばらしさを

見直しました。

 

 


水瓶座の時代

2016-01-05 21:13:38 | 今に生きる

「水瓶座(アクエリアス)の時代」

お正月は気温が暖かで過ごしやすかったですね。

2016年は、「水瓶座(アクエリアス)の時代」に本格的に突入したと言われています。

 アクエリアス(水瓶座)の時代とは、もともとの考え方は西洋占星術から来ていますが、

地球は自転するときに「首振り運動(歳差運動)」を起こしている。地球は自転していまが、

いわゆるコマの首振りのような歳差運動をしています。

そのため、毎年の春分の日に太陽の方角にある星座は、約2万5860年の周期で、

12 の星座を一周することになります。そして、各時代の文明の特徴が、その時代に

太陽の方角にある星座の特性と一致しているという考え方が、長らく唱えられてきました。

 

【魚座の時代】Pisces 紀元元年~2000 年ごろ


【水瓶座の時代】Aquarius 紀元2000 年~4000 年ごろ

 

『魚座が象徴する宗教や政治、物質による「支配の時代」から、

水瓶座が象徴する個人や精神性、自己理解などの「解放の時代」へと 移行する。』

と言われています。魚座は物質的な制限に支配されていた時代です。

これからの時代は、大ざっぱにいえば統合の時代で、女性性と男性性が統合する

世紀となるということを言われています。

21 世紀は精神と科学の調和したすばらしい社会がやってくるといいます。

それは、これまでにも言われてきた次元上昇(アセンション)していく時代でも

あるわけです。もうすでにアセンションの最中ですが、これからが大峠に向かって

行きます。

 

これまでも約13000年、約26000年周期で大規模な火山大爆発、大洪水、

大隕石落下、天変地異を経験してきていると言われています。

 

2016年水瓶座の時代は、魚座から完全にシフトしました。

人類が大きな意識的成長を遂げることにより統合の時代を向えますが、果たして

何パーセントの人類が覚醒していくかにかかっていると思います。

常に恐れでなく、歓びに意識を向け新しい創造性を発揮していくことが肝心である

と思います。