愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

「旧暦のしくみ」

2016-02-21 18:57:52 | 今に生きる

「旧暦で生きる」

ここ数年、カレンダーの一枚は旧暦のイラスト入りのものにしています。

今まで忙しくてその内容をじっくり読み、考察することがなかったのですが、

今年はなぜか旧暦に親しむことは、自然体でいることや惟神(かんながら)で

生きることになるのではと思い遅まきながら調べてみました。

旧暦の正式名称は「太陰太陽暦(たいいんたいようれき)」といい、

月と太陽の周期を併用した暦(こよみ)のことです。

おおまかにいえば、月(太陰)は「日にち」、太陽は「季節」がわかるのです。

月は新月から上弦、満月を経て再び新月へと満ち欠けを繰り返しており、

この月の満ち欠けの周期(朔望月(さくぼうげつ)をそのまま一か月という

単位にしたのが旧暦です。

旧暦の一か月のスタートは新月の日。毎月一日は必ず新月で、

八日前後が上弦、十五日前後が満月、二十三日前後が下弦と決まっています。

ちなみに今年のカレンダー(西暦と旧暦の併用したもの)で確認しました。

二月を見ますと、8日=新月、旧一月一日、8日後の15日=上弦、

15日後の23日=満月、23日後の3月2日=下弦となっています。

三日月というのは新月から数えて三日目の月ということで、旧暦では

日付がそのまま夜空に浮かぶ月の姿でもあります。

 

新月から始まり、晦日で終わる一か月を「月切り(つきぎり)」といいます。

やがて月が約12回満ち欠けを繰り返すと季節が一巡したことになり、

一年の時が刻まれていきます。

これが旧暦のしくみです。「旧暦では日付と月の形が一致します」

 

西暦カレンダーは日付と曜日を確認するのには便利ですが、季節の

移り変わりや月の満ち欠けなど自然界の法則とはまったく無関係の

無機的なカレンダーです。

旧暦の「太陰太陽暦」は、月と太陽の動きという天体の観測のもとに

季節の到来を予知し、自然のなかで生きる人間がより豊かな実りを

得るために考えだされた暦です。

◎季節を感じる感覚・感性が豊かになる。

◎タイミングに乗る感覚が身につく。

◎見通しを立てる力。夢を叶える力がつく。

などの恩恵を受けて古来の人々は自然と調和した生き方をしてきたようです。

近代は季節感を無視した食べ物、住環境などに慣れきってしまいました。

良い点、マイナス点を考慮しながら、せめて旧暦の自然感とともに

日々意識して生きていこうと思います。

 

             


建国記念日

2016-02-10 23:10:43 | 日本の文化

「建国記念の日」

建国記念日とは、初代天皇である神武天皇が即位された日です。

2月11日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日

法律第178号)第2条は、建国記念の日の趣旨について、

「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定しています。

1966年(昭和41年)の祝日法改正により国民の祝日に加えられ、

翌1967年(昭和42年)2月11日から適用されました。

 

 

元々は、初代天皇の神武天皇即位した日

日本を建国した日」として、1872に祝日として制定されました。

神武天皇が即位した日の129を祝日としました。

翌1873年に、即位した日を「紀元節」と命名し、

あらためて、太陽暦の211を祝日としたのが、元々の始まりです。

 

なぜ建国記念日ではなく、建国記念の日なのでしょうか?

紀元節 」は戦後1948年に占領軍によって「紀元節を認めることにより、

天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、再び米国の脅威となる

のではないか」というGHQの意向で、紀元節は廃止されました。

 

1951年頃から「紀元節」を復活させようという動きが活発になります。

 1957年に、「建国記念日」制定に関する法案が提出されたのですが、

当時の野党が反対し成立には至りません。

 その後、国会では9回も法案提出、廃案を繰り返し、

もめにもめて、1966に「建国記念の日」として成立します。

 

」を入れることによって「日本が建国された日」ではなく、

「日本が建国されたという事実を記念する日」

と解釈することで、ようやく成立したのです。

 紆余曲折を経て2月11日の「建国記念の日」となりました。

 

 

日本書記では、日本国を統一したカムヤマトイワレビコノミコトとは、

初代天皇になった神武天皇であると書かれています。

イワレビノミコト(神武天皇)は、現在の建国記念の日にあたる、

辛酉元旦(現在の暦に直すと紀元前660年2月11日)に、

大和の橿原〔かしはら〕の宮で即位したとされ、そこから2月11日を

「建国記念の日」に定めたという説もあります。

しかし、歴史学上では神武天皇は実在の人物ではなく「神話」として

位置づけられているようです。

 

 

 

2500年以上も前に即位した家系が、今でも継続していることは世界の

どこを見てもありません。

天皇家が継続しているということは、そこに国民が存在しているということです。

どのような戦国大名でも天皇にたいする態度は別であったといわれます。

そこには内在している心に、なにかを感じていたということでしょう。

これからの日本に、天皇を維持できるような良心・道徳心をもった国民が

多く存在することを願います。

 

 


「立春」

2016-02-04 18:08:48 | 日本の文化

「立春(りっしゅん)

2月4日は立春。旧暦のお正月です。新年の「決意」を実行に移すのも

この日からになります。前日の節分は、立春の大晦日にあたります。

節分によりこの世の「節を分ける」「運命を分ける」、物事の切り替わる節目

になります。

節分とは季節の変わり目のことですから、立春・立夏・立秋・立冬と年4回

ある季節の区切りの前日が節分です。

冬至に流れ始めた陽の気が立春をさかいに強まっていきます。

次第に日脚が長くなり、木々の枝にも小さな蕾が芽吹き始めています。

自然=宇宙のリズムが「始まり」の流れになっていきます。

生活の中の新しいことを立春以降にすることは、こうした自然のリズムに

添うことになり理にかなったことです。

神界では、隠れた「陰の正月」が冬至で、作用を始める「陽の正月」が

節分だと言われます。この神界の2つの正月が現実界に転写されている

とのことです。

だからとても重要な時でもあるのです。

立春の「立つ」には、「神秘的なものが忽然と姿を現す」という意味があり、

春が忽然とやってくる日でもあるようです。

立春の日の午前四時の若水には特別の気が充ちています。それは

「「水の華が咲く」と称されるほどの、清廉で清浄なエネルギーが満ちています。

立春の朝は若水を汲み、お料理やお茶に用いるとよいとされ、

インフルエンザや風邪が流行る時期でもあり、立春の良い気を体内に入れ

心身を守るためにも大切なことです。

 

ちなみに私は、仕事がお休みでゆっくり起きてしまい、若水は汲めません

でしたがご先祖さまに、冷たいお水を差し上げました。

掃除洗濯を終えて散歩に出かけ、新しい坂道を40分ほど歩きました。

そしてスーパーで桜餅とヨモギ餅を買い指先が痛いほどのお水を使って

お湯を沸かしお茶を入れ、ご先祖さまにお供えしました。

実は私、二月四日が誕生日でして、この節目の年にこの日の本に

誕生させて頂いたことに感謝を捧げました。

外の人にお祝いされるよりも、まず永遠に繋がっているご先祖さまに

“有り難う”のお祝いの日でもあるわけです。

そんな思いで誕生日を迎えたのはここ数年のことであります。